1384.構文篇:表記:ふりがなに意味を持たせる
今回は「ふりがな」つまり「ルビ」についてです。
小説投稿サイトでは「ルビ」機能が標準でついています。
それをどれだけ使えばよいのでしょうか。
表記:ふりがなに意味を持たせる
多くの小説投稿サイトには「ルビ」を振る「ふりがな」機能があります。
最大限に活かせば、伝えづらいものをわかりやすくする利点があるのです。
ルビを振る
「ふりがな」を「ルビ」と呼びます。
語源はイギリスの古い活字の名称です。活字はそのサイズごとに宝石の名前を付けていました。「Ruby」はその中で5.5pt活字を指したのです。
「ふりがな用の小活字」を転じて「ふりがな」全般を指す言葉となりました。
日本では「ふりがな」に7号活字を用いており、これをポイントに直すと約5.2ptです。つまりイギリスの「Ruby」活字のサイズに近かったので、「ふりがな」に用いる活字を「ルビ」と読びました。「ルビーを振る」と呼ばないのは単に語呂が悪いからです。
文章中のすべての漢字にルビを振るのを「総ルビ」と呼びます。幼児や小学校低学年向けの本でよく見ますよね。絵本なんて「総ルビ」の最たるものです。
難解な一部の漢字だけルビを振るのを「パラルビ」と呼びます。
他にも当て字のような、漢字一字ごとにルビを振れない場合に使うのが「グループルビ」です。「秋刀魚」「蒲公英」が「グループルビ」になります。
しかし小説投稿サイトで「総ルビ」を振るのはかなり面倒です。そこで難読語ごとに「グループルビ」を振るのが小説投稿サイトでの基本的な用い方となります。
たとえば「語源」とルビを振ります。
「パラルビ」だと「語源」のように漢字一字の読みを「ふりがな」にします。
生真面目に考えれば、漢字一字ごとにルビを振るのが正しい。
漢字一字にそのような読みのない「秋刀魚」「蒲公英」などの当て字には「グループルビ」を使うのです。
ですがここで問題があります。当該の漢字にその読みがないと断言できない文字も存在するのです。たとえば「山女」。これは魚の「やまめ」の漢字です。これは読めないでもないのですが、ちょっと難易度が高い。「山女」とルビを振れないでもない。しかし「やまめ」は同じ漢字を用いた「山女魚」と書く場合もあります。これだと「魚」に読みがなが割り振られていませんよね。だからこの場合は「山女魚」と「グループルビ」にせざるをえません。しかし小説投稿サイトで確認すると漢字一字ごとに「山」に「や」、「女」に「ま」、「魚」に「め」のルビが振られてしまうのです。これだと漢字にそういう読み方があるように見えてしまいますよね。「向日葵」のように漢字の字数とルビの字数が違えば「グループルビ」だとすぐにわかるのですが。
ここがとても難しいところです。
将来「小説賞・新人賞」を獲って紙の書籍化したいのなら、手間ですが「パラルビ」を採用してください。
それが出版社の標準だからです。「グループルビ」を使うのは当て字のときのみにしましょう。
正直に言って「とても面倒くさい」。
ですが、日本語を正しく表現するには、「漢字一字に対応する読みがなのルビを振る」のが合理的なのです。
だから手間で面倒ですけれども「漢字一字に対応する読みがなのルビを振る」ようにしてください。
平易な漢字にまでルビを振る「総ルビ」にする必要はありません。しかしもし小学校低学年や幼児向けの小説を書く場合は。とっても面倒ですが「総ルビ」をしてください。しかも「漢字一字に対応する読みがなのルビを振る」というさらに面倒な仕様にしましょう。とくに小学生向けの児童文学を書くのなら、高学年で習う漢字には必ず「パラルビ」を振りましょう。用いる漢字も小学校で習うものだけにしてください。
物語の質が同じでも、ルビが適切に振られているかどうかで選考を通るかどうかが変わってくる可能性もあります。児童文学はそのくらいの手間をかけてでもきめ細かく「ルビを振る」のがたいせつなのです。
ここで考えてしまうのは「ルビ」は「ふりがな」そのものを指しているので、「ルビを振る」は「ふりがなを振る」つまり「振り仮名を振る」と同じ「振」の字を使っているんですよね。
本来ならこのような書き方は許されません。
ですが用字用例の観点からは「ルビ」は「振る」ものだとされています。
この点を踏まえると「ふりがなを振る」もあながち間違いとは言いづらくなるのです。でも「ふりがなを振る」は「振」の字の重複なので明確に禁止です。
なぜ「ルビを振る」はよくて「ふりがなを振る」は駄目なのか。
それは「ルビ」の語源である「Ruby」がイギリスの古い活字の大きさつまり「小活字」「5.5pt活字」を指しているからです。つまり「ルビを振る」とは「小活字を振る」が正しく、「小活字を振る」というわけですね。
主客転倒
本来ルビは「読めない漢字」を間違えず正しく読んでもらうために振るものです。
しかし時として主客転倒します。
「さんまを焼く」「たんぽぽの綿毛」のようなものです。
本来なら漢字を書いて読みがなのルビを振ります。ですがこの例では読みがなを書いて当て字のルビを振っているのです。
似たようなパターンとして「漢字に英語を当てる」があります。「市民」「社会」「民主主義」のようにルビを振るのです。
実はこれらは本来英語やラテン語の概念だったものを、明治時代に高等教育で用いるため無理やり漢語とした和製漢語なのです。明治時代の中国には「市民」「社会」「民主主義」なんて単語は存在しません。すべて明治時代の日本人による創作つまり「造語」です。
だから本来なら「Democracy」のようなルビの振り方が正しいはずです。元々英語だったものを和製漢語にしたわけですから、ルビにふさわしいのは「漢字」のほう。
応用として「和製英語に正しい英語を振る」なんて使い方もできます。「|トランプ《playing cards》でババ抜きをする」のようなやり方です。(『カクヨム』と『ピクシブ文芸』ではルビにできましたが『小説家になろう』だとルビになりませんでした)。
ルビを考えるとき、主客転倒をあえて考えてみるのも日本語の言葉遊びとして楽しめると思います。
平成ガンダム三部作のひとつ『新機動戦記ガンダムW』のオープニング・テーマを担当したTWO−MIXの楽曲は、この主客転倒のルビを多用した歌詞が多いのがひとつの特徴です。
たとえば同作オープニング・テーマの『JUST COMMUNICATION』では「感じ合える 確かな青春 誰にも奪えないから」のようにルビを振っています。「青春」は「いま」とは読みません。しかし文脈を通して見てみると、ここでの「青春」は「いま」なんですよね。
ここに作詞家・永野椎菜氏の才能の片鱗を見ます。
この手の主客転倒な「ルビ」を知るために、TWO−MIXの歌詞を数多く読んでみてください。とにかく「これでもか」と斬新な「ルビ」に出会えますよ。
最後に
今回は「表記:ふりがなに意味を持たせる」について述べました。
小説にとっては、たかが「ふりがな」であっても、必要最低限でもあるのです。
とくに児童文学はすべての漢字とはいかないまでも、難しい漢字には必ずルビを振ってください。それも「漢字一字に対応する読みがな」を振るのです。手間だからとルビを振らなかったり、「グループルビ」で対応したりしてはなりません。正確にルビを振るのが、児童文学では必須です。
一般の「小説賞・新人賞」への応募作でも「ルビを振る」心遣いは不可欠です。
同レベルの作品が競い合っていたら、大賞を射止めるのは「心遣い」がわかる作品になります。




