隣のベッドの、白いシーツ
中庭。
噴水の縁に腰掛けて、アルフレッドが笑っていた。
その隣に、薄い水色のドレスの令嬢がいる。リリィ伯爵令嬢。──ここ最近、アルフレッドがしきりに側へ置きたがる、新しいお気に入りだった。
「アルフレッド様」
ミリアが歩み寄ると、アルフレッドの整った顔に、ほんの一瞬だけ、煩わしげな影がよぎった。
それでも彼は、すぐに王太子の笑顔を作る。
「ミリア。何か用か」
「ご一緒に、よろしいでしょうか」
リリィ伯爵令嬢が立ち上がって、完璧な礼をした。
「私のような者が、王太子殿下のお時間を頂戴してしまって……皆様のおかげで、こんな素敵な午後を」
ミリアの指先が、冷たくなった。
その台詞は、知っている。
三年前、ロザリンド・エイベルが社交場の隅にいた時、ミリア自身が散々使った技法だ。震える声。潤む瞳。控えめな笑顔。庇護欲を引き出す、計算された献身の演技。
リリィ伯爵令嬢の上目遣いは、ミリアのそれより少しだけ若く、少しだけ瑞々しかった。
(……あの手つき、どこかで見たことがある気がする)
(──思い出せない。思い出したくない)
ミリアは、アルフレッドの耳に唇を寄せた。
「アルフレッド様。ご報告がございます」
「なんだ」
「世継ぎを、授かりましたわ」
アルフレッドの瞳が、わずかに見開かれた。
その後の表情を、ミリアは見逃さなかった。──喜びでも、驚きでもない。安堵だった。
これでお前に触れる義務がしばらく免除される、という安堵。
「ああ。よくやった」
アルフレッドはミリアの肩を軽く叩いた。犬を褒めるような触り方だった。
「ゆっくり休め。世継ぎに障るといけない。今夜は、俺は外で食事だ」
立ち上がって、リリィ伯爵令嬢に手を差し出す。
「妃候補が大事な時期だ。私が外でお相手を務めるのは、貴族としての配慮だろう、リリィ嬢」
「まあ、なんてお優しい」
二人が去っていく。
噴水の音だけが、ミリアの耳に残った。
(よくやった、ですって)
下腹に手を当てる。
(犬じゃないのよ、私は)
しかし、他責のスイッチは、いつものように、即座に入った。
(──全部、ロザリンドお姉様のせい)
(お姉様が、ご自分の婚約者ひとつ繋ぎ止めていらしたら、こんなことにはならなかった。あの方がこうも移り気で、すぐ別の娘に目移りなさるのは、長くお側にいながら、心ひとつ掴んでおけなかったお姉様のせい。本来なら、私はもっとふさわしい愛情で迎えられていたはずなのに。お姉様の不始末を、私が引き受けさせられているだけ)
---
夜。
寝室の灯りを落とすと、隣のベッドの白いシーツが浮かび上がった。
皺ひとつない。今夜も誰も座らない。
ミリアはひとり、自分の側のベッドに身を横たえた。
(世継ぎを産めば、全部うまくいくはず)
(お姉様、見ていなさい。私はお姉様より、上手にやってみせる)
胃の奥から、嘔吐感がせり上がってくる。鈴を鳴らしても、夜勤の侍女はすぐには来ない。
結局、誰も来なかった。
ミリアは寝台の脇に置かれた盥を、自分で引き寄せた。背を丸め、声を殺して、一人で吐いた。
背中をさすってくれる手も、水を差し出してくれる手も、ない。吐き終えたあと、口を漱ぐ水さえ、震える手で自分で注いだ。
(……世継ぎを宿す身が、どうして、こんなふうに)
考えかけて、やめた。考えたところで、誰も来ないことは、変わらない。
隣のベッドの白いシーツが、闇の中で、それでも一段だけ白く見えた。
盥を自分で引き寄せる夜に「そっちの隣じゃなくてよかった」と胸を撫で下ろしたら、【びっくり】か【いいね】を! ミリアを応援したい方は【泣ける】を!逃げた選択への拍手がわりに★をひとつ。




