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すみれ色の炎上  作者: うみたたん塩


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1/1

すみれ色の炎上


短編一本として公開しました。最後まで澄江を見守ってください。

私はこのとき、まだなにもわかっていなかった。今日とんでもないことが起きるってことをーー


私は安田澄江。

南中学校、二年二組の給食配膳係の目立たない女子生徒。


「みんな急いで、次は理科だよ! 実験だよ」


学級委員長の声かけもあって、みな焦ってはいたけれど、科学室に早めに移動し着席することができた。


理科の矢崎先生は南中学で一番恐れられていた。少しでも遅れたら、全員廊下に正座し、教科書で叩かれる。もしくはお手製のハリセンで叩く。

 

前の時間になにがあっても、だ。


この間は前の授業が体育で、科学室への到着が一分遅れてしまい、ガスバーナーのホースで全員頭をひっぱたかれた。二年二組全員、一人残らず。


大切な実験道具を鞭代わりですか? 道具は大事に扱えと矢崎先生、あなた仰ってましたよね?


理科に実験はつきものだけど、本当に大変なの。生物で顕微鏡を使う授業は楽しかった。これがアメーバーですとかそんな授業のときは。


でも火を使う実験はまずい。矢崎先生の授業は本当に恐ろしい。水を沸騰させるときにはガスバーナーを使う。


三脚の台の上に網を置いて、ビーカーの水をその上に置いて温める。一年生のときはアルコールランプから始めたけど、二年生はガスバーナーだ。

 

「私が当番なの? ガスバーナーの?」


そうだった。私たちの班で火を点けたり消す係は、順番で私だったのだ。

どうしよう……。やり方がよくわからない。


この前、風邪で休んだのだ。班長、記録、道具係など役割が一人ずつ決められていた。


「おい、そこの眼鏡。お前はここの班なのか?」


矢崎先生は、隣の班の谷口明夫に質問していた。谷口は何も言わない。黙って座っている。見ていてこっちがヒヤヒヤする。


私は谷口明夫が嫌いだった。空気が読めなくて集団行動ができないやつ。ぼそぼそと話す言葉は聞き取れない。

 

「そこ四人だな。眼鏡、隣に移動しろ」


私たちの班の一人が、今日欠席していた。そのせいで谷口明夫が私たちの班に移動してきて、なにも言わずに座った。優しい女子が声をかけてあげる。


「私と一緒に記録係でいい?」

「はい」


即答。先生に聞かれても黙りこくっていたのに。

……こいつやっぱり嫌い。


準備は順調に進んで、どの班もガスバーナーの火をつけ、ビーカーの水を温めていた。

緊張はしていたけど、私はなんとか火をつけることができた。

 

しばらくして、あと少しで沸騰するというときーー


「火を小さくしろ!」


矢崎先生の声が響いた。この声のせいで毎回寿命が縮まりそうになるし、ミスしそうなるんだけど。


どの班も一斉に火を小さくする。私は手前にガスバーナーを引いて、絞りを回そうとした。でもガスバーナーの絞りが固くて、すぐに火を小さくすることができなかった。


「安田、早く小さくしないと」


班長に急かされる。言われなくてもわかってるわよ。だけど動かない。右にも左にも回らない。さっきはよくわからなかったけど。


ていうか、実は同じ班の子につけるときは手伝ってもらったのだった。私は焦ってきていた。それで絞りを思いっきり回してしまった。


火がたちまち大きくなる。それで、いつもはぼそぼそ話す谷口が太い声で言った。


「逆!」って。


私はパニックに陥って、早く消したくてとにかく絞りを力いっぱいひねった。


ゴォーっとガスバーナーの火がさらに大きくなってしまった。焚き火を連想してしまうくらい、高く火が燃え上がった。


「きゃぁぁ」


今度は私が言った。そのとき谷口は後ろに下がって椅子をひっくり返した。近くの班だけじゃなく、科学室にいる全員が私たちを見ていた。


「火を消せ~!」


ものすごい勢いで矢崎が叫んだ。私もそうしたい。だけど火に近づくのが怖いし、体がこわばってどうしていいのかわからない。


「火を消せ!」


もう一度声が聞こえたけど、わけがわからなくなっていて、私は矢崎先生のほうを見た。


矢崎先生は凄まじい形相だった。燃え上がるガスバーナー。


私は震えながら腕を伸ばし、ゴーゴーと燃えているガスバーナーから顔をそらしてなんとか回した。

でも絞りを回しても回しても、火は小さくならない。


「どっち?」


みんなの声も全然頭に入ってこない。右に回せば消えるのか、左に回せば消えるのか、回していてわからなくなってきた。


もう誰かに八つ当たりしたくて、逆!

なんて叫んだ谷口明夫のせいにしたくなった。


あいつさえ、同じ班にいなければ……。


もういっそのこと科学室から逃げ出したい。帰りの会も出ないで、家に帰りたいなんて無責任なことを考えた。


ついに矢崎先生が歩いてきて、私を突き飛ばしてさっさと火を消した。魔法のように簡単にそれは消えたの。


これはホースで殴られるって思ったけれど、矢崎は私をキツく一瞥し、そのまま歩いて行ってしまった。


これで終わりならまだマシだった。悪い事はたたみかけて起こるんだね。


私は放心状態だったのでよく覚えてないけど、実験は無事に終ったようだった。

そして片付けの時間。これが最悪だった。


私はなぜか谷口明夫と二人でビーカーなどを洗っていた。本当は彼には近づきたくなかったけど、そんなことを言っている場合でもなかった。


そして、谷口が洗ったビーカーを受け取ろうとしたそのときーー


私は上の空だったのでしょうね。ビーカーは濡れた私の手から滑り落ち、ゆっくり床に落ちていった。


こういうときスローモーションになる映像ってあるでしょ。映画とかだと。


このときも本当にスローモーションになったの! 

取れそうにも見えた。なのに私の手は、絶対にビーカーには届かない。


ガラスの割れる音は小さかったけれど、科学室によく響いた。

 

カシャン……と。


この先の人生で一度だけ時間を自由にできるなら、もうここで使ってしまって、ビーカーをキャッチしたいと思ったわ。


「安田!」


先生に呼び止められた。矢崎先生がゆっくりと近づいてくる。谷口は無表情で立っている。こいつのせい。こいつのせいよと叫びたかった。


でもそうじゃない。わかっていた。

私が雑に谷口からビーカーを受け取ったから。それは自分が一番わかっていたの。


終わりよ……女子でも容赦しない先生。今度こそひっぱたかれるーー


 ガッシャーン!!!


そのときガラスの割れる大きな音がして、鼓膜が破れそうになった。



*****



「お母さん、一体なにが起こったの?」


 母の昔話を聞いている私。

 不安そうに話しているお母さんの顔に急に微笑みが浮かんだ。


「谷口明夫はね、箱に入った新しいビーカーを無言で箱ごと床に落としたの。それで四つのビーカーがめちゃくちゃに割れたの」


「えぇっ! そんなことするの? 」


 矢崎先生はすぐそっちに向かって歩き出し、何発がわからないけど、谷口明夫を何度も叩いたらしい。


 このとき私の母、谷口澄江は口下手な父に一瞬で恋に落ちたんだって。


 恋の炎はガスバーナーよりも、もっともっと高く昇ってしまったんだって。

          

            

             

           

             おわり

 



こちらは「ランドリー、その他奇譚集」の最後に入っております。こちらは心理的な微ホラーになっております。よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
明夫、やるじゃねえか。「自分、不器用ですから」って言わせたくなりますね。
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