第十章(最終章) ただいま、お帰りなさい
セレスティア大聖堂の鐘が、王都中に響き渡っていた。
ヴィオラは、純白のドレスに身を包み、ヴァージンロードの先に立つルシアンを見つめていた。純白の正装は、あの図書館の式典の日と同じ色。だが、今日そこにあるのは、血の色ではなく、誓いの言葉だけだった。
「誓いの言葉を」
司祭の声に、ルシアンが一歩前に出る。
「私、ルシアン・セレスティアは」
その声は、これまでのどんな公務の場よりも、少しだけ震えていた。
「ヴィオラ・フォルティスを、生涯の伴侶とし、いかなる時も――」
言いかけて、ルシアンは、一度言葉を止めた。
用意された定型の誓いの言葉ではなく、自分の言葉で続けたい。そんな衝動が、彼の中にあった。
「いかなる時も、あなたのもとへ、必ず帰ることを誓います」
参列者の一部が、小さくざわめいた。定型にはない一節だったからだ。
だが、ヴィオラだけは、その意味を誰よりも理解していた。
「ヴィオラ・フォルティス」
司祭が、今度はヴィオラに向き直る。
「誓いの言葉を」
「私、ヴィオラ・フォルティスは」
ヴィオラは、まっすぐにルシアンを見つめた。
「ルシアン・セレスティアを、生涯の伴侶とし、いかなる時も、その優しさを――その人自身を、大切にします」
二人の視線が、静かに絡み合う。
「そして、あなたが帰る場所で、あなたを待ち続けることを誓います」
誓いの口づけを交わした瞬間、大聖堂の鐘が、いっそう高く鳴り響いた。
王太子夫妻の誕生を、王国中が祝福していた。
だが、その瞬間の二人にとって、大切だったのは称号ではなかった。
ルシアンとヴィオラとして、初めて夫婦になった。それだけで、十分だった。
◇◇◇
それから、数年の月日が流れた。
セレスティア王国は、相変わらず穏やかな時を刻んでいた。国王となったルシアンは、国民のために忙しく駆け回る日々を送っている。
その日も、ルシアンは予定より二時間も遅く、王宮の私室に戻ってきた。
「ただいま――」
「遅いです」
扉を開けた瞬間、腰に手を当てたヴィオラが待ち構えていた。
「今日は夕食の前に帰ると仰っていたはずです」
「それが、隣国からの使者との話が長引いてしまって」
「それでも、一言連絡することはできたはずです」
「……申し訳ありません」
国王となった今も、この瞬間だけは、ルシアンはすっかり形無しだった。かつて完璧な王太子として誰からも賞賛されていた男が、今は妻の前で、ただ小さくなっている。
「食事は、もうすっかり冷めてしまいました」
「温め直させます」
「結構です。今から私が温めますから、あなたはそこで大人しく座っていてください」
「はい……」
しゅんとした様子で椅子に腰掛けるルシアンを見て、控えていた侍従が、こっそりと苦笑を漏らした。国王がこれほど萎縮する相手は、この国広しといえど、王妃ただ一人だった。
しばらくして、温め直された料理がテーブルに並ぶ。
「いただきます」
「……美味しいです」
「当然です」
ヴィオラは、少しだけ得意げに笑った。厨房に立つことも、今でもやめていない。むしろ、王妃という立場になってから、その趣味は密やかな抵抗として、より大切なものになっていた。
食事を終え、二人は寝室のバルコニーへ出た。夜空には、星が瞬いている。
「今日も、叱られてしまいましたね」
ルシアンが、少し照れくさそうに笑った。
「王として、情けないと思われますか」
「いいえ」
ヴィオラは、隣に立つルシアンの手に、そっと自分の手を重ねた。
「私は、これで良いと思っています」
「良い、とは?」
「陛下には――いいえ、ルシアンには、叱ってくれる人が必要です。心配して、待っていてくれる人が」
ヴィオラは、星空を見上げながら続けた。
「一人で全部を背負おうとする癖は、今でも時々出てきますから」
「返す言葉もありません」
「でも」
ヴィオラは、ルシアンの手を、少しだけ強く握った。
「あなたには、帰る場所があります。私は、ずっとここにいますから」
ルシアンは、しばらくの間、その言葉を噛みしめるように黙っていた。
それから、静かに、けれど確かな声で、囁いた。
「ただいま、ヴィオラ」
その言葉に、ヴィオラは小さく笑った。
「お帰りなさい、ルシアン」
夜風が、二人の間を静かに通り抜けていく。
国王であることも、王妃であることも、今この瞬間には関係なかった。
ここにいるのは、ただ、帰る場所を見つけた一人の男と、その場所であり続けることを選んだ一人の女。
ルシアンと、ヴィオラ。
誰かを守ることができる人ほど、自分自身もまた、守られる価値がある。
それを知った二人は、これからもきっと、互いの帰る場所であり続けるのだろう。
――今日も、明日も。
何度でも。
「ただいま」
「お帰りなさい」
そんな言葉を交わしながら。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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次回作、9/10(木)22:30より連載開始します。
シリーズ三作目になります。
タイトル
悪役令嬢な伯爵令嬢は、獣人族の族長に「番」として愛される ~研究者の私を、狼の旦那様は離してくれません~
伯爵令嬢クラリスは、前世の記憶を持つ研究者。危険な魔法生物学に没頭する変わり者の彼女が出会ったのは、獣人族の族長・ヴァルク。人間離れした魔力に惹かれて近づいたはずが、いつしか彼自身に心を奪われていく。
「番だから好きになったわけじゃない。俺はお前が欲しい」
運命よりも、ただ一人の女性として選ばれる幸せ。違う種族の二人が、互いの誇りを捨てずに愛を紡ぐ、溺愛系異種族ラブストーリー。
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