表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

46/66

読まずに、お返しいたします

祖国の使者団(ししゃだん)は、二度、頭を下げた。


──二度目のほうが、前のめりだった。


サザーランド卿の馬車が国境(こっきょう)へ向かったその同じ日の午後、()()わりのように、第二(だいに)の使者団が大公国(たいこうこく)の門をくぐっていた。


謁見の間。


「では、本題(ほんだい)に入らせていただきたく」


グレイ財務官が、額の汗を白い手巾(しゅきん)で押さえた。


謁見の間の空気は、もう一度凍り(なお)したあとだった。先刻、サザーランド卿に「お断り申し上げます」を伝えたばかりの長椅子に、ロザリンドは姿勢を崩さず腰を下ろしている。


ルーカスはその半歩後ろ、椅子に深く座ったまま、片肘を肘掛けに乗せていた。視線は使者団の方角を向いているが、誰の顔を見ているのかは、誰にもわからなかった。


公爵令嬢(こうしゃくれいじょう)たるあなたには、祖国法上(そこくほうじょう)王家(おうけ)への奉仕義務(ほうしぎむ)がございます」


グレイの声が、ようやく事前(じぜん)()ってきた台詞の調子(ちょうし)を取り戻した。


「先刻のサザーランド卿の交渉(こうしょう)とは別件(べっけん)として、祖国法上の身分義務(みぶんぎむ)により、経済顧問の地位を返上し、祖国にお戻りいただきたく」


「ふうん」


ロザリンドは、ふうん、と一文字だけ返した。


***


「ひとつ、確認させていただいてもよろしくて?」


「な、何なりと」


「祖国法上の、公爵令嬢の奉仕義務、と仰いましたわね」


「……は、はい」


ロザリンドは、ほんの少しだけ首を傾げた。


「私、エイベル公爵家から、正式(せいしき)分籍済(ぶんせきず)みですわ」


グレイの瞳孔(どうこう)が、見える距離で、ぐっと(ちぢ)んだ。


出国前(しゅっこくまえ)に、父が手続(てつづ)きしてくれましたの。書類はお見せしますか?」


ロザリンドの脳裏(のうり)に、ほんの一秒、あの日の書斎の光景が浮かんだ。


出立の前、父・エイベル公爵が、書斎の(つくえ)の引き出しの奥から取り出した、封蝋のまだ新しい一葉。分籍証書(ぶんせきしょうしょ)だった。「万一のとき、祖国がお前を()び戻す口実(こうじつ)を一つも残さないでおいた。お前はもう、この家の令嬢ではない」と父は短く言った。あのとき、ロザリンドはただ「ありがとうございます、お父様」と頭を下げた。


書類は、執務室の鍵付(かぎつ)き引き出しの奥にある。


「アンナ、分籍証書(ぶんせきしょうしょ)の写しをお見せして」


「すぐにお持ちします」


執務室と謁見の間は、走れば二十秒。アンナはほぼその時間で戻ってきた。封蝋つきの一葉(いちよう)が、グレイの前に滑り出される。


「ご確認くださいませ。祖国王立記録院そこくおうりつきろくいん受理印(じゅりいん)、入っておりますわ」


グレイの顔から、はっきりと、血の気が引いた。


***


ルーカスがようやく口を開いた。


「公爵令嬢ではない者に、公爵令嬢の義務を()せるなら」


低い声だった。


「それは、祖国法ではなく、ただの恫喝(どうかつ)だな」


グレイの首筋を、汗の一筋がはっきりと伝うのが、ロザリンドのいる位置からも見えた。


「た、大公閣下、それは──」


グレイが言いかけた弁解は、最後まで形にならなかった。代わりに、使者団の中ほどから、若い書記官が一歩、前へ進み出る。


「……それと、もう一件」


震える指が、一通の封書(ふうしょ)を取り出した。


聖女(せいじょ)様より、ロザリンド様への、私信(ししん)でございます」


ロザリンドは封書を受け取り、封蝋に視線を落とした。


ミリアの個人印(こじんいん)差出(さしだし)は王宮の北棟(きたとう)。──開封(かいふう)しなくても、中身は半分わかる。


ロザリンドは封を切らずに、(たく)の上に静かに戻した。


拝読(はいどく)は、()()()()()()()()()


書記官が、ぴくり、と肩を震わせた。封を切られることのないまま卓に伏せられた封書と、「お断り」という一語とのあいだに、取りつく島はなかった。


ロザリンドは、その空白を、誰にも詫びなかった。


「ご私信に、国家間(こっかかん)公的効力(こうてきこうりょく)はございません」


「……は」


個人宛(こじんあて)の私信は、個人(こじん)として受け取り、個人として処理(しょり)いたします。祖国の交渉材料(こうしょうざいりょう)ではございません」


「し、しかし、聖女様ご本人の──」


「ご本人のご署名のある、公的(こうてき)依頼書(いらいしょ)は、お持ちですか」


グレイは、答えられなかった。


***


ロザリンドは、卓の上の封書を、指の先で、書記官のほうへ押し戻した。


「個人宛の私信ですので、こちらでお(あず)かりする筋合(すじあ)いもございません。お持ち帰りくださいませ」


書記官が深く一礼し、封書を(うやうや)しく取り上げた。


「お返事は、明確(めいかく)に──」


ロザリンドは姿勢を正した。


()()()()()()()()()


分籍証書の先回りで身分義務を音もなく崩す手際に「親、いい仕事した」と頷いたら、【びっくり】か【いいね】を! ★は、開かれなかった封蝋への一票として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ