夕立書店1
幼い市架を、一人にする訳にはいかない。兼ねてから頼んでおいた、夕立書店の店主天守佐月さんに市架を僕が迎えにくるまで、夕立書店で市架の面倒を見てくれることになった。佐月さんは四十代だと言うのに、アルバイトで手伝うことにした出会った当時から変わらない容姿で男前だ。
見た目は強面よりで、不良みたいな容姿をしているが、これでも高校生の女の子二人の父親である。だからこそ、市架を任せたと言うのもあるが、何よりもここのお客さん達は優しい人が多いから、彼にとって良い影響を与えてくれるんじゃないかと思ったからだ。
開発部は自由な人が多い、社長はそれについて諦めているみたいだと優ちゃんが言っていたが、随分と真面目で優しい人なんだそうだ。
優ちゃんは、人間不信じゃなく社交的で苦労人バージョンのお前だよって笑っていたが、いくらなんでも僕に似ていると表現するのは失礼だと思うんだがな。
「じゃ、仕事終わったら必ず迎えにくるから、佐月さんの言うことはちゃんと聞いて、市架いい子にしているんだよ?」
「はい、わかりました」
にこっと笑いながら、そう返事をしてくれる市架。僕はごめんねと言って、市架の頭を撫でた後、後ろ髪を引かれながら入り口に寄りかかるように立っている佐月さんにぺこりとお辞儀をし、声をかける。
「佐月さんにはいつもお世話になっているのに、たびたびすみません。市架のことお願いします」
「気にすんな、困った時はお互い様だ。それに俺にとって君は、もう家族のように大切な存在だ。この程度のことなど迷惑すらも感じないな」
と、そう相手を照れさせるような言葉をさらりと口にする、佐月さんには参ってしまう。こんな甘やかすような言葉、家族になんて言われたことがなかったから、どう反応して良いのかわからず、……そうですかとそう言って、夕立書店の前に止められている優ちゃんの車へと乗り込んだった。
「優ちゃん、待ったよね。ごめんね、どうしても市架が心配で」
「気にすんな、待つことには慣れてるから、そう気にしすぎるな。お前が慣れてくれるまで粘り続けた俺だぞ、このくらい待つことなんて大したことではないからな。それに、さっきまた佐月さんに甘やかされたな、照れてるし」
「優ちゃん優しすぎる……! それに流石、優ちゃん。見てないのに良くお分かりで……」
そう会話をした後、優ちゃんは上機嫌に口笛を吹き始め、車を運転しながらこう言った。
「当たり前だろ? それが優ちゃんクオリティーだ」
そんな面白おかしく言う優ちゃんに、僕は思わず笑みをこぼす。何故、恋人がいないのか不思議なくらい良い奴だなあ……と考えていれば、優ちゃんはニカッと歯を見せて笑って見せてくれる。
この優ちゃんの笑顔は、レアだ。愛想笑いじゃない、心から笑っている唯一の優ちゃんの笑顔。
そんな笑顔につられて、
「そうだね、優ちゃんはいつも僕を助けてくれるもんね! 僕は生まれる性別間違えたかも。女の子だったら優ちゃんに惚れてたのにね〜」
そう言えば、優ちゃんは、
「来世、お前が女の子で俺がまた男だったら嫁に貰ってやるよ。本当だよな、もしお前が異性だったら俺も惚れてたのになあ」
「まさかの遠回しな相思相愛」
優ちゃんの話に対してそう言えば、ちょうどタイミング良く赤信号だったためか、デコピンされてしまった。……ちなみに優ちゃんのデコピンは凄く痛かった。
「やめろ、腐女子に勘違いされて喜ばれるセリフだ。……車内だったから良かったものの、社内だったら歓喜の悲鳴だぞ。……ったく、壱は本当に無防備なんだから」
そんな優ちゃんの言葉に、僕は思わず血の気が引いた。
同人誌? と言うのだろうか、同人誌を間違えて読んでしまった以降から若干トラウマになってしまった。しかも、不運なことにその同人誌はBLものだったのだ。……誰がモデルにされたものだったかは聞かないでほしい、相当ショックでまた立ち直れなくなるから。
ギャグ程度のBLは平気だ。
別に同性同士の恋愛を否定するつもりもない。……だが、流石にBLメインの漫画は読めないんだ……。
「まだ引きずってたか、アレ」
「…………うん」
「まあ、しょうがないよな。俺は腐男子な兄がいるから耐性あるけど、壱はしょうがないよ」
この会話が終わった時、ちょうど赤信号から青信号に変わった。車を発進させる前、優ちゃんは僕の頭を数回撫でてくれた。……本当、優ちゃんは優しいなあ。
そんなやりとりをしてから、三十分後に会社に着いた。駐車場から会話をしながら歩いていれば、受付嬢が僕らをガン見して黄色い歓声を上げているのが聞こえてくる。優ちゃんが言うには、BLを好む女子を腐女子と言うらしい。彼女らがそうかどうかなど、僕には一生知り得ないことなんだろうし、優ちゃんが僕を送り迎えしてくれるのは恋人関係だからとかではなく、別の理由があるからな訳であり……。
「人間関係は複雑だなあ」
「そうだな、お前の我儘じゃなくて俺がそうしたくて、いや……心配だからこうしているのであって、壱は周りの目なんか気にすんな。お前が俺と一緒に出勤するのはアイツのせいなんだし、それをわざわざ同僚や上司、部下に言う必要があるかと言われればそうでもないんだろうし、まあ一応は社長には伝えておいたけどな」
やっぱり優ちゃんは優しいなあ。
……いつも、後向きな考えになろうとした瞬間、優ちゃんがいつも優しい言葉で助けてくれる。
「頼りにしてる、優ちゃん」
「ありがとう、壱。俺もお前を一番頼りにしてるぞ」
僕達は、そう照れながら会話を交わしつつ、自分のデスクがあるオフィスに向かうのだった。