2巻P191_銚子の片口・両口の事
両口の銚子は略式のものである。
古の殿中では片口の銚子を使っていた。
『魚板持参記』には「お祝いのときは片口の銚子を使う」と書いてある。
『式膳部記』には「公方様がいらっしゃるときなどその他きちんとした席では片口の銚子で酒を注ぎ、銚子の口を包むこともない。片口の銚子がない場合は両口の銚子を使うので、口の包み方もある。他流では木の葉を結い付けるなど色々の包み方もあるようだが、自流では一向にそのようなものはない」云々と書いてある。
『条々聞書』には「式三献(※盃を出席者で3巡させる飲み方)において、普通の盃を使うときも銚子は片口のものを使うものである。公方様は、正月の5か日その他の朔日には、片口の白い銚子を使う(「白」とは白メッキのことであると『宗五一冊抜書』に書いてある)。入れる酒も白酒である。また、私的な場で片口の銚子がなければ、片方の口を包む。出陣のときその他祝い事のときにも、片口の銚子を使うものである」云々と書いてある。
今の世の中では、片口の銚子は使われることなく、すべて両口のものばかりとなった。
一説には、銚子の右口は切腹する人に酒を飲ませるときにこの右口から酒を入れるので、通常は包んでおくというが、間違いである。
常時切腹人のために口を2つ付けておくことはない。両口の銚子は大きな酒盛りで客人が入り乱れて酒を飲むときに、右の人にも左の人にもその盃に酒を注ぐために両口になっているのだ。切腹のためではない。
切腹人に酒を飲ませるときも、いつものように左口から酒を注ぐものである。その時は銚子の持ち方はいつもと違って、左右の手を取り替えて逆に持つ(※逆さ事の思想である)。
入り乱れての酒盛りのとき以外には右口から酒を注ぐことはない。
【頭書】『東鑑』30巻に「盃を片口の銚子に入れ、折敷(※台のこと)の上に置く。銚子は蓋を被せる」と書いてある。
『古今著聞集』14巻には「白河法皇が深い雪の朝に雪見に行こうとして(中略)朽葉色の汗袗を着た童子が2人いて、ひとりは沈香の折敷に玉の盆、銀の皿に金の橘が一房盛られたものを持ってきた。もうひとりは片口の銚子に酒を入れて持ってきた」云々と書いてある。
ここでわざわざ「片口の銚子」とあることから、両口の銚子も古からあったと考えられる。
『海人藻芥』に「山名修理太夫入道(紀州・佐州国の両守護)は一時期仁和寺に居住していたが、年始に罷り出て三献の儀があり毎回集まって酒を飲んだ。銚子は片口を包んでいた。このことを高尾張入道以正が非難して「銚子の口を包むのは略式である。かの禅門の家中では不足のものである」云々と言ったが、以正に対して「不肖の身といえども、片口の銚子以下祝儀の具足は、武州師直の時代から京中の職人が作ったもので、この形のように不足はない」云々と言った」と書いてある。
銚子の形や注ぎ方は現代でもあれこれ言われていますが、口が多いのは単に皆で仲良く飲みやすいようにできている、というくらい素朴に理解することが適当なようです。
作法ばかりではお酒は美味しく飲めませんね。




