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王妃という名の社畜2.0、お断りします 〜婚約破棄をガッツポーズで歓迎したら、氷の大公に引き抜かれた件〜  作者: 冬野 結
大公妃という名の幸福

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未来の約束

「ロザリンド様が、お通りになりますわよ!」


朝の大通りに、子どもの声が跳ねた。


ロザリンドが視察用の馬車から降りると、街路樹の梢(こずえ)に白い花輪(はなわ)が揺れている。パン屋の軒先(のきさき)にも、仕立屋(したてや)の窓辺にも、果物商(くだものしょう)の店先にも、同じ花輪。妊娠を祝う大公国の習(なら)わしだという。


ただ、彼女が想定していた言葉とは、少しちがった。


「ロザリンド様、お体を大切に」


「ロージー様、無理なさらないでくださいね」


そして、馬車のそばまで駆けてきた花屋の主人が、頭を下げながら言った。


「世継ぎ様のご懐妊、誠におめでとうござ──」


その言葉を、隣のルーカスが短く遮(さえぎ)った。


「順序が違う」


主人が、ぱっと顔を上げた。


「母(・)が(・)先(・)、(・)子(・)が(・)後(・)だ(・)」


ルーカスは、当然のように言い切った。


「祝うべきは、まずロザリンドだ。世継ぎの誕生を祝うのは、世継ぎが顔を出してからでいい。今は、産む人間を労え」


花屋の主人は一瞬きょとんとして、それから深々と頭を下げ直した。


「ロザリンド様、どうかご無事で」


ロザリンドは、わずかに眉を上げ、隣を見上げた。


──そういう文化が、もう、ある。


ロザリンドは前世の自分の声を、一瞬だけ思い出した。

「結婚はまだ?」「子供は?」「次は?」──仕事の合間に、誰かれ構わず投げつけられた質問。あれは、産む側の体を労る言葉ではなかった。


ここは、ちがう。


「……まあ、合理的ですわね」


つい、敬語が崩れかけたのを慌てて咳払いで隠す。ルーカスの口の端が、わずかに上がった。


***


執務室に戻ると、机の上に関税改定の最終確認(さいしゅうかくにん)書類が積まれていた。妊娠中期(にんしんちゅうき)。ロザリンドは羽根ペンを取り、いつもの速度で数字を追う。


「ロージー」


書類を覗き込んだルーカスが、低く言った。


「無理はするな」


「無理ではありませんわ。座って書いているだけです」


「……それを無理と言わない君が、いちばん心配だ」


ぼやいてから、彼は秘書官へ振り返り、短く告げた。


「ロージーがやりたいだけやればいい。彼女が止めたら、即引き取れ」


秘書官は深く頭を下げた。異論を挟む者は、この執務室に一人もいない。


その沈黙を、ロザリンドはペンの音越しに聞いた。覚書一冊にも、それは表れていた。午後に侍女頭が運んできた分厚い綴りの表紙に、ルーカスの筆跡が一行。


「気に入らなければ全部捨てていい。一からやり直す」


「壁紙(かべがみ)の色まで、ロザリンド様のご意思を最優先に──それが、閣下の唯一のご指示でございます」


ロザリンドは綴りを受け取り、ふっと笑いをこぼした。


労務管理の鬼ですわ、この方は。前世の上司に聞かせてやりたいくらい。


***


夕方、二人で窓辺に立った。


ルーカスは前置きもなく、こちらを向いた。


「ロージー」


「はい」


「君は母になっても、ロージーだ」


その一言だけだった。世継ぎ様の母君でも、大公妃殿下でもない。ただ、ロージー。


ロザリンドは、自分の中で何かが、とん、と静かに着地する音を聞いた。


「閣下」


「ルーカスでいい」


ロザリンドは、一度、口を閉じた。


──同じ台詞を、前にも聞いたことがある。あのときは、語尾に「今日は」と、期限(きげん)がついていた。


その「今日は」が、今日は、なかった。


「……期限の定めは、ないんですのね」


「ない」


契約でいえば、有期(ゆうき)から無期(むき)への切り替えだった。田中律子(たなかりつこ)が、ついに一度も手にできなかった種類の安心だった。


「……ルーカス様」


「うん」


「ありがとう、ございますわ」


短く、それだけ。

彼は満足げに頷いて、視線を窓の外に戻した。


そのまま、ふと付け足すように言う。


「君が望まないなら、何もしなくていい。後継(こうけい)のことも、君が決めていい」


ロザリンドは少し笑って、答えた。


「産(・)み(・)た(・)い(・)か(・)ら(・)、(・)産(・)む(・)の(・)よ(・)」


雇用契約の時と同じ口調だった。

自分で決めて、自分でサインする。今度も、ちゃんと。


***


その夜、本棚の隅に、新しい巻が一冊、静かに加わった。背表紙(せびょうし)の表題は、まだ墨が乾いていない。


「ロザリンド大公妃の時代」


本人は、それを知らない。机の数字を追うことに忙しくて、史官が何を書いていようと、たぶん気にも留めない。


***


執務机の片隅に、紙が一枚、広げられたままになっている。


二人で書きかけた、子の名前の候補リスト。

ルーカスの字とロザリンドの字が、行ったり来たりで並んでいる。


だが、決まらない。


「生まれてから、顔を見て決めよう」とルーカスが言い、

「それまでに私の好み、ちゃんと伝えておきますわ」とロザリンドが返した。


リストはまだ長くなる。

あと、何度でも書き換えられる。


──そして、誰(・)に(・)も(・)奪(・)わ(・)れ(・)な(・)い(・)。


窓の外で、白い花輪が夜風に揺れていた。

明日もきっと、街の誰かが、彼女の名前を先に呼ぶ。


「君は母になっても、ロージーだ」——名前も選択も誰にも奪われない着地にじんとしたら【泣ける】、有期から無期へ切り替わる“期限のない約束”にきゅんとしたら【にこにこ】を! ★がひとつ増えるたび、二人の未来へ祝福が積まれます。

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