22 変身
「――どうやら、スリル&サスペンスの斬撃小町と、プロビデンスのガーディアンの方が、派手にやり合ってるみたいだな。スリルの方は先に、エンセファロンに下りた様だし……」
騒然としている混乱状態のブラックボックスの、一階北側にある男子トイレの個室内で、花果王は呟く。手にした警察用の無線機が伝える錯綜する情報から、花果王は北側通路辺りで、閻とグレアムが派手に戦っている状況を、掴んでいたのだ。
花果王が手にしている無線機は、つい先程……監視カメラの死角で、花果王が襲ってクロロホルムで気絶させた警察官から、奪い取った物である。その警察官は現在、隣の個室の便座に座ったまま、気を失っている。
クロロホルムは、一口ゼリーの容器に注入し、ブラックボックス内に花果王が持ち込んだ物である。花果王は今回、様々な犯罪用の道具を御菓子に偽装して、ブラックボックス内に持ち込んでいるのだ。
何故、花果王はトイレの個室内にいるのか? それは、裕也では無い、エンセファロンに下りれそうな人物の姿に変身し、その姿に合わせた服装に着替える為。要は更衣室代わりに、利用しているのである。
花果王が持ち込んだ御菓子のパッケージの幾つかには、老若男女……様々な姿に対応出来る衣装が、コンパクトに畳まれて収納されている。その中から、新たに変身した姿に適していそうな服を選び、服同様に小さく畳まれていた、伸縮する特殊素材製の靴を履いて、花果王は変身と変装を素早く終える。
新たなる姿となった花果王は、トイレを後にして、ブラックボックスの中心部にある第二エレベーターに向かい、駆け出す。アニヒレイターが保管されている筈の、エンセファロンに下りる為に。
「――え? 君は今、北側通路でサスペンスと、戦闘中だった筈では?」
第二エレベーターの一階セキュリティゲート前で、警備員は目の前に現れた、グレアムにしか見えない少年を目にして、驚きの声を上げる。
「サスペンスはスリルの後を追い、壁の穴からエレベーターシャフトを通って、エンセファロンに向かっている! 僕も後を追おうとしたんだが、壁の穴をサスペンスに崩されてしまったんで、こちらからエンセファロンに下りる事にしたんだ!」
グレアム……にしか見えない少年の正体は、花果王なのだ。先程、エンセファロンに出入り出来そうな人間を探し回っていた際、通りがかったグレアムと、身体を故意に掠めて触れ、花果王はグレアムに変身する能力を得ていたのである。
魁との通信の際、グレアムがぶつかりそうになった相手は、裕也に変身していた花果王だった。その際、グレアムが口にしていた言葉を耳にしていたので、花果王は「僕」という一人称を使ったのだ。
着衣は色こそ同じ黒系統だが、ゴシックロリータ風であったグレアムとは違い、花果王が着ているのは、スポーティな黒のスパッツにTシャツだった。子供に変身する場合に備え、男女兼用になる上に動き易いスパッツとTシャツを、花果王は持ち込んでいたのである。
武器に手をあてて身構えている、警官達や警備員達が監視している中、花果王はセキュリティゲートにズカズカと入り、声紋に指紋……虹彩や網膜などの生体認証を、続け様にクリアする。
「世界探偵協会より派遣された、グレアム・ブラックローズさんだと確認されました。アナタは、この先のエリアに入る事を許可されています。どうぞ、お入り下さい」
セキュリティーゲートのスピーカーから、素っ気無い人工音声が流れて通過を許したので、花果王は開かれたゲートを通り抜けようとする。だが、花果王は背後から一人の警官に呼び止められる。
「失礼だが、そのリュックの中身は?」
花果王が背負う黒いリュックが気になった警官が、花果王に問いかける。厳重な生体認証を通過したので、目の前にいる少年がグレアムでは無いと、疑っている訳では無いのだが、念の為に声をかけたという感じで。
リュックを開いて、花果王は中を警官に見せる。カラフルな御菓子やUSBメモリーに偽装してある、様々なガジェットに満たされている、リュックの中を。
「おやつ用の御菓子だけど……欲しいの?」
子供っぽい口調で言い切った花果王を見て、警官の中から疑いが消える。
「いや、いいよ……食べる暇は無いし」
声をかけた警官は、手を横に振りながら、言葉を続ける。
「一応、中身を確認したかっただけだ」
「そうなんだ……これ、美味しいのに」
残念そうに呟きながら、花果王はリュックを閉じて背負う。一応、リュックの中には本物の御菓子も少しだけ混ざっているので、欲しいと言われたら、花果王は本物の御菓子を渡すつもりだった。
「――じゃあ、僕は急ぐから! 早くエンセファロンに行って、サスペンスを捕まえないと!」
花果王は警備の者達に背を向け、セキュリティゲートを通り抜けると、黒一色に塗装されたエレベーターの中に駆け込む。エンセファロンが存在する、地下七階に行くボタンと、ドアを閉じるボタンを花果王が押した直後、排気音に似た音をたてながら、ドアがゆっくりと閉じる。
「おやつ用の御菓子だってさ」
閉じたドアを眺めながら、花果王に声をかけた警官は、他の警備の者達に話しかける。
「世界最高の探偵を護る、世界最強の探偵とか言っても、やっぱり子供なんだな」
警官の言葉に、他の者達が頷いて同意した直後、彼等が手にしていた無線機から、声が流れ始める。慌てているのだろう、少し上擦った声の主は、薊である。
 




