01 極秘任務①
開かれた窓から柔らかな風が吹き込み、暖かい日差しが校舎を照らしている。
クレイス王立魔法学園。
王侯貴族や有力商家の子弟、他国からの留学生が集う大陸屈指の名門校だ。
黒髪に黒縁眼鏡を掛けた地味な男子生徒は、一人、校舎の渡り廊下を歩いていた。
その紫の瞳には、澱みのない研ぎ澄まされた光が宿っている。
生徒たちの何気ない会話。
すれ違う教師の表情。
正門を出入りする馬車の扉に刻まれた家紋。
人目につきにくい死角——。
歩みを緩めることなく、学園の景色を頭の中へ刻み込んでいく。
その存在を気に留める者は、誰一人としていない。
***
昼休みの食堂は、いつも通り賑やかだった。
一人の女子生徒を囲むように、王子や貴族の子息たちが談笑していた。
その輪の中では、栗色の髪の青年も穏やかな笑みを浮かべている。
「それは面白いですね」
「ふふ、でしょう?」
楽しげな笑い声が広がる中、青年は表情を崩さぬまま、さりげなく周囲の様子にも意識を向けていた。
***
食事を終えた生徒たちが思い思いに過ごす中庭。
木陰では、あちこちから弾むような笑い声が聞こえてくる。
「ノア!」
「リアちゃん!」
二人を見つけた生徒たちが、次々と駆け寄った。
「聞いてよ、昨日さ——」
「えっ、本当?」
「それでどうなったの?」
話題が一つ終われば、また別の誰かが輪へ加わる。
笑い声の絶えない輪の中心には、いつも金髪の少年と少女の姿があった。
誰とでも自然に打ち解ける二人は、学園内の情報を集めるには最適だった。
***
少し離れたテラス席では、午後の日差しを浴びながら令嬢たちが紅茶を楽しんでいた。
「まあ、そうでしたの?」
艶やかな黒髪の女子生徒が上品にティーカップを傾ける。
「ええ。それで先日——」
「あら、それは大変でしたのね」
令嬢は口元へ手を添え、優雅に微笑みながら輪に溶け込んでいく。
***
夜。旧宿舎の一室へ集まる五人の影。
部屋へ入ると、学園で浮かべていた愛想のいい笑みは自然と消えた。
「報告を」
一人ずつ、得た情報を簡潔に話していく。
誰も異変を口にしない。
それが、この学園の異常だった。
「……決定的な証拠はまだない、か」
黒髪の男子生徒は資料へ視線を落としたまま呟く。
「引き続き調査を続ける」
「「「「御意」」」」
四人は一礼し、それぞれ部屋を後にした。
男子生徒も自室へ戻り、扉に鍵をかける。
ドレッサーの前で黒縁眼鏡を外し、黒色の髪へ指を差し入れると——さらり、と。
鏡に映るのは、先ほどまでの地味な男子生徒とはまるで違う、長い銀髪を揺らす美しい女性。
アルディオン王国最強。
白銀騎士団団長——シルヴィア・アシュフォードだった。
***
——一週間前。
アルディオン王国北部、グランディア山脈。
——ギィンッ!
瘴気が満ちた薄暗い森の中で、甲高い金属音が鋭く弾けた。
幾体もの上級魔獣・ハイオーガが棍棒を振り上げる中、二つの若い男女の声が飛ぶ。
「ノア!」
「りょーかい!」
振り下ろされた巨大な棍棒を、金髪の少年ノア・アスターが真横へ飛んで避ける。直後、地が揺れ、砕けた岩が宙を舞う。
その脇を、一陣の風が駆け抜けた。同じく金髪の少女、双子の妹リア・アスターだ。
「遅い」
リアが風を纏い、ハイオーガの後ろへ回り込むと剣閃が走った。ハイオーガが首筋を断たれ、その場へ崩れ落ちる。
その亡骸を飛び越えてすぐさま別のハイオーガが二人に迫った。今度はノアが一気に間合いを詰めると、風を纏った剣を振り抜く。巨体は胴から真っ二つに裂け、重々しい音を立てて倒れ伏す。
「これで、二七体目!」
「今ので二五体目だから!」
「いや、さっき俺が二体倒しただろ!」
「違うわよ、さっきの二体にトドメを刺したのは私!」
「違うって、俺だって!」
二人は言い争いながらも足を止めない。足元を巡る風が、ノアとリアの動きを更に加速させると、次のハイオーガの群れへ飛び込んでいった。
その隣では、振り下ろされる棍棒の隙間を縫うように華麗な剣筋が舞っている。紫電を纏った剣先が流れるように翻るたび、ハイオーガの巨体へ斜めの斬線が刻まれていく。
長い黒髪の女性セレナ・グランベルが一歩踏み出すたび、また一体、さらにもう一体とハイオーガが倒れていった。
どの一撃にも一切の無駄はない。駆け抜けた後には、斬り伏せられた巨体だけが残る。
「相変わらず力だけで芸がありませんわね」
艶やかな髪をなびかせ、セレナは剣先を軽く払った。
少し離れたところでは栗色の髪をふわりと揺らし、白銀騎士団副団長エリオット・ローゼンベルクが炎を纏わせた剣を横へ薙いだ。その剣身から放たれた紅蓮の斬撃が、前方のハイオーガたちを次々と両断していく。
だが、ハイオーガたちは怯むことなく、エリオットの後ろから一斉に飛び掛かる。エリオットはハイオーガたちに向けて左手をかざした。
冷気が瞬く間に広がり、飛び掛かったハイオーガたちは一瞬で氷像と化す。
「散れ」
——パキンッ。
氷像は音を立てて砕け散り、無数の氷片が地へ降り注いだ。
その時だった。
黒紫色の瘴気が渦を巻きながら一か所へ集まり始める。空間がゆらりと揺らぎ、その奥から禍々しい巨体が姿を現した。
特級魔獣——ベヒモス。
ベヒモスは天へ向けて首を反らすと、大きく胸を膨らませ、山全体を揺るがす咆哮を放った。
「グオオオオオオオオオッ!!」
「……やっと現れたか」
そう一人の女性が呟いた。足元には数え切れない程の生き絶えたハイオーガが転がっている。
腰まで届く銀髪。
紫水晶を思わせる瞳。
白銀騎士団団長シルヴィア・アシュフォード。
剣先を伝う血を払うと、シルヴィアはベヒモスを見据えたまま振り返ることなく口を開く。
「あとは任せた」
「「「「御意」」」」
シルヴィアの言葉に、四人は残るハイオーガへ向かって一斉に駆け出した。シルヴィアは一人、ベヒモスの元へと向かう。
ベヒモスは目の前に現れたシルヴィアの姿を捉えると、赤黒い双眸で見下ろした。踏み潰そうと大木ほどもある前脚を高々と振り上げ、その巨体に似合わぬ速さでシルヴィアへ叩きつける。
——ドゴォンッ!
地面が爆ぜ、砕けた岩が辺りへ飛び散った。しかし、その脚が踏み砕いたのは大地だけだった。
すでにベヒモスの懐へ入り込んだシルヴィアは、右手の剣へ魔力を流す。淡い光を帯びる剣身。
振り上げる。
ただ、それだけ。
一閃。
白銀の軌跡が空を走る。
一拍遅れて、巨体へ赤い一筋の線が刻まれた。
それを境に山のような身体が左右にゆっくりと開いていく。
——ズドォンッ!!
轟音とともに大地へ沈むと、土煙が舞い上がった。
黒紫色の瘴気が風に溶けるように霧散していく。森を覆っていた淀んだ空気が消え去ると、眩い陽光が木々の隙間から差し込んだ。
最後の一体となっていたハイオーガも、エリオットの剣によって切り伏せられた。
「終わったな」
剣を鞘へ納めながら、エリオットが小さく息を吐く。
ノアとリアはベヒモスとシルヴィアを交互に見つめ、ごくりと喉を鳴らした。
「ベヒモスすらも一撃……。やっぱり団長すげぇ……」
「ほんと、何回見ても信じらんない……」
そんな二人から少し離れたところで、セレナが頬に手を当て、うっとりとしながら熱のこもったため息を漏らす。
「倒れたベヒモスを背に、いつもと変わらぬご様子で凛と佇む団長……なんて美しいんですの……! ああ……今この瞬間を絵画として残せないことがわたくし無念でなりませんわ……」
そんなセレナの様子を見たノアが苦笑いを浮かべ、リアも呆れたように肩をすくめる。
「……また始まった」
「今日も絶好調ね」
シルヴィアは周囲を見渡した。動く魔獣は、もう一体もいない。
剣身に付いた血を静かに払い、鞘へ納める。
「帰るぞ」
「「「「御意」」」」
シルヴィアを先頭に、任務を終えた白銀騎士団は山を後にした。




