第三十話 ルヴァイン公爵家へ
王都の中心部から少し離れた高台に、その屋敷はあった。
ルヴァイン公爵家。
王家に次ぐ権勢を持つ、この国屈指の名門公爵家である。
どの派閥にも属さず、中立を貫いてきたことで知られ、かつての王位継承争いにおいても第一王子派、第二王子派のどちらの陣営にも属さなかった。
そんな彼らが支持を表明したのは、第三王子だったステファンが王位を継いだ後のことだ。
彼の目指す政治に賛同し、その治世を支えることを選んだのである。
以来、嫡男であるセドリック・ルヴァインは、ステファンが厚い信頼を寄せる近衛騎士として彼を支えていた。
重厚な門扉の先に広がる広大な庭園と、堂々とした白亜の屋敷を見上げ、楓は思わず息を呑んだ。
「……大きい……」
「王宮を見慣れた後でも、そう思うんだね」
隣から、穏やかな声が掛かった。
声の方を向くと、ステファンがどこか楽しそうに目を細めていた。
柔らかな陽光を受けた金髪が揺れる。
王としての威厳を纏っていても、楓を見る時だけは、その表情は驚くほど優しかった。
「うん。公爵家って本当にこんな感じなんだね……」
「ん?こんなって?」
「なんだかお城みたい」
そう言うと、ステファンは小さく笑った。
「ルヴァイン公爵家は特別だからね。王家を除けば、この国でも最高位の家門だ」
「そんなすごい家に、私が……」
改めて現実味を帯びたその事実に、楓は緊張して息を呑んだ。
楓がなぜここにいるのかというと、話は少し前に遡る。
ステファンと思いが通じ合い、楓はこの世界に残り、ステファンと共に生きることを決めた。
けれど、異世界転移者という曖昧な存在のままでは、王族の婚姻相手としては立場が弱く、後ろ盾が無いに等しい。
そのためステファンは、初代王妃の時と同様に、楓を正式にルヴァイン公爵家の養女に出来ないかと考えた。
相談を受けたルヴァイン公爵も、二つ返事で了承してくれて、今に至るという訳だ。
「……やっぱり、未だに夢みたい」
楓がぽつりと零すと、ステファンの眼差しが少しだけ柔らかくなった。
「夢じゃないよ」
静かな声音だった。
「君はもう、この国で生きていくと決めてくれたんだから」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなる。
もう帰らない。ステファンの隣で生きていくと、そう決めたのは自分だ。
すると、少し後ろに控えていたマリアが弾んだ声を上げた。
「カエデ様、ルヴァイン公爵夫妻も、カエデ様が来られるのをとても楽しみにしておられましたわ」
その声に、楓は振り返って聞き返す。
「本当……?」
「ええ。娘が出来るのねと奥様が大変張り切っておられました」
「娘……」
その響きに、楓はほんの少しだけ目を伏せた。
母を亡くしてから、家族という言葉はどこか遠い存在になっていた彼女の心に、その言葉が優しく沁み込んできた。
そんな楓の様子を、ステファンとマリアは優しい顔で見つめていた。
不意に、楓に向けて、静かな低い声が落ちる。
「……これからは遠慮などしなくていいからな」
声の方に顔を向けると、そこには、兄の立場となったセドリックの姿があった。
目が合っセドリックは、わずかに視線を和らげた。
「これから、私たちは家族になるんだから」
「セドリック……」
「これからは兄として、君が安心できる場所にしていきたいと思っている」
短い言葉だった。
けれどそこには、真っ直ぐで優しい気遣いが滲んでいた。
楓は思わず小さく笑う。
「うん、ありがとう。えっと……お兄様」
「……ああ」
それだけ言うと、セドリックは小さく息を吐いた。
ほとんどその表情に変化は無かったけれど、どこか肩の力が抜け、ほんの少しだけ口角が上がっているようにも見えた。
その様子に、マリアがくすりと笑う。
「セドリック様、随分と安心されたご様子ですわね」
「……マリア」
「ふふっ」
穏やかなやり取りに、楓の頬も自然と緩む。
セドリックは元々、多くを語る人ではない。
けれど彼がいつも、自分を気にかけてくれていたことを、王宮で過ごした時間の中で、楓は知っていた。
危険があれば真っ先に動き、必要以上に踏み込むことはせず、それでもいつも傍にいてくれた。
きっと彼は、守ることを言葉ではなく行動で示す人なのだ。
「それにしても」
ふと、マリアが楽しそうに口を開く。
「陛下は、ずっと複雑そうなお顔をされてますわね」
「え?」
楓が瞬くと、マリアは意味深に微笑んだ。
「ルヴァイン公爵家の養女になる件ですわ」
その瞬間、ステファンが少し気まずそうに眉を寄せた。
「おい、マリア」
「あら、事実ではありませんか」
「……何が?」
首を傾げる楓に、マリアは楽しげに続ける。
「陛下は、セドリック様がカエデ様の兄になることが、あまり面白くなかったようで」
「えっ?」
思わず楓がステファンを見る。
すると彼は、露骨に視線を逸らした。
「別に、不満があるわけじゃないよ」
「その態度、逆に怪しいよ?」
「む……」
どうやら図星だったらしい。
楓が思わず吹き出すと、ステファンは小さく溜息を吐いた。
「だって仕方ないだろう?君の周りに私以外の男が居るのは、例えそれがセドリックだったとしても、落ち着かないよ」
ステファンはほんの少し拗ねた様な表情で言った。
けれど次の瞬間、ステファンの口元がふっと緩んだ。
「まあ、私はカエデの兄上になりたい訳じゃないから、我慢するけどね」
そう言って向けられた笑みには、先程までの不満など欠片も残っていなかった。
「……う……うん」
彼の笑顔と言葉に、楓の頬が一気に熱くなる。
そんな楓を見て、ステファンはとても幸せそうに微笑んだ。
その後、二人の様子を微笑ましく見ていたマリアが、ふふっと笑った。
「ちなみにわたくしも、陛下に命じられたから付いて来たわけではありませんのよ」
「え?」
「たとえ命じられなかったとしても、カエデ様に着いて行かせていただきたいと、自ら願い出ておりましたわ」
マリアの言葉に、楓は目を丸くする。
「カエデ様のお側は、とても居心地が良いのですもの」
「マリア……。ありがとう」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなった。
楓は改めてルヴァイン公爵家の屋敷を見上げる。
これから始まる新しい生活に、もちろん緊張はある。
それでもその胸には、不安よりもずっと大きな期待が満ちていた。




