第9話
要塞での生活が始まってから、ちょうど一か月が経っていた。
朝の広場に、訓練の掛け声が響き渡る。
重装歩兵たちが槍をビシッと構えた。
汗をビュッと飛び散らせながら、突撃練習を繰り返す。
ズシン、ズシンと地面が揺れた。
赴任当初より、みんなの姿が明らかに力強い。
息を切らす者も少なく、動きにキレがある。
「おらぁ! こんなもんかぁ!」
「もう一回! もっと腰を落とせ!」
「そんな攻撃で、誰を守れる!」
高台からそれを見下ろすアリスティア。
隣に立つレオハルトは、満足げに腕を組み、胸を張っている。
「アリスティア様、効果が出始めましたね。昨日の小規模戦闘でも、うちの部隊は負傷者ゼロでした」
「ええ、そうね。前の週の中規模戦闘でも、みんな最後まで集中力が切れなかったわ。スタミナが全然違うわ」
レオハルトが続ける。
「敵の騎馬隊が突っ込んできたとき、普通なら崩れていたはずなのに……。みんなで盾を固めて耐え抜いた。あれは間違いなく食事のおかげです」
広場に戻ると、訓練を終えた兵士たちがわいわい集まってきていた。
一人が目を輝かせながら近づいてくる。
「副司令補佐! 今日も調子いいっす! 前みたいに午後にはヘトヘトにならないんですよ!」
別の兵士が隣の肩をバシンと叩く。
「ほんとだよな! 肉食って卵食ってると、体が軽いんだ」
「昨日なんか、敵の槍を三本同時にガツンと受け止めたぜ!」
「俺なんか、盾持ったまま一気に突っ走れた!」
みんな口々に感想を述べた。
顔が汗でテカテカ光っている。
アリスティアが手を上げる。
「みんな、ありがとう」
そこへ、クラリス、カタリナ、ソフィーネの三人が歩み寄ってきた。
クラリスが少し照れくさそうにする。
「アリスティア様、私たちも肌の調子が全然違います。朝起きたときの顔色が明るくなって、鏡見てびっくりしちゃいました!」
カタリナが髪をサラッと払って目を輝かせる。
「そうそう! 髪の毛もツヤツヤ! 前は訓練後にカサカサだったのに、今は全然。女の子としては嬉しい限りですよ!」
ソフィーネは微笑んだ。
「私もありがとうございます。アリスティア様のおかげで、体が内側からポカポカ温かくなった気がします」
アリスティアはみんなの肌が、朝陽に輝いて見えた。
「良かった。それじゃ、みんなこれからも続けましょうね」
しかし、喜びも束の間だった。
数日後、補給担当の兵士二人が駆け寄ってきた。
額に汗を浮かべ、顔をしかめている。
「副司令補佐! 飼料が鶏と豚の餌が少々心もとないです!」
もう一人が慌てて続ける。
「原料の野菜も、肉の保存分が心もとないんです。次の補給までには間に合いますが、予定がズレると1日2日ほど狩りに費やす必要が出てくるかもしれません……」
アリスティアは眉をキュッと寄せ、倉庫に向かう。
倉庫につき、中を覗く。
ズラリと並ぶ棚に、空きがポッカリ目立つ。
確かに消費量が跳ね上がっていた。
一か月ごとの補給に頼っている限り、遅れが生じれば一気に窮乏する。
「これじゃ、いざというときに力が出せないわ……」
令嬢は皆を連れて、要塞内を歩き始めた。
レオハルト、クラリスたちもぞろぞろ同行。
資材置き場の前で、壊れた馬車の山にピタッと足を止める。
ガタガタの車輪やひび割れた板が積み重なっている。
レオハルトが首を傾げる。
「アリスティア様、どうかされましたか?」
アリスティアは車台を指差す。
「これ貰ってもいいかしら? 特に折れた板や曲がった木材の部分」
彼が少し目を丸くする。
「ここにある資材は、いずれ燃料にするだけです。好きに使ってくださって構いませんよ」
「念のためゲルハルト中佐に確認してもらえる?」
「了解しました!」
レオハルトが走り去る。
アリスティアは残った百合薔薇部隊の三人を見た。
クラリスが首を傾げる。
「アリスティア様、何かされるんですか?」
「馬車の乗り心地を良くしたいの」
「馬車ですか?」
「えぇ、うまくいけば戦争を変えられるかも」
「それは……」
アリスティアは馬車を触りながらパーツを物色していく。
程なくして、レオハルトと共にゲルハルトが戻ってきた。
「おお、アリスティア様! どうぞどうぞお好きに! ただ、何に使うのか教えてくれますか?」
アリスティアは少し間を置いて、答えた。
「サスペンションを作るわ」
その場にいた全員が、ぽかーんと口を開け、目を丸くする。
ゲルハルトがパチパチと目を瞬かせ、頭をかいた。
「サスペンション? それはまた聞き慣れない言葉で……」
アリスティアは木材を指差しながら、説明した。
「頑丈な木の板を曲げて何枚か重ねて挟むの。ゴツンという衝撃を、少しだけフワッと吸収して、悪路でも荷物が揺れにくくなるわ。壊れにくくなるし、馬の負担も少し減るはずよ」
カタリナがパッと目を輝かせた。
「それって!」
アリスティアが笑う。
「馬車の乗り心地が格段に上がるわ」
「今すぐやりましょう! 木なら村の木こりさんたちも手伝えますよ!」
その日のうちに試作が始まった。
村から木こりを呼び、ガシガシと頑丈な樫の木を厚めに削る。
長く曲げた板を何枚も用意。
キンキンと鉄のボルトで重ね、車台の下にガチャガチャ取り付ける。
最初は板がバキッとすぐに割れたり、曲がりすぎて地面にズリズリ擦ったりした。
みんなで頭を抱え、何度も材料を変えたり厚さを調整したりしてやり直し。
だが、3日目にはまともな形になった。
試運転。
荷物を山盛りにした馬車を、ガタゴト土道で走らせる。
それを見た兵士たちが騒ぎ出す。
「……確かに揺れが少ない!」
「前より、荷物が跳ねない!」
「馬もリラックスして歩いてる!」
ゲルハルトが感嘆の声を上げた。
「道が悪くても壊れにくくなる……! 補給の遅れもカバーできるかもしれん!」
アリスティアは内心では次の手を考えていた。
――でも、これだけじゃまだ足りない。
――木の板バネは衝撃吸収には効くけど、車軸の摩擦は変わらない。
――本当の補給革命には、もっと根本的な改善が必要。
数日後、アリスティアは再び皆を集めた。
「板バネは成功したわ。ありがとう。次はもっと大きな一歩を踏み出す番よ」
彼女は大きな羊皮紙をバサッと広げ、炭を握ってサラサラと図面を書き始めた。
円筒形のローラーと、それを挟む軌道。
「これを車軸に仕込むの。金属の円筒状の部品を複数並べて転がして、摩擦をかなり減らすわ。同じ馬でもっと多くの荷物を運べるようになる!」
ゲルハルトが息を呑んだ。
「金属でそんな精密なものを?」
「水車小屋の動力を使えば、なんとか可能よ。既存の工具を改良して、鉄をできるだけ丸く正確に削るの」
今度は一週間、二週間みんなで必死に格闘した。
ローラーがグラグラ偏ったり、軌道がグニャッと歪んだりした。
何度も失敗を繰り返し、ため息が漏れる。
だが、ついに。
川辺に新しい水車がゴロゴロ回り始め、金属加工用の旋盤がブーンと低く唸りを上げて鉄の円筒ローラーを削り出した。
この世界初の金属製ベアリング。
ようやく完成したローラーベアリングを、木製板バネ付きの馬車に組み込む。
試運転の結果――
馬車は以前の1.5倍近い速度で走った。
荷物を少し多めに積んでも馬が疲れを見せない。
悪路でも木の板バネが衝撃を和らげ、ローラーが摩擦を殺してスムーズに進む。
兵士たちが歓声を上げた。
「これは革命だ!」
「補給の遅れをかなりカバーできる!」
「天才だ! 補給革命だ!」
アリスティアは完成した馬車を見上げた。
「ベアリング一つで、補給が変わり、戦争が変わる」
レオハルトが横で呟いた。
「こんな小さな部品でこうも世界は変わるのか……」
「地味な部分にこそ、本当の力がある。訓練だってそうでしょ?」
「あぁ、そうだ! これが俺たちの未来だ!」
兵士たちが拳を振り上げた。
「白百合万歳!!」
その夜、広場に皆が集まって祝馬車革命会が開かれた。
肉の焼けるジュージューという音が響く。
アリスティアは少し離れた場所で、自分の体を見下ろす。
ドレスの袖をまくり、二の腕を指でつまんでみる。
プニッとした柔らかさが、以前より減っている。
肌が引き締まって、弾力がある。
昼間に鏡台の前で見たときも、頰の輪郭がほんの少しシャープに。
鏡に映る自分が、少し自信たっぷりに見えた。
まだ細いとは言えない。
でも、確実に変わってきている。
「……少しだけ、綺麗になれたかな」
胸がジーンと温かくなった。
太っていた頃の自分を、嫌っていたわけじゃない。
でも『豚』と呼ばれるたびに心が少しずつ削られていた。
それでも、この体は私の努力の証。
昔の自分も、今の自分も、どちらも私。
どちらも、嫌いじゃない。
彼女は胸を張った。
その時、遠くの重装歩兵が上半身裸で腕を曲げ、力こぶを見せびらかしていた。
「見てくれよ! カッチカチだぞ!」
別の兵士が胸を叩く。
「俺だって。鎧がきつくなってきたぜ!」
アリスティアは皆の顔を見回した。
――みんなが変わっていく。
そして、私も。
疲れ知らずの体、集中力の持続、そして何より皆の笑顔。
これが、本当の意味での第一歩だった。
一方、王宮の薄暗い応接室。
イザベラが苛立たしげにワイングラスをテーブルにガチャンと置く。
グラスがキンと鳴り、赤い液体がチャプチャプと揺れる。
彼女の眉がピクピクと吊り上がり、唇を噛んだ。
隠し扉が開き、ロンバルドが入室した。
王妃はすぐに振り返り、扇を握ったまま侯爵を鋭く睨む。
「遅いわね、ロンバルド。報告は?」
侯爵は優雅に頭を下げ、近くの椅子にスッと腰を下ろす。
羊皮紙をサラッと広げた。
「王妃様、グランベルク領からの最新の情報です。どうも奇妙な動きがあるようで」
王妃は眉をキュッとひそめ、侯爵の隣に歩み寄る。
肩越しに羊皮紙を覗き込み、目を細めた。
「奇妙な動き?」
ロンバルドは指で紙をなぞる。
薄暗い部屋に、緊張が張り詰める。
「荷物を大量に運んでいるという目撃談が複数あります。新たな商材を生産しているらしいです」
王妃はグラスを手に取り、一口飲んでから息を吐いた。
「それで?」
侯爵は肩をすくめ、身を乗り出した。
「これ以上放置すれば、辺境の守りが固くなり、王家に牙を剥くやもしれません。前回はならず者だけで挑ませたのが失敗の原因です。次は圧倒的な数で攻めましょう。私めの手勢と王家の私兵を合わせ、証拠を残さず大軍を動員すれば、領地ごと潰せます」
王妃は扇をぱちんと閉じ、窓辺に歩み寄って外の闇を睨んだ。
「私兵を動かすのは無理よ」
侯爵は立ち上がり、王妃の背後で進言した。
「今が狩り時です、王妃様。小娘が成果を上げている今のうちに、動きを封じましょう。なぁに、国家反逆の罪に問えばいいのです。勝った暁には、あの肥沃な領地を私めに下さる約束、忘れておりませんよね?」
王妃は振り返り、侯爵の目をまっすぐに見据えた。
「ええ、そうね。補給が安定すれば、ギュスターヴの軍が脅威になるわ。ルドルフの仇も、まだ取っていないし。領地はあなたに与えましょう。成功したら、ね」
侯爵は頭を下げた。
「私の手勢を動員し、すぐに準備を整えましょう」
王妃はグラスをテーブルに戻した。
「確実に仕留めて」
侯爵は礼をし、隠し扉へと向かいながら最後に言った。
「お任せください」
扉が閉まり、部屋に一人残った王妃は、グラスを手に取りながら呟いた。
「今度こそ、逃がさないわ」




