鋭い気配③
達也は小さい頃の思い出に浸りながら、ふとラウンジ「リリア」の壁にかかっている絵を見上げた。
今は亡き有名な画家が描いた、ニューヨークのマンハッタンの風景画。
達也と百合が出会った翌年に、達也の父親が買い求めた絵だ。今はこのラウンジに飾られている。
絵を見ながら達也は、小さい頃から自分と百合の関係はあまり変わっていないなと思った。
百合は相変わらず、自分に対して特別扱いはしない。
自分は相変わらず百合に魅了されている。
さすがに「リリア」に通っている自分に対して百合は「迷惑だから来ないで」なんてことは言わない。
百合は自分のことをどう思っているのだろうか、と達也は時々考える。ただの幼馴染か、今はそれにプラスして事務所のアルバイトスタッフとしか思っていないのだろうか。
物思いに更けながら、達也はアールグレイの入っているカップを手に取った。
その時、またあの鋭い気配を感じる。
(――やっぱり、気のせいじゃない)
達也は後ろを振り返った。
振り返った瞬間、ある男性が目に留まる。
知り合いではない。見たことのない顔だ。年齢は達也よりも上だろう。中肉中背の体形。達也と同じように色白だが、如何にも文学青年を絵に描いたような内気な見た目の達也よりもアクティブな印象だ。
ジャケットを羽織って高級ホテルらしいスマートカジュアルな恰好がしているが、普段はラフなTシャツにジーンズを着ていそうな雰囲気だった。
男性は特に怪しい雰囲気はない。淡々と手元のタブレットで何かを入力している。
達也は自分がイリーナ・ホテルに入った時には、すでにその男性がすぐ後ろを歩いていたのを思い出した。
あの男は多分、自分がイリーナ・ホテルに入って来てから、ずっとつけているのだ。
(――でも、どうしてあの男は僕をつけているんだろうか?)
まさか、自分があの覆面作家「柏木林太郎」だと知って追っている記者だろうか。
もしかすると、自分が西村財閥の長男だということにも気づいているかもしれない。
いや、アルバイトしている栄一の探偵事務所の顧客情報を得ようとしている人間か。
達也には誰かに後をつけられる心当たりがありすぎた。まあ、一番確率が高い答えは「気のせい」なのかもしれない。
ふいにベルガモットのうっとりするような香りが漂ってくる。達也の席に注文したショートケーキとアールグレイの紅茶が運ばれてきたのだ。
まず、紅茶を一口飲む。いつも思うが、素晴らしい香りと味わいだ。曇りない銀のフォークでショートケーキを口に運ぶ。濃厚な生クリームとイチゴの爽やかな酸味は何度食べても見事だ。
このアールグレイもショートケーキも、イリーナ・ホテルのラウンジ「リリア」が出来て以来の名物だった。
達也は「どれくらい前から、どれくらいの人々がこのアールグレイとショートケーキを味わったのだろうか」と思うと、いつもその歴史の大きさに飲み込まれそうになる。
しかし、今日はそこまで感傷的になれなかった。例の「鋭い気配」の男が気になって仕方ないのだ。
達也は気づかれないように男の様子をチラチラうかがった。
男はタブレットを操作し、たまにコーヒーカップを持ち上げる。一見、達也のことには見向きもしないように思われたが、達也は男のことが気になって仕方なかった。
達也は紅茶とショートケーキを食べ終えると、早々に席を立った。
本当はもっとのんびりするつもりだったが、男の鋭い気配が自分に突き刺さってくるようで落ち着いていられない。
達也が「リリア」を出ようとすると、男は何事もなかったような顔をしながらタブレットをカバンにしまい席から立ちあがった。
自分の後を追うように男が立ち上がったのを見て、達也は確信した。やっぱり、あの男は自分をつけている。
(――どうしようかな?)
達也は「リリア」を出てイリーナ・ホテルのロビーを歩きながら考えた。あの男が自分の後をつけていることに関して、どんなアクションをすればいいのだろうか。
――何か気になることがあったら教えてほしいの。
達也は百合の言葉を思い出した。パトリック・エヴァンスの襲撃予告の話を聞いた時の言葉だ。
あの男がエヴァンス襲撃予告に関わっているとは思えない。だが、百合に相談はしておいた方がよいかもしれない。




