第1話:完璧主義者の願掛けと、太陽みたいな遭遇
京都の秋晴れは、盆地特有の底冷えを忘れさせるほどに澄み切っていた。
修学旅行生と外国人観光客の熱気でごった返す伏見稲荷大社の境内。朱塗りの鳥居が延々と山肌を穿つ千本鳥居の入り口で、高校生の俺――漣怜は手元の旅程管理表に落とした視線をわずかに歪めていた。
「怜くーん! あそこのお狐さんの前で一緒に写真撮ろうよ!」
向こうから小走りで駆け寄ってきたのは、同じ班の女子生徒たちだ。流行りのポーズを作りながら無邪気にスマートフォンを向けてくる同級生に対し、俺は表情筋をコンマ一ミリパーセントも動かさずに告げた。
「不要だ。現在地から奥社奉拝所までの動線において、写真撮影による滞留は平均四分二十秒の遅延を生む。今日の全行程のタイムスケジュールが崩れる合理的ではない。結論から話せ。時間の浪費だ」
「えっ……あ、うん。……もういいや、行こ行こ」
女子生徒たちは一瞬で引き攣った笑みを浮かべ、潮が引くように去っていった。
遠ざかる背中を見送りながら、小さく息を吐き捨てる。
悪気があるわけではない。ただ、あらゆる事象において論理的な最短距離と完璧な効率を求めてしまう俺の思考速度に、同年代のサピエンスがついてこれないだけだ。
彫刻のように端正な美貌を持ちながら、声をかけられても会話をコンマ一ミリ秒で論理瞬殺してしまうため、ついた異名が「氷の美形論理マシン」。
「……くだらないな。サピエンスを化かす狐の社、か」
自由行動で班を離脱した俺は、冷ややかに千本鳥居の奥へと足を踏み入れた。
どこを見渡しても浮かれた観光客ばかり。なぜサピエンスは、実体のない曖昧なものに祈りを捧げるのか。
「神だの奇跡だの、非論理的にもほどがある。……だが、もし本当に神なんて超越者が存在するなら、この俺の思考速度と対等に話せる知性くらいは持ち合わせているんだろうな」
奥社に辿り着いた俺は、白木の狐絵馬を買い求めると、付属の黒マジックを手にとった。
家内安全でも学業成就でもない。日頃の鬱屈とやけくそが混ざり合った、前代未聞の願意を殴り書きする。
『本気で対等に話せる可愛い彼女がほしい。神なら俺の知性についてこられるだろ』
「狐がサピエンスを化かすなんてナンセンスなんだよ。実在するなら結果を示してみろ」
カツン、と絵馬掛けに絵馬を乱暴に引っ掛けると、俺は踵を返した。
神頼みなどという非科学的な行動をとってしまった自分に舌打ちをしながら、足早に伏見稲荷駅へと向かう。
◇
一方その頃――伏見の神域、朱色の奥殿。
「ぎゃはははははは! ちょっとユナ、これ見てよ! 前代未聞の絵馬が届いたんだけどーっ!」
けたたましい笑い声をあげて絵馬を掲げたのは、黄金の毛並みを持つ落ちこぼれの狐神・アユミだった。
白銀の毛先を美しく整えた上位狐のユナが、冷ややかな視線でその絵馬を覗き込み、一瞬で額に青筋を浮かべる。
「『可愛い彼女がほしい。神なら俺の知性についてこられるだろ』……ですって!? 万死に値するわ! 神をマッチングアプリか何かと勘違いしているのかしら、この不敬なサピエンスは!」
「だよねー! 神罰案件だよね! どんな生意気なクソガキか、顔だけでも拝んで突き返してやろ!」
ふたりで下界の鏡を覗き込んだ、その瞬間だった。
鏡に映し出されたのは、人混みの中を歩く男子高校生――漣怜の姿。
風に揺れる黒髪、涼やかで凛とした目元、非の打ち所がない黄金比の輪郭。秋の木漏れ日を浴びて歩くその姿は、神代の美男神すら裸足で逃げ出すレベルの、超ド級の国宝級イケメンだった。
「「――――――――」」
神域の空気が、ピタリと止まった。
「……アユミ」
「な、なに、ユナ……?」
「……神とは、迷える子羊を慈悲深く導くのが本来の務めよ。特にあの少年は、極めて重篤な論理の迷宮に囚われているわ。エリートである私が直々に下界へ降り、彼の『理想の彼女』として正しく導いてあげるべきではないかしら」
「待ったぁーーーっ! エリートぶって抜け駆けはずるい! 私だって落ちこぼれなりに、あのイケメンの彼女枠……じゃなくて、守護神として傍にいてあげたい!」
掴み合いのキツネファイトを始めようとしたふたりの頭上に、突如として陽だまりのような温かな神気が降り注いだ。
『騒がしいわね』
宇迦之御魂神さまの、朗らかな声が響く。
『稲荷神たるもの、常に陽気な福をサピエンスに届けてこそよ。どちらが守るか迷うなら、相手の好みもあるでしょう。ふたりとも今風の姿になって下界へ行き、あの迷える少年に最高の福を届けておやりなさい!』
『「ええっ、ふたりでですか!?」』
宇迦之御魂神さまの豪快な笑い声とともに、ふたりの身体は眩い光に包まれて下界へと弾き飛ばされた。
◇
伏見稲荷駅のホーム。
俺は自動販売機でソルティ・カザフ(炭酸飲料)を買い、手元の腕時計に視線を落とした。
「次の準急まであと三分。ホテルへの到着予定時刻は十七時十五分。ここまでは旅程管理表通りの進行だな」
自分の完璧なスケジュール管理に小さく頷いた、その時だった。
「おーい! そこのイケメンの高校生くーーん!」
鼓膜を突き抜けるような、底抜けに明るい声。
改札口の向こうから、太陽の光をそのままサピエンスのかたちに凝縮したような絶世の美女ふたりが、こちらへ向かって手を振りながら猛ダッシュしてくるのが見えた。
ひとりは、ゆるふわのカジュアルな装いで無邪気な満面の笑みを浮かべたアユミ。
もうひとりは、洗練されたクール系ファッションでモデルのようなスタイルを誇るユナ。
ふたりは息を切らす様子もなく俺の目前にピタリと滑り込むと、花が咲き誇るような眩しい笑顔で両腕をガッシリと抱え込んだ。
「つっ、捕まえたー! 制服見れば一発、修学旅行生でしょ君!」
「ちょっと待て、いきなり何だおまえたちは。他者との境界距離に対する認識が――」
「細かいことは後! せっかく京都に来たのに、そんな難しそうな顔してホームで突っ立ってちゃ大損よ!」
ユナが勝ち気な瞳をキラリと輝かせ、俺の顔を至近距離で覗き込む。
「私たち、ここ京都の地元民(神)なの! せっかくの修学旅行、あんたに最高の京都を案内してあげるわ!」
「は……? 地元民? いや、俺の旅程管理表に基づけば、十五分後の電車に乗るのが最適解で――」
「だーめ! 電車の時間なんてポイッ! ほら行くよ怜くん、京都爆走ツアーの始まり始まり〜っ!」
「ちょっ、名前……なぜ俺の名を――!?」
完璧主義の男子高校生の抗議などどこ吹く風。
太陽のように陽気で規格外なふたりのお姉さんに両腕を引かれ、俺は秋の京都の喧騒へと力任せに連れ去られていくのだった。




