12 後見人/触れる温度
教師は応接室の前まで来ると、扉を軽く叩いた。
「聖女様をお連れしました」
「入ってくれ」
落ち着いた声が返ってくる。
扉を開けると、部屋の中央に置かれたソファから、一人の品のある男性が立ち上がった。
「お久しぶりです、聖女様」
柔らかな笑みを浮かべ、一礼するグレイソンへ、ユイも頭を下げる。
「グレイソン侯爵様、お久しぶりです! 今日はどうされたんですか?」
「先日の討伐実習で、上級魔獣が現れたと聞きましてね」
グレイソンは柔らかな表情のまま言葉を続ける。
「幸いお怪我はなかったようですが、どうしても一度お顔を見て安心したくて参りました」
「まあ、それでわざわざ……! ご心配をお掛けしてしまって、すみません。でも私は大丈夫ですよ」
元気そうなユイの顔を見ると、グレイソンはようやく安堵したように表情を和らげた。
向かいの席へ腰を下ろすと、ほどなくして紅茶が運ばれ、穏やかな香りが二人の間を満たす。
「学園生活で、なにかご不便はございませんか?」
「はい。みなさん本当に優しくしてくださるので、何の問題もなく毎日楽しく過ごしております」
「それは何よりです」
グレイソンは満足そうに頷く。
「聖女様が笑顔で過ごしてくださることが、この国にとって何よりの喜びですので」
「そんな、大げさですよ」
ユイは照れくさそうにはにかんだ。
ティーカップを片手に持つグレイソンの眼差しは、いつも通りの温かなものだった。
それから二人は少し世間話を交わし、グレイソンはふとユイの右手へ目を向け尋ねた。
「そういえば、腕輪の調子はいかがでしょうか?」
「おかげさまで、とても安定して使えています。この前も治癒魔法を使ったら、以前よりも治す速度が早くなったと褒められました」
答えながらユイも同じように、右手首にはめた銀色の腕輪を見下ろした。この世界へ来たばかりの頃、魔力をうまく制御できなかったユイへグレイソンが贈った魔道具だ。
『聖女様が魔道具の力を借りないと上手く魔法が使えないと知れれば、不安を抱く者や、心ない言葉を口にする者も現れるでしょう。このことは、私と聖女様だけの秘密です』
その言葉に頷いて以来、腕輪が魔道具だということをユイは誰にも言ったことがない。
「順調に魔力量が増えている証拠ですね。そういえば以前、もう少し華やかな腕輪がお好きだと仰っていましたので、本日は新しい物をお持ちいたしました」
そう言ってグレイソンは鞄から小箱を取り出し、ユイの前へ差し出す。
箱を開くと、中には銀を基調にした細身の腕輪が収められていた。淡く輝く小粒の宝石があしらわれ、繊細な蔦模様が全体に刻まれている、華やかな一品だ。
「わぁ……すごく綺麗」
思わず声が漏れる。
「職人が聖女様のために心を込めてお作りした品です。お気に召していただけたのであれば、職人も喜びます」
グレイソンの言葉に、ユイは嬉しそうに笑う。
「とても気に入りました! ありがとうございます!」
すぐに今まで着けていた腕輪を外すと、グレイソンへ尋ねた。
「これはどうしましょう?」
「もう必要ないかと思いますので、私の方で処分しておきます」
「わかりました」
ユイは新しい腕輪を手に取り、手首へ通した。宝石が窓から差し込む陽射しを受け、小さくきらめく。
何度も角度を変えながら眺めるユイを見て、グレイソンは目を細めた。
「よくお似合いです」
「本当ですか?」
「ええ。以前の物よりも、聖女様の雰囲気によく合っております。その腕輪も、良き持ち主に巡り会えて喜んでいることでしょう。」
「ふふ、嬉しい。大切にしますね」
穏やかな空気のまま紅茶を飲み終えると、グレイソンは静かに立ち上がった。
「本日はお元気なお姿を拝見できて安心いたしました。どうか、今後もお身体にはお気を付けて、楽しい学園生活をお過ごしください」
「はい! 今日はありがとうございました」
ユイは満面の笑みで頭を下げる。
グレイソンも一礼すると、そのまま教師に見送られながら応接室を後にした。
ユイも応接室を出ると軽い足取りで教室へ向かう。
(結構時間経っちゃったけど、シリルさんまだいるかなぁ)
期待を胸に教室を覗く。しかし、そこにシリルの姿はなく、残っていたのは数人の生徒とギルバードたちだけだった。
「あー……やっぱり帰っちゃったよね……」
少しだけ肩を落としたものの、新しい腕輪が視界に入ると表情はすぐに明るくなった。
(まぁいっか、また明日話しかけよっと)
自分を待つギルバードたちの元へ、ユイは笑顔で駆け寄った。
***
シルヴィアは廊下の窓から、校門を走り去っていく一台の馬車を眺めていた。
車体に刻まれた紋章が夕日に照らされる。
(あれは……グレイソン侯爵家の家紋か)
聖女の後見人を務める侯爵。
その名くらいは、シルヴィアも当然知っている。
代々クレイス王国の国王を支えてきた名門貴族の一つであり、人望の厚い人物としても有名だ。
馬車が視界から消えるのを見届けると、踵を返した。
(……エリオットがいるから大丈夫だと思うが、一応ノアの様子を見に行くか)
昨日倒れたノアは、今日は大事を取って授業を休んでいる。
シルヴィアはそのまま男子寮へ向かい、ノアの部屋の前まで来ると軽く扉を叩いた。
「……どうぞ」
扉を開けると、ベッドへ横になったノアの傍らで、エリオットが治癒魔法を掛けていた。
まだ本調子とはいかないものの、ノアの顔色は昨日より幾分良くなっている。
「体調はどうだ」
「もう大丈夫です。少しだるさはありますけど、昨日よりずっと楽になりました。副団長のおかげです」
エリオットは治癒魔法を止めると、シルヴィアに向き直った。
「症状もかなり落ち着いています。あと一晩休めば問題ないかと」
「そうか。悪いが今週いっぱいは様子を見てやってくれ」
「もちろんです」
シルヴィアは小さく頷く。
「それで、香りの方はどうだった」
「今日はほとんど感じませんでした。一度だけ微かに感じた程度です」
エリオットの言葉にシルヴィアは眉を寄せた。
「……私とは逆だな」
「「え……」」
エリオットとノアが同時に声を上げる。
「授業中も何度も鼻をかすめた。エリオットが言っていた通り、一定ではなかったが、香りは十分感じ取れる強さだった」
「……距離では説明がつきませんね。私の方が聖女に近いので」
「ああ。だから匂いを強く感じるには一定の条件が必要なのだろう。だが、その条件がまだはっきりとしない」
「団長は甘い香りを嗅いで調子が悪くなったりしませんでしたか?」
「今のところ、これといって不調は感じていないな。それも含めると、やはりこの香りは何らかの魔法が——」
そこまで言いかけて、シルヴィアは口を閉ざした。
廊下の向こうから、二人分の気配が近づいてくる。
部屋の前で止まると、コンコンと扉が叩かれた。
「ノア、起きてるかー?」
返事を待たずに開かれようとする扉に、シルヴィアとエリオットは瞬時に身を翻し、部屋の隅に置かれたクローゼットへ滑り込んだ。
ベッドの上から、ノアが呆れたように声を上げる。
「おい、まだ返事してないのに開けるなよ」
「悪い悪い、寝てるかと思ってさ。大丈夫か?」
「ノート持ってきたぞー」
二人の男子生徒は手にしたノートを揺らしながら、部屋へ入ってきた。
「悪いな。わざわざありがとう」
ノアは平然と笑みを浮かべながら応じた。
***
咄嗟に潜り込んだクローゼットの中は、二人が身を潜めるにはあまりにも窮屈だった。
向かい合うように身を寄せたせいで、互いの体はほとんど隙間なく触れ合っている。少しでも動けば、さらに体が押し当てられてしまう距離だ。
衣服越しに伝わる体温がその近さを嫌でも意識させ、息を潜めた互いの吐息さえ、感じられそうだった。
(……近い)
意識するな。そう言い聞かせても思いとは裏腹に、鼓動がわずかに速くなる。
ちらりとシルヴィアを見た。
その表情はいつもと変わらず、少しの動揺も見えない。気配ひとつ乱さず、ただ真っ直ぐ扉の向こうへ神経を研ぎ澄ませている。
「悪いな。わざわざありがとう」
ノアは受け取ったノートを枕元へ置き、小さく笑う。
「気にすんなって。それより、本当にもう動けるのか?」
「ああ。明日には授業へ出られると思う」
「無理だけはするなよ」
「分かってる」
何気ないやり取りが続く。
その間も、クローゼットの中では身動き一つ取れない。
シルヴィアは外の会話へ意識を向けたまま、微動だにしない。
エリオットは一旦呼吸を整えようと、息を吐きかけた、その時——。シルヴィアが外の様子を窺おうと、ほんの少し重心を動かした。
「……っ」
押し当てられていた体がさらに密着し、エリオットは思わず息を呑む。
対するシルヴィアは全く気にも留めていない。
(……落ち着け)
たったそれだけのこと。
目を閉じてそう思い込もうとするが、鼓動は素直に従ってくれなかった。
頬が次第に熱を帯びていくのを感じる。
「じゃあ俺ら戻るわ」
「ああ、ありがとな」
扉が閉まり、二人分の足音が少しずつ遠ざかっていく。
少しして完全に気配が消えたのを確認すると、シルヴィアがクローゼットの扉を開いた。
「すみません、二人ともなかなか帰ってくれなくて」
クローゼットから出た二人は、軽く服の皺を整える。
「構わない。ノア、今日もそのまま安静にしていろ。明日も無理だと判断したら休め」
「はい」
ノアにそう告げ、部屋を出ようとしたシルヴィアの足が不意に止まる。
いつもと少し様子の違うエリオットに気づいたのだ。
シルヴィアが顔を覗き込むと、ほんのり頬を赤くしたエリオットの肩がびくりと跳ねた。
「そんなに狭い場所は苦手だったか」
ふっと口元に笑みを浮かべて耳元で囁くと、シルヴィアはそのまま部屋を出ていった。
残されたエリオットの耳は赤く染まっている。
「……副団長も大変ですね」
ノアの呟きに、エリオットは片手で顔を覆い、大きく息を吐いた。




