34 お前、まさか……本当に未来を変えているのか?
「退避命令? ブラックボックスから? 魔女が出現した?」
エレベーターシャフトに通じる穴の近くで、取っ組み合いを続けていた京は、ブラックボックス全館に響き渡る、緊急避難命令を耳にして、驚きの声を上げる。
戸惑いの表情を浮かべつつ、京は己の耳を疑う。魔女という非現実的な存在の出現を、いきなり告げられても、京には信じられなかったのだ。
「魔女が出たのか。スリルのアホが、アニヒレイターに願いやがったな!」
忌々しげに、言葉を吐き捨てた花果王に、京は問いかける。
「――お前、何か知っているのか?」
「アニヒレイターには、魔女が宿っている。その魔女に生贄を捧げずに願いを叶えて貰おうとすると、魔女が自分で生贄を調達しようとして、辺りにいる人間を皆殺しにしようとしやがるんだよ」
「魔女だと? そんな非科学的な! 超能力的な力ならまだしも、魔女は無いだろ、魔女は!」
「俺の話が信じられないなら、無線で仲間に訊いて、確かめてみたらどうだ?」
そう花果王に言われた京は、無線機で薊に問いかけてみる。そんな京に返って来たのは、花果王の話を裏付けるかの様な、魔女の出現を原因とする、薊からの退避命令であった。
「本当に、魔女が出現するなんて……」
常軌を逸し過ぎた事態に直面した京は、呆気に取られたのだろう、弱々しく呟く。驚きの余り、呆然としてしまった京には、隙が出来る。
その隙を、花果王は見逃さない。瞬時に京の手を振り解くと、花果王はエレベーターシャフトに通じる穴の中に、飛び込む。
「あ! 待てッ!」
即座に我に返った京も、花果王の後を追い、穴に飛び込む。鉄骨などを足場にして、猿の様に身軽に上って行く花果王の後を追いかけ、京もエレベーターシャフトの中を、上り続ける。
「警察からの非難命令を受け、多数の人々がブラックボックスからの退避を続けていますが、突然発生した謎の黒い壁に阻まれ、退避は遅々として進んでいません!」
テレビ局の取材ヘリからの中継を続けている、女性レポーターのヒステリックな声が、テレビから響いて来る。時間は午前十時手前、場所は私立鳳翔学園中等部の、三年二組の教室である。
既に二時間目の授業時間に突入しているのだが、生徒達だけでなく、二時間目の授業を担当する担任の教師も、事件の成り行きが気になって仕方が無かった。その為、三年二組の総意として授業を休んで、テレビで事件の成り行きを見守る事になったのである。
「アニヒレイターに宿る魔女がスリルに憑依し、魔法によって、あの黒い壁を作り出したとか、その魔女がブラックボックス周囲の人間を、殺戮すると宣言したなどという、常軌を逸した情報が、乱れ飛んでいます!」
ブラックボックスより三十メートル程高い、黒い壁に囲まれたブラックボックスの屋上の様子を、ヘリに搭載されたカメラは、鳥瞰で撮影している。けたたましい銃声や爆音が響き、閃光や爆発が屋上では発生している。グレアムと閻……そして凰稀に憑依している魔女が、激しい混戦を繰り広げているのだ。
教室内にいる他の者達にとっては、初めて目にする光景だったのだが、何仙姫にとっては、違った。既に予知夢という名の悪夢として、断片的ではあるが、目にしていた光景だったのだから。
事態は殆ど、何仙姫の夢通りに進んでいた。未来を変えるべく、この事件に関わった兄の花果王など、存在していないかの様に。
近付く二万人の人々の死と、自分が未来を予知したせいで、自分の愛する兄を、その二万人の一人にしてしまったのかもしれない、罪悪感と恐怖に、何仙姫は責め苛まれる。血の気が引いた、青褪めた表情の何仙姫は、拳を握って身を震わせつつ、真摯に祈る。
(兄さんと……他の二万人の人々の命が、助かりますように! 兄さんが運命を……未来を変えて、無事に戻って来ますように!)
何仙姫は心の中で、何度も祈りの言葉を繰り返し続ける。不安に押し潰されそうになりながら……。
「おい、何処まで行くつもりだ?」
京は十メートル程上を上る花果王に、問いかける。場所はエレベーターシャフトの中、既に地下から出たというのに、エレベーターシャフトから出て、逃げる様子を見せないので、京は花果王に訊いたのだ。
「こんな状況で、逃げられる訳無いでしょうが!」
忍者の様な身軽さで、エレベーターシャフトの中を上りながら、花果王は返事をする。
「しかし、逃げないと……魔女に殺されるんだぞ!」
「殺されないよ! それに……誰も死にはしない!」
「何を根拠に、そんな事が言えるんだ?」
「忘れたの? 怪盗フォルトゥナが絡んで来た事件では、死ぬ筈だった人々の命が、偶然にも助かる奇跡が起こるって事を!」
詰問口調の京に、花果王は平然とした口調で、言い返し続ける。
「なのに……あたしが逃げたら、偶然も奇跡も起こらないでしょうが! だから、あたしは逃げる訳には行かないのさ!」
「――お前、まさか……本当に未来を変えているのか?」
花果王の返答を聞き、魁の言葉を思い出した京は、花果王に問う。だが、不敵な笑みを浮かべ、下から追い上げてくる京を一瞥するだけで、花果王は問いには答えず、エレベーターシャフトの中を上り続ける。
そんな花果王を見上げて、京は少しだけ迷う。退避命令に従って、此処から逃げ出すか。それとも、花果王の後を追い、この事件の成り行きを見定めるか……。
結局、命を張って事態を打開せんとする花果王の影響もあってか、正義感と義務感に溢れる京は覚悟を決め、エレベーターシャフトの中を、急いで上り続ける。大きな穴の開いた、天井を目指して。




