遺志を継ぐ
夫はラジオの好きな人だった。
仕事中以外、朝から晩まで四六時中ラジオを聞いて過ごしていた。特に深夜ラジオがお気に入りで、熱心に投稿もしていたようだった。送った投稿が読まれた次の日の朝は、それを自慢気に朝食の席で話すことが常だった。
そんな夫が突然亡くなった。
会社の検診で引っかかり、受診した病院で精密検査を勧められた。検査の結果、ごく小さな腫瘍が見つかった。しかし、幸いにも早期の発見だったこともあり、簡単な内視鏡手術で治療可能と言われて、一泊二日の入院生活に出掛けていった。そして、そのまま帰ってくることはなかった。
どきどきしながら手術に立ち会い、「無事、手術は上手くいきました」の医者の言葉に胸を撫で下ろした晩のことだった。深夜、寝ていたところを突然の電話で起こされた。
「容体が急変しました。すぐに病院に来てください」
硬い声で告げる看護師の言葉に頭が真っ白になる。寝ていた子どもたちを急いで起こし、転がるようにして家を出て、車を病院へ走らせた。車内には、夫のお気入りの深夜ラジオが流れていた。
病院についた時には、すでに夫は息を引き取っていた。ベッドに寝かされている夫はただ眠っているだけのようで、この人がすでに死んでいるとは到底思えなかった。ぼんやりと夫を見ていたが、「すぐに葬儀社に連絡を」と急かされたことで我に返った。しかし、そう言われたところで葬儀社などに当てはない。結局、病院にいくつかの葬儀社を紹介してもらい、三軒目に電話した葬儀社でどうにか葬儀を引き受けてもらった。
日付がとうに変わった頃に物言わぬ夫と帰宅したが、休む間もなく通夜の打ち合わせに入り、親族への連絡、喪服の準備と忙殺されて、一睡もしないままに通夜を終えた。僅かな仮眠をとった後は葬式の準備に追われ、夫が骨壷に収まるのを、疲れと寝不足のぼうっとした頭で眺めていた。
初七日までの期間は役所への届け出や名義の変更手続きに駆けずり回り、法要を終えた晩には精も根も尽き果てていた。
仏壇もまだ無い室内、葬儀社が組んでいった祭壇の前に一人座り込んでいた。白い布の敷かれた祭壇には写真と骨壷、仮位牌、夫が愛用していたラジオが並んでいる。それらをただぼうっと眺めていた。夫との思い出も思い出せなかった。写真を見て、「ああ、こんな顔だった」と考える有様で、酷く薄情な畜生に成り下がっていた。
このまま死んでしまおうかと、ちらりと頭を過ぎる。名案のような気がした。それこそが正解である気がした。夫の側に行こうと、包丁を取りに腰を浮かせたときだった。
突然ラジオの音が鳴った。
『……さんの事が心配です。そうですね、心配ですよね。おーい、聴いてるか。皆、お前の事、心配して待ってるぞ。それではリクエストをおかけします。リクエストは……』
ラジオから、生前夫が好きだった曲が流れる。夜には似合わない、騒がしい洋楽のロックンロール。朝食の席で自慢する夫の姿が浮かんだ。もっと良く聴こうとラジオに伸ばした手に雫が垂れる。そこでようやく、自分が泣いていることに気がついた。「そういえば、まだ泣いてすらいなかったな」。頭の冷静な部分で考えていた。
そういえば、子供たちは泣けただろうか。そう思い至ったところでぞっとした。この数日、子供と話した記憶がなかった。慌てて駆け込んだ子供部屋、目を丸くする子供たちを構わず強く抱きしめた。
「ごめんね、ごめんね」
謝りながら抱きしめた腕の中、子供たちの体温が暖かかった。
夫のいない子供たちとの生活がぎこちなく回り始めた。ラジオには感謝とともに夫のことを伝えた。夫を身近に感じる気がしてラジオを聴くようになり、投稿もするようになった。ラジオネームは夫のものを拝借した。妻の当然の権利だと主張したことに、ラジオパーソナリティは大いに同意してくれた。
娘は大学に行かせられなかったが、タクシー運転手として立派に働いている。息子は出張が多いと愚痴を溢していたが、生活は充実しているようだ。
今日もラジオを聴いて、夫のラジオネームで投稿している。