31/開けましておめでとうで、ましまし
夏である。
黙って立っているだけで、汗のふきでる夏である。
だというのに、わたしは額から汗を流して、大量の焼きそばを炒めている。
本日は商店街主催の夏祭り。今年もお隣は、H信用金庫さん。変わらぬメンバー。変わらぬメニュー。土曜日で休日出勤だというのに、代休はなし。まったくもって割りに合わない。
「楽しいからいいじゃないすか」
早崎くんの割りに、本日は良い子ちゃん発言だ。理由は簡単。永井さんの他にも、インコのココちゃん一押しの藤原さんが側に居るからだ。斎藤さんも含め、若手女子三名に囲まれて、早崎くんは俄然ヤル気モードにはいっている。それ幸いに、わたしは「トイレ」と戦線離脱をした。
「前迫くん。ちゃんと手を洗ってくるのよ」
広瀬さんが実に失礼な事を言う。広瀬さんらしいおせっかいに、「はいはい」おざなりに手を降る。すると今度は、「前迫くん。ナマ買って来て」所長が言う。
飲むんですか? まだ夕刻ですよ。これから祭りはヒートアップするんですよ。いち早く飲んだくれるつもりですか? そう思うものの、逆らえるわけがない。
「了解しました」
わたしの返事に、「あ、じゃあ僕も」
早崎くんは無視した。お前なにふざけてんだ。焼きそば作りながら、飲むなんて十年早い。わたしだってした事ないんだ。下っ端がビール飲めるのは、片付けの後にきまっているだろう。
一番遠いトイレへ向かう。
その合間に屋台をひやかす。金魚すくいに足がとまりそうになる。
そう。わたしはペットロスこと、メジロロス状態であった。腑抜けであった。仕事はきちんとこなしている。三食食べて、ギャンブルはせず、煙草ものまない。酒は少々だし、借金はない。きちんとした生活。安定した仕事。なのに心には、ぬぐいきれない侘しさがある。
「彼女つくればいいじゃないすか」
早崎くんに言われた。
違う。お前は何も分かっていない。彼女じゃないんだ。わたしが欲しいのは、育てる対象なんだ。社の飲み会でそう叫ぶと、広瀬さんに同情のこもった目で見つめられた。
「分かるわ! 前迫くん」
広瀬さんはわたしのコップに、ビールをそそぐ。
「それは彼女とかじゃダメなの。それは空の巣症候群なの!」
空の巣症候群。すなわち手のかかった子育てを終えた世のお母さん達の罹るアレ。独身アラサー男のわたしが同病。笑うに笑えない。しかもめっちゃ共感できる。
酔った勢いもあって、わたしは広瀬さんと互いの肩をがっしと組み合い、「そうです! わたしに必要なのは女じゃないんだ! こどもなんだ!」と叫んだ。
「同士!」
広瀬さんも叫んだ。
翌日この記憶は、黒歴史としてただちに封印した。なるだけ思いださないように努めている。なのに街角で、ちいさな生き物を目にすると思いだしてしまう。
……金魚かあ、ちいさいし、カワイイよな。しかしできればもう少しだけ、手間がかかって、生意気で、親の心子知らずなキャラが良いな。
俺さまタイプで、食い意地がはってるとか。
問題ばかりおこすとか。
地味なのに侮れないタイプとか。
そこまで考えて、わたしはハッとした。
いかん。いかん。油断するといつものおセンチモードにはいってしまう。目先の労働に邁進し、忘れるのだ。ビールを買って、さっさと戻ろう。
「よ、旦那!」
おちゃらけた声の主が、わたしの肩を叩いた。
「しけた面してますね、旦那。良い子を紹介しましょうか」
見なくても分かる。
わたしは一気に仏頂面になった。善三だ。
本日の善三はつなぎではない。粋でいなせを気取ったつもりか、紺色の浴衣姿だ。だがどこからどう見ても、温泉街の酔っぱらいにしか見えない。帯も浴衣の裾も、でろんでろんだ。いっそ頭にはちまきを巻いていないのが、不思議になってくる。
「なんで居るんだ?」
「まえちゃんの焼きそば食べに来いって。まっつぁんに声かけられて」
まっつぁんとは、松岡所長だ。ふざけた呼び名だ。それを許す所長も所長だ。
「ま、焼きそばはさておいて。まずはこっち。こっち」
そう言って、群衆から離れた場所に連れて行かれる。
「おい、わたしは仕事で来ているんだぞ」
「いいから、いいから」
善三は浴衣の袂から丸いものを取り出した。ソレ見覚えあるぞ。
「すずめ団子……」
わたしの呟きに、善三は顔を輝かせた。
「まえちゃん。覚えていてくれたんじゃん。でも惜しい! 正確にはみたらしすずめ団子」
茶色のボール三ヶが連なるものだ。覚えているとも。そしてあの時はそっけない態度をとったが、正直今なら欲しい。かなり欲しい。
「……くれるのか?」
「もちろん!」
「そうか」
気が変わったら大変だ。わたしは速攻で、みたらしすずめ団子を善三の手から奪い取った。
「積極的だね! まえちゃん」
善三がにやついている。その顔つきが怪しい。わたしは手のなかの団子を試しに振ってみた。
「……随分軽いな」
「え? そう?」
「すずめって、メジロよりでかいだろう。なのに軽いぞ」
「え? わかる?」
善三の笑みがふかくなる。
「これ空なんじゃないのか?」
こいつ。わたしをからかいに来ただけなんじゃないのか。そう思った途端、落胆と腹立たしさがわきあがる。
「確か、以前は試作品だと言っていなかったか?」
「うん。すずめって、これがまた強情でさあ。俺が頼んでも、なかなか入ってくれる奴が現れないんだよね」
「すずめには、お前の胡散臭さが分かるんだろう。結構な事だ」
ボールのなかで、カサっと蠢く気配がある。空じゃない。ではなんだ? まさかこいつ、害虫でも入れているんじゃないだろうな。恐ろしい想像が頭のなかを駆け巡る。
「気が変わった。いらない」
問答無用で突っ返す。
「ええ?」
善三に押し付けて、ビールの屋台を探す。危ないあぶない。とんでもないもんにひっかかる所であった。
「ちょっと。ちょっと、まえちゃん! 困るって。これ、まえちゃん用の特別製なんだから」
「うるさい。知るか」
「ほら。今ならただ! ゼロ円だから。持ってけドロボー」
そうしてシャツのポケットにぐいぐい押し込め様とする。バカ、やめろ。抵抗しようとするが、コイツ無駄に力が強い。水道修理の賜物か? くそ、押し切られてしまう。すったもんだしていると、ボールのひとつが内側から勝手に開いた。
「あっ」と善三が言った。
「ああ?」とわたしが叫んだ。
でて来たのはすずめではない。害虫でもない。
でて来たのは、わかい一羽のメジロであった。
一羽でると、残りのボールも開いてさらに二羽でる。
「一でちゅ」
「二でちゅ」
「三なのでしゅ」
舌ったらずの、このしゃべり方。
「たまごちゃん!」
わたしは羽ばたく三羽をそっと手に乗せた。
「ね、旦那。良い子がいるって言ったでしょう?」
善三は随分得意そうだ。
手のなかの一二三は飛んだり跳ねたりしている。祭りを楽しんでいる人たちが、怪訝な顔で眺めては去って行く。
「なんですずめ団子に、メジロなんだ!? なんでたまごちゃん達がいるんだ? やっくんは? にーくんは? まっしーはどうしている?」
「呼ばれて飛び出て、まっしーで、ましまし」
善三の浴衣の合わせから、まっしーが手品の鳩もかくやという勢いで飛び出して来た。あまりの驚きに、わたしはのけぞった。
「まっしー! え、本当に? え、なんで?」
ダメだ。頭が混乱する。会えた嬉しさで、胸のあたりがむずむずする。口元もにやけている。善三の目がなければ、四羽まとめて今すぐもふりたい。
「まず一つ」
善三が人差し指をあげる。
「やっくんと、にーくんは俺の代わりに、すずめの説得役で、交渉に行ってもらっている。ネゴシエーターメジロだ。カッチョいいだろう?」
いや。そもそもそれ、メジロにやらせるべき案件なのか?
「次に」
わたしの侮蔑の視線もなんのその。善三は中指をあげる。
「その間、たまごちゃん達は夏期休暇をかねてこっちに遊びに来ている」
「まっしーはお目付役で、ましまし」
「三つ」
最後に薬指をあげる。
「たまごちゃん達は、まだメジロボールのメジロじゃない。だから福を引かなくてもここにいる。まあ、言ってみれば親戚宅に遊びに来ているって感じだ。どうだ? これで納得か?」
どうでも良い。善三の説明などほぼ右から左。
こいつらと一緒にいられるという事実に、わたしの心は舞い上がっている。
「メジロがめじろおしで、ぎゅむぎゅむでちゅよ」
一が言う。
「おなかがちゅいてまちゅ」
二が言う。
「ぺこぺこでしゅの」
三が言う。
そしてまっしーと共に、「ごはん! ごはん! ごはん!」と囀りだした。
わたしは四羽を腕のなかに囲った。
「よし、飯だ」
腕のなかで四羽が、きゃっきゃっと騒がしい。
「まってよ、まえちゃん。俺も行くって」
善三が慣れない下駄でついて来る。
夕暮れ空がまっかに染まっている。なんて世界は鮮やかなんだ。わたしは踊るこころのままに駆け出した。
完