第16話 モラトリアム
あの日から、奏ちゃんとは連絡を取ることもばったり会うこともなかった。
告白の返答を返せなかった手前、自分から連絡なんてできるはずもなかった。
「はぁ……」
幾度目か分からないため息をコーヒーで流し込む。
グアテマラの程よい酸味が気を紛らわしてくれる。
喫茶“モダンタイムス”に通えば、いつかは彼女に会えるかもしれない。
そんな淡い展開はラブコメの中だけだろう。
そんなことは自分でも分かっている。
結局、僕は誰を選ぶこともできていない。
いや、そもそも選ぶなんておこがましいか。
10億を使って南の島にでも引っ越そうか。
誰もいない場所で、ゆっくりと余生を過ごすのも悪くない。
「おい、青少年。憂いを秘めた瞳でため息ばっかりつきおって」
「高宮さん……」
「お姉さんからの励まされ待ちかい?
まったく、キミは相変わらずかまちょだねぇ」
「はは、バレてましたか……」
「お、えらく素直じゃんか
お姉さんの家に来るかい?」
「そんなこと言われたら、本当に行きますよ?」
「別に警戒する間柄でもないだろ。
ドンと来い!」
高宮さんはそう言って豊満な胸をポンッと叩く。
いや、ムニュ……かもしれない。
✾
気づけば彼女の家で一緒に映画を見ていた。
「まさか、ハム男が浮気だなんて……」
人語を話すハムスターのドロドロの恋愛模様を描いた謎映画……隣で感情移入しまくっている高宮さんがなんだか、可愛く見えてきた。
っと、いかんいかん。
こういうとこだぞ、僕!
「きゃっ、濡れ場だ……」
高宮さんが子どもっぽい反応で、手で顔を塞ぐ。
指の隙間からハムスターのベッドシーンを見て、頬を赤らめていた。
いや、部屋の電気は消していたから、
頬の紅潮は僕の妄想だ。
映画を観て喜怒哀楽を発露する高宮さんを見て、
僕は楽しんでいた。
「ひゃー、まさか駆け落ちエンドとは……ハムスターの世界も楽じゃないわ」
「高宮さんが楽しそうでよかったです」
「まったく、土井くんってば、どこ見てんだか。スタ子の浮気を問い詰める見せ場を見逃してないでしょうね?」
高宮さんは昔っから僕を土井くんと呼ぶ。
子どもの頃、晴人呼びをした時、姉ちゃんがキレたからだ。
姉ちゃんだって土井なのにな。
「おーい、無視かー!」
高宮さんが僕の頬を指でつつく。
「あ、すみません。考え事をしてて」
「はぁ、また別の女の子のこと考えてたの?
悩みが多くていいわね」
「いや、よくないでしょ。
高宮さんだって悩みの一つくらいあるでしょ?
よかったら話聞きますよ」
「おっ、ようやく私に興味を持ったか?
それとも、ハム男みたくキープ枠を作っとくみたいな?」
「僕への偏見が凄いですね。
キープも何も彼女なんてできたことないですよ」
「ふーん。喫茶店に来てた奏さんって子は?」
「そうですよね……どうしてすぐに返事をしなかったんだ。僕のバカ!」
「ちょ、落ち着いてよ……踏み込んだ質問して悪かったって」
高宮さんの手が僕の手に触れる。
「あ……ごめん……」
彼女は慌てて手を引っ込めた。
「高宮さんって……ちゃんと女性だったんですね」
「は? ちょっと土井くん、どういう意味よ!」
彼女はポカポカと僕の肩を叩く。
「ちょ、痛いですって」
勢い余った高宮さんに押し倒された。
彼女はそのまま僕の胸に頭を預けた。
「私だって……女の子なんだぞ……」
「24歳女の子はちょっとイタいですけど……」
茶化してないと、思わず高宮さんを抱き締めてしまいそうだった。
ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ。
「ちょ、痛いですって、頭突きをしないでください」
「土井くんは……大人になったね」
「そんなことないですよ。
泣かなくなっただけで、迷ってばっかりだったあの頃と何も変わりませんよ」
「私は……どうだろうか?」
「高宮さんは少し、おば……へぐっ!?」
彼女の頭突きが僕の顎にクリーンヒットする。
「殺すっ!」
何度も頭突きを繰り出す彼女の頭を必死に押さえた。
「ちょ、冗談ですってば、やめてくださいよ」
気づけば彼女の背中に手を回し、頭を必死に撫でてなだめていた。
右手に触れるブラのホックの感触がやけに生々しかった。
彼女の柑橘系のシャンプーの香りのせいで、
どうしても女性だと意識してしまう。
「……晴人」
高宮さんは僕の名前を呼んで、そのまま動かなくなった。
暴れ疲れて眠るなんて……子どもかよ。
女性の肌の温もりを振りほどけない僕も大人とは言えなかった。
「瑠奈……」
僕は初めて彼女の名前を口ずさんだ。
心なしか、彼女の体温が上がった気がした。




