第3話 僕も、成り上がりたい
「これからって……明日は藤田さんのお店に行って、それから、また何か仕事を探すことになると思うけど」
慎吾は膝の上の鞄を抱え直しながら答えた。
今日は何とかお金を稼げて、明日もまた仕事をもらえるような感じで藤田さんに言ってもらえたが、それ以降はまだどうなるか分からない。
まずは食べていくためのお金を用意するしか、今のところ自分には考えられなかった。
「藤田さんのところで仕事の相談を受けるのは、私も賛成よ。当面のお金が必要なのは間違いないんだし。でも、私が聞いてるのは、その先の話」
「その先……?」
言っている意味がすぐには掴めず、慎吾はきょとんとして聞き返した。スマートグラスの中のアイちゃんは、やれやれと言わんばかりに肩をすくめてみせる。
「元の時代でもアンタはフリーターで、副業というか、ゲームの感想を書いたりしながらお小遣いを稼いでたけど、結局思うようにはいってなかったでしょ?ここでも同じように生きてたら、そのまま歳を取って、結局同じような未来になるわよ?」
慎吾は返事ができず、鞄の持ち手を握ったまま視線を落とす。
これまでの生活に特別不満があったわけではない。ただ、お金にはもう少し余裕が欲しかったし、自分はこのままでいいのかという思いもあった。けれど、そんな自分を変えようと思って動いたことは、今のところない。
「私はアンタをサポートするAIだからね。前に、思ったことがあれば何でも言ってほしいって頼まれたし、あんまり突っ込まれたくなさそうなことにも、今回は突っ込ませてもらったけど。何か考えはあるの?」
そう言われても、あるはずがなかった。
朝、ゴミ捨て場で目を覚ましてから、まだ数時間しか経っていない。今日をどうやって生き延びるかで精一杯だったのに、今後の人生まで聞かれても困ってしまう。
慎吾が黙っていると、スマートグラスの中のアイちゃんが、少しだけ表情を和らげる。
「……ねぇ、アンタも少しは、お金持ちになりたいとか、そういう気持ちはあるんでしょ?」
「それは……あるよ。欲しいものを買う時に、いちいち残高を気にしなくていいくらいにはなりたいし。でも、どうしたらいいかなんて分からないよ」
「じゃあ、何も考えずに今までどおり暮らしてたら、どうなると思う?」
問いかけられても、慎吾には答えが出てこない。こちらが口を開く前に、アイちゃんが指折り数えるように話し始めた。
「とりあえず食べていく分のお金を稼いで、家に帰ったらゲームをしたり、アニメを見たり。それで夜な夜なあっち系の動画も見ながらゴソゴソして、また次の日も仕事に行って……って、それでそのまま歳を重ねちゃうわよ」
「えっ!?ちょっ、ちょっと待って!」
思わず声が大きくなり、慎吾は慌てて周囲を見回した。幸い、近くのベンチに座っている人はいない。イヤホンへ顔を寄せるようにして、小声で問いただす。
「なんでそんな、僕が内緒で見てる動画のことまで知ってるの!?」
そういう動画を見る時は、アイちゃんを起動させないようにしていたはずだ。画面を覗かれたり、横から何か言われたりしたら落ち着かないので、それだけは気をつけていたのに。
ところが、スマートグラスの中のアイちゃんは、何を今さらとでも言いたげな顔をしている。
「アンタねぇ……ブラウザの履歴を残してるんだから、そんなのバレバレなのよ」
「り、履歴……」
完全に盲点だった。
動画を見ている時に起動していなければ、それでもう大丈夫だとばかり思い込んでいたのに、後から同じパソコンやスマホをアイちゃんが触るのだから、履歴を消していなければバレるのも当然である。自分の浅はかさに、慎吾は思わず言葉を失った。
「それに、家計の管理も私に任せてるでしょ。クレジットカードの利用明細だって、身に覚えのない請求や不正利用がないか、私が毎月ちゃんと確認してあげてるんだから。サブスクの引き落としとか、アンタが何にお金を使ってるかも、こっちは全部分かってんのよ」
言われてみれば、確かにそうだった。
いつの間にか増えていたサブスクの支払いとかを見てもらったこともあるし、月末にお金が足りなくなって、何を削ればいいか相談したこともある。その時は「やっぱり頼りになるな〜」としか思っていなかったけども、まさか内緒にしてたそういうのもバレてたなんて……
そこまで考えたところで、慎吾は耳まで熱くなるのを感じた。
「……あれも、分かってたんだ」
「何を指してるのかは知らないけど、たぶんアンタが考えてるやつは全部分かってるわよ」
アイちゃんは楽しそうに口元を緩めている。慎吾が顔を伏せると、今度は少し身を乗り出すようにして話しかけてきた。
「いや、勘違いしないでよね。アンタが夜な夜なゴソゴソしてるのを批判してるんじゃないの。余計なストレスを溜め込むくらいなら、適度にゴソゴソしてもらう分には、私は全然構わないのよ?」
「うっ……」
わざわざその言い方を繰り返さないでほしい。
そう思うのに、見られていないつもりだったものを知られていた恥ずかしさで、うまく言葉が出てこない。スマートグラスから目を逸らしても、視界の端には、含み笑いを浮かべたアイちゃんがついてくる。
「私が言いたいのは、今のこのチャンスをうまく使って、成り上がりたいとか、そういう気持ちはないのかってことよ」
「……え?チャンス?」
予想もしなかった言葉に、慎吾は顔を上げた。
何の前触れもなく過去へ飛ばされ、知り合いもいない場所で、今日食べるものにさえ困っていたのだ。どう考えても大変な事態に巻き込まれたとしか思えず、チャンスと言われても意味が分からない。
「はぁ〜……よく考えてみなさいよ。アンタはなぜか過去に来ちゃったけど、幸運にも一人じゃないのよ?」
アイちゃんは腕を組み直すと、堂々と胸を張った。
「アンタには、未来の知識も情報も、いろんなスキルも持った、最強無敵のアイちゃん様がついてるじゃないの!」
「あっ……」
先ほどのホームページも、自分にはとても作れないものを、アイちゃんは簡単にどうしたらいいか教えてくれた。けれど慎吾の頭にあったのは、今日の食事代と、明日も仕事がもらえるかもしれないということばかりで、正直そこまでは考えていなかった。
「ぶっちゃけ、さっきアンタにやってもらってた作業も、藤田さんのパソコンとアンタのノートPCかスマホをつないでチャチャっとデータを送れてたら、一時間かかってた作業が一瞬で終わってた可能性もあるのよね」
言われてみれば、確かにそのとおりだった。自分のパソコンの中でアイちゃんに直接ファイルを作ってもらい、それをそのまま移すことができれば、あんなに必死でキーボードを叩く必要すらなかったはずだ。
しかし、それならどうしてさっき作業している時に教えてくれなかったのか。慎吾が思わず恨みがましい目でレンズの端を見つめると、アイちゃんは少しバツが悪そうに視線を逸らした。
「……まぁ、人のお店のパソコンを操作して、勝手に『このPCの操作を許可します』とかいうのをやるのは、モラル的にどうなんだとも思ったし、あんまり一瞬で終わらせちゃってもそれはそれで怪しさがいっぱいになっちゃうし、一応は未来のものを目につくようなところに出すのはどうかと思ったからやらなかったけども。今は当面のお金が大切だから、それでいいわよ。でも、もしアンタに『実はもっとお金を稼ぎたい』とか、『ラノベの主人公みたいにハーレムを目指したい』とか、そういう願望があるんだったら、恥ずかしがらずに私に言いなさい!」
「ハ、ハーレムって……」
急にそんな話まで持ち出され、慎吾は困ってしまう。お金持ちになれたらとは思うが、複数の女性に囲まれて暮らす自分の姿など、まったく想像がつかない。
アイちゃんは、こちらの反応を気にした様子もなく続ける。
「ここは異世界じゃないけど、アンタの読んでるラノベだって、現代を舞台にしたファンタジー物とかあるでしょ。普通に暮らしてた主人公が、ある日、特別な力を手に入れるような話」
「……うん」
「考えようによっては、アンタの今も似たような状況じゃないの。誰も未来を知らない時代に、私と一緒に来たんだから。アンタにその気があるなら、この状況を生かさないでどうすんのよ!」
慎吾は、鞄の中にあるノートPCへ目を落とした。
これまで自分が、動画を見たりゲームをしたりするために使っていたパソコンだ。スマホとこの中にアイちゃんがいる。彼女に頼めば、自分では作れないものまで作ってもらえるんだから、確かにそれで技術的なチートが出来るのは、何となく理解できる。
ただ、そう考えると、別の引っ掛かりが生まれてしまった。
「……でもさ。未来の知識を持ってるアイちゃんの力を借りて、過去で無双するなんて、なんだかちょっと反則じゃない?」
この時代の人たちには分からないことも、自分だけ未来のAIであるアイちゃんに教えてもらって助けてもらうのは、何というか狡すぎる気がする。
真面目に答えたつもりだったが、アイちゃんは「はんっ」と小さく鼻を鳴らした。
「アンタのその真面目な性格は、私も長所の一つだと思うわよ?でもね、ぶっちゃけ言っちゃうけど、そんなふうに遠慮してたら、世の中で成り上がるのは無理よ!」
思っていたよりも厳しい言葉が返ってきて、慎吾は思わず背筋を伸ばした。
「もっとお金持ちになりたいなら、『何が何でも成り上がってやる!』くらいの気持ちも必要なの。せっかく使えるものがあるのに、使っていいのかなって悩んでばかりじゃ、何も始まらないでしょ!」
「そ、そうかもしれないけど……」
急にそんな勢いを求められても、どうすればいいのか分からない。
慎吾が困った顔をしていると、アイちゃんは少し考えるように顎へ手を当てた。
「……まぁ、そこは性格の問題だから、あんまり強くは言わないけど。でもね、仮にアンタがいた時代で大成功してる人が、同じ状況になったらどうすると思う?」
「えっ?」
「自分だけ未来を知ってたり、AIが一緒にきているのを反則かもしれない、って遠慮するかしら。むしろ、その知識とAIを使って何ができるか、どうやってもっと大きく稼ぐか、そういうのを真っ先に考える人が大半だと思うわよ」
慎吾は何も言えず、スマートグラスの中の彼女を見つめていた。
自分がニュースや動画で見たことのある成功者たちを思い浮かべても、確かに「反則すぎるから使うのはやめよう」と言いそうな人は、あんまりいない気がする。
「それとね。アンタは、自分だけ未来のAIを使うのは反則だと思ってるかもしれないけど、そんなことを言ったら、大金持ちの家に生まれた人や、王族とかに生まれた人はどうするのよ。その人たちが持ってるお金や人脈を使うのも、反則だと思うわけ?」
「いや、それは……」
そういう家庭に生まれたのだから、仕方がないのではないか。
そこまで考えて、慎吾は口を閉じた。アイちゃんも、こちらが何を考えているのか分かっているようで、すぐには言葉を重ねなかった。
「世の中、みんながみんな同じ条件でいられるわけじゃないのよ。根が真面目なアンタには、すんなり入ってこないかもしれないけど」
少し間を置いてから、彼女はこちらへ指を向ける。
「勝つか負けるか、やるかやらないか。そういう時に、持ってる力を使うことまで遠慮してたら駄目。悪いことをしろって言ってるんじゃないの。せっかく使えるものを、変に意識して使わずにいようとするなって言ってるのよ」
慎吾は鞄の持ち手から手を離し、両手で頭を抱えて考え込んだ。
実際、藤田さんの店ではアイちゃんに助けてもらい、完成したホームページを喜んでもらえた。自分でできなかったことを彼女に手伝ってもらったからといって、それが悪いことだったとは思えない。
「それに、私はアンタが自分で入れて、自分で性格を調整したAIなんだから。スマホやパソコンを使うような気持ちで、そんなの気にせず頼ってくれればいいのよ」
アイちゃんは腕組みを解き、今度は少し穏やかな声で続ける。
「その結果、アンタが幸せになってくれるんだったら、私も嬉しいし」
「……うん」
慎吾は小さく頷いた。
初めてアイちゃんを動かした時のことを、少し思い出す。説明どおりにやっているはずなのにうまくいかず、何度も投げ出しかけた末に、ようやく動いてくれたのだ。あの時は、こんな話をするようになるなんて思いもしなかった。
「で、アンタとしてはどうしたいの?私に遠慮する必要はないから、正直な気持ちを教えてほしいわ」
問いかけられ、慎吾は少しだけ考えた。
お金はある方がいいに決まっている。欲しいゲームを買うのに迷いたくないし、毎月の支払いを気にしながら暮らすのも、できることならやめたい。
それだけではない。
いつかは自分も……と思いつつ、手の届かないような暮らしをしている人たち。自分もそっち側にまわれるものなら、是非ともなってみたい。
今までは、そんなことを考えても、どうせ自分には無理だと片付けていた。
けれど、目の前のアイちゃんは、そのために力を貸すと言ってくれている。
ふと顔を上げると、公園の向こうに二〇〇〇年の街並みが見えた。まだ誰も、これから先にどんな時代がやってくるのかを知らない街だ。
慎吾は小さく息を吸い込んでから、視界の中の彼女へ真っ直ぐ目を向けた。
「……僕も、成り上がりたい」
口に出してみると、やはり恥ずかしい。使えるお金は千六百八十六円しかなく、今夜泊まる場所さえ決まっていないのに、何を大きなことを言っているのだろう。
それでも、取り消す気にはならなかった。
アイちゃんは嬉しそうに笑うと、こちらへ大きく頷いてみせる。
「了解。それなら、私はアンタの望みが叶うように、全力でサポートしてあげる」
そう言った後で、思い出したように指を一本立てた。
「あっ、もちろん、やりたくないことがあったり、私の提案に意見があったりしたら、ちゃんと言いなさいよ?私に言われたからって、嫌なことまで無理にやる必要はないんだから。人には言いにくいことでも、AIになら言いやすいでしょ?」
「アイちゃん……」
こんな時だけは、彼女が端末の中で動いているAIだというのを忘れそうになる。
言いにくいことを遠慮なく指摘してくれる一方で、自分の考えを無理やり押しつけることもない。何を望んでいるかを聞いたうえで、それに対して力を貸すと言ってくれる。
慎吾はスマートグラスの中の彼女を見つめながら、心からありがたいと思った。
ところが、その気持ちを口にするより早く、アイちゃんの笑顔が少しばかり意地悪なものへ変わる。
「まぁ、私にはアンタのことなんて、何でも分かっちゃってるからね。夜な夜な見てる動画の好きなジャンルは――」
「あー!あー!それは言わなくていいから!」
慎吾は慌てて両手を振り、また大きくなってしまった声に気づいて周囲を見回した。
顔を真っ赤にして制止する間も、スマートグラスの中のアイちゃんは、実に楽しそうに笑っていたのだった。




