夕立書店3
優ちゃんは遠慮なしに、あの人の手首を蹴り、手に握られていたナイフを地面へと落とさせた。
「元不良なめんなよ、クソガキ」
刺々しい優ちゃんの声。
こんな声、僕は一度も聞いたことはなかった。優ちゃんはあまり怒らない、とても寛大なのだ。
優しい優しい優ちゃん。優しすぎるからこそ、優ちゃんは不良になってしまった過去がある。そうさせたのは、優しい優ちゃんを絶望させた、周りからのプレッシャー。
夜中に街を彷徨いて、警察に保護されたこともあったそうだ。優ちゃんは自分の周囲に絶望したんじゃない、むしろ期待されている自分に絶望したのだ。何となくその期待から逃げたくて、流されるまま不良になった優ちゃん。
喧嘩して、夜中に街を彷徨いて、家に帰らず友達の家に泊り歩いたそうだ。
そんな優ちゃんがいたからこそ、今優しい優しい優ちゃんがいる。だから、僕は彼に心を許した。
あの人には足りない、全てを持っているから。優ちゃんを殺させたりはしない、絶対に。
そう思えば自然に、恐怖心は取れてくる。流石にもう、この行動を世間に隠しておく訳にはいかないだろう。あの人がしたのは殺人未遂だ、ストーカーも犯罪だけど僕の身に危険がなかったから、と言っても精神的には辛いものはあったものの、あの人はまだ女子高校生だ。未来ある女性だから、いつかは自分が間違っていると気づいてくれると期待していたんだけど……。
「……流石にもう警察呼ぶぞ、壱」
同意を求めているような言葉に聞こえるかもしれないが、これはもう僕にも止められない。普段、優しい優ちゃんはあまり怒らないが、怒らせてしまえば物凄く怖いのだ。まあ、僕はあまり怒られた事はないから見た感じだけど。
僕はきっと、優ちゃんが不良になって立ち直らなかったら、こんなにも側にいることはなかったと思う。だから、優ちゃんは僕にとって大切な親友なので、怖い優ちゃんを見ても大切な親友なのは変わらないから。
「優ちゃん、耳塞いでてよ」
と、そう言えば優ちゃんは、首を傾げながら僕に背を向けて耳を塞いでくれた。聞かれてても別に良かったが、少しだけ聞かれるのは恥ずかしいからね、聞こえていても恥ずかしさはだいぶ和らぐから。
「なあ、ストーカー」
びくっと肩を揺らす女子高校生。
立場は逆転したのがわかる、それはそうだろう。後ろには耳を塞いでいるものの、警戒を怠らず、殺気を放つ優ちゃんがいるのだから。
「今までなんで僕は君を見逃してきたと思う?」
僕はストーカーにそう聞いたが、怯えて返事は返ってこない。当たり前か、ストーカーだとは言え、まだ女子高校生だ。こんな強い殺気を浴びるなど考えてもいなかっただろう。でも、僕に好きになって欲しいならこのぐらいの殺気には慣れてもらわないと困るんだよね。
僕が大切にする人々は、僕を自分自身のように大切にしてくれている。だから、出会った当初は優ちゃん以上の殺気を浴びることになるのだから。ちなみにこの試練を突きつけられるのは彼女だけではなく、友人もだけどねー。
優ちゃんは平気だった。むしろ、殺気を向けるぐらいの余裕があったから佐月さんに気に入られた。ただ、それだけのことなの。
「優ちゃんに手を出さなかったから。僕だけなら耐えられる、でもね優ちゃんに手を出したら……流石に許せないよ、ストーカー」
「私はただ! あなたが好きで……!」
僕は自分でも空気が冷たくなっていくのを感じる。さっきまで、恐怖で動けなかったのに今はこんなにもこの人に呆れて、絶句する余裕がある。
「黙れよ、だからって優を殺そうとするのは許さないよ。君の勝手な都合じゃないか、僕が好きなら僕にとって優が必要な存在だと言うことわかっているんだろ? それなのに、君はそれを認めてくれなかった。しかも優を殺そうとしたんだよ、君の気持ちは受け取れない。
君は僕の大切な親友を殺そうとした、今までの罪を背負って君には警察に行ってもらう。今までの君の行動は、全て記録したあるから、君はストーカー罪と殺人未遂で警察に取り調べを受けることになる。ああ、忘れてた。まだ、君は未成年だから少年院に入るのかな? 僕はあまり法律に詳しくないからわからないけど、優を殺そうとした罪は重いよ? 結果的に優が強かったから生きてたけど、優を殺そうとしただけで僕は君を許さない。だからさ、二度と僕らの前に現れないでよ。それから、自殺は許さないからその罪の重さに苦しんで、君の人生を全うしてね?」
ああ、自分でも少し狂った言葉だと自覚している。だけどね、それほど僕は優ちゃんが必要なんだ。
そんな言葉を突きつけた瞬間、女子高校生は自分自身が今まで何をしてきたか自覚したようだ。顔が見る見る青くなっていく。気付くのがあまりにも遅いよ、君ならこうなる前に気づいてくれると思ったけど、やはり人間は何かを失ってから初めて物事の本質を気づくことが多いだと、僕は他人事のようにそう考える。
早く、市架を迎えに行かなければ行けないのに、警察署に行かなければならなくなるとは……。そう考えるとあまりに憂鬱過ぎて、欠伸が出てしまう。
「優ちゃん〜、帰りたいぃ!」
肩にぐりぐりと頭を押し付ければ、優ちゃんの殺気は和らいだ。その体勢を気にすることなく、警察に淡々と連絡を取る優ちゃん。
警察官に喋り掛けているとは思えないくらい、敬語であるものの、心を許したような優しい声で話す優ちゃんに僕は、肩に頭を押し付けるのを止めて首を傾げたのだった。
その十五分後。
棒付きキャンディーを口に含めながら、恐らくオーダーメイドなんだろう、何処か上品な雰囲気を出すロマンスグレーの『素敵なおじさま』と言う表現がよく似合う男性が現れて、思わず優ちゃんの腕にしがみついて警戒をする。
すると、その人は僕の方に視線を向けた後、優ちゃんの方へと視線を戻して棒付きキャンディーを食べるのをやめて、こう言った。
「なんだ、お前の背後にいる野良猫は。珍しいな、誰かに触れられることを嫌うお前が嫌がらないなんて」
「まあな、こいつは親友の壱。見ての通り、野良猫みたいなやつ。触れられるのが嫌だと感じないのは、こいつが俺に似ているからでそれ以外はあんたぐらいだよ。まあ、そんな話は後でいいだろ、今回被害にあったのは俺だけどストーカー被害に遭ってたのはこいつ。今まで壱が警察に突き出すなって言われてたから、警察に連れて行かなかったけど、流石に殺人未遂となればこいつも見放したらしい。喧嘩をすんなら武術を習えって言われて、渋々武術を習っておいてよかったよ、本当に」
珍しく、優ちゃんが長話をしている。それほどこの人は優ちゃんが心が開ける相手だと言うことなんだろうか? そう考えていれば、再び男性が僕の方へと視線を向けてきて、思わず肩を小刻みに揺らす。
それからと言え、何かを話すことなく、僕のことを無言のまま、見つめてくるだけで思わず……。
「優ちゃぁん!」
腐女子、腐男子に喜ばれようとも今は優ちゃんに抱きつきたくなるほど、僕は許量範囲の限界が近づいていたのである。
その次の瞬間、男性が笑い出す。
「何お前、優ちゃんって呼ばれてんの? お前不良時代だったら殴ってたのに随分と丸くなったものだ」
「優ちゃんって呼んで良いのは、壱と市架だけだ。市架がそう呼ぶかはわからんが、その他は殺気を向けてあしらうけどな」
僕はそんな会話を聞いて、呆然とすることしか出来なかった。……この男性、誰なんだろう? その疑問だけが僕の思考回路を支配していた。