問12 ふたりだけの秘密
メガネを受け取ったあとは映画館へ。タイトルは日本のホラー映画だ。
颯太くんが選んだ。少し前にスマホのやり取りでホラー映画の話になったからか、「カップルはホラー映画を観るもの」だからだろうか。
そういうふたりで観るものなら、恋愛ものでもいいわけだけど、そっちよりはマシなチョイスだと思う。
日本人役者の演技は、どうもウソっぽく思ってシラケてしまう。
洋画は大袈裟なリアクションのおかげで、かえって割り切れる。
みんなが観てる夜のドラマも同じ理由であまり好きじゃない。サスペンスだけはさくらのせいで慣れたし、お約束過ぎるから気にならない。
とはいえ、わたしは今日の映画には少しだけ期待をしていた。
今のわたしが置かれている状況のほうが、もっとオカシイしウソっぽいからだ。
身の回りで連続殺人、お店に閉じ込められて襲われそうになって、顔が剥がれて超能力が使える。
これが現実になったから、ウソっぽくても、もっと素直に楽しめるんじゃないかなって。
ついでに、お父さんが観ている懐かしいドラマのDVDも、一緒に楽しめるようになったらいいな。
……それと、おまけ程度に、隣に座ってるおニューのメガネの子と良い感じになったりするかなーって。
ところが正直言って、ハズレの映画だった。
わたしの好み以前の問題。
名前も聞いたことのない微妙な女優さんが主役で、臨場感を出したいのかカメラを手に持って撮影してるみたいな感じで画面がよく揺れる。
画面の中心が女優さんのお尻とか、腰のラインとかそういうところばかりに行く。
完全に男の子の視点だ。この女優さんのプロモーション映像かよってくらいに、彼女ばかりを映す。
ストーリーも登場人物が次々と幽霊に殺されるというありがちなものだけど、問題の幽霊はほとんど映らない。
幽霊の代わりに女優さんの目がアップになって見開かれたり、くちびるが震えるシーンになる。
せっかく、怖い雰囲気になっても、登場人物の誰かが金切り声を上げてぶち壊す。そんな展開ばかり。
オチも残念だった。じつは犯人は生きた人間だった。彼氏の元カノ。最後は主役の女優さんも殺してしまう。
伏線として「彼氏が浮気してる?」的な演出が多かったから、なんとなく予想はついていた。
サイアクなのはそれらの展開が、どうしてもお母さんの不倫と重なってしまう点だ。
徐々にイラつき始めてしまい、映画の悪いところばかり探してしまった。
最後のほうはほかのお客さんも飽きてきたらしく、前の席のひとの頭がフラ付き、それにすら神経が逆撫でられるようになってしまった。
楽しみにしていた映画館は拷問部屋となった。
一日のうちにこれだけ神経の調子が上下するのは初めてだ。
わたしはエンドロールの黒い光に席を立つ観客の影に耐えきれなくて背中を丸めた。
誰かが立ち上がると服とイスのシートが擦れる音がする。わたしが擦られているみたい。
カバンが持ち上がるときには金具の音。骨に冷たい金属を当てられているみたい。
だらだらと退席する靴が床を叩く音。わたしのお腹が叩かれているみたい。映画への悪口もわたしへの悪口に聞こえた。
背中に誰かの手が置かれる。誰かって、颯太くん以外にないだろうけど。
優しさと、多分ちょっとの下心。
残念だけれど、それすら今のわたしには不愉快だった。
触れた五本の指先と、手のひらと背中のあいだの空間に感じる熱。
抗わなきゃいけなかった。すぐに振り払って怒鳴り付けたい。だけど、彼を傷付けたくない。
彼にとっては勇気の要ることだったと思う。とりわけ、女子の背中をゆっくりとさするのは。
「あっ!」
彼は手を引っ込めた。
撫でる手がブラウスの上から下着を跨いだ直後ですね。
恰好が付かない。ヘタクソだ。
その瞬間、目に見えないほど小刻みに震えていたわたしの全部が、カチッと固まった。
「ご、ごめんなさい」
しかも黙ってればいいのに謝る。
わたしは背筋を伸ばす。エンドロールはまだ終わらない。だけど、席はすでにガラガラだ。
「あの、あの、そういうつもりじゃなくって」
この場合のそういうつもりってなんだろ? 痴漢?
今度は吹き出してしまうことに抗わなきゃいけない。
「……」
あえての無言を試す。今の颯太くんは映画よりも怖い思いをしているだろう。
わたしが立ち上がると、彼もすかさず立ち上がった。しかも姿勢が良い。軍隊っぽい感じに直立だ。
「気付いてくれたんでしょ。ありがと」
背の高い男の子。わたしは彼の胸へおでこを預ける。
一度だけ、肩あたりに気配を感じたけど、それ以上はナシ。
わたしが一方的に柱へ寄りかかるようにするだけ。
このくらいが、ちょうど良い。
でも、なんだかメンヘラっぽい。じっさい、ご病気で迷惑をかけて振り回しているのだからその通りか。
シアターを出て、お手洗いに行くと告げる。
鏡を見ると、少し疲れたわたしの顔があった。化粧室のライトが暗いような明るいような、変な感覚。
戻ると、颯太くんはハンカチで手を拭いていた。
「お待たせ。カフェに入ろ。暖かいもの飲みたい」
「映画館、寒かったですよね」
「それに映画のあとにカフェで感想を言い合うのはお約束だからね」
カフェに入って注文を済ませ、満を持してわたしは感想を述べよう。
「クソつまんなかったね」
「ですね」
颯太くんも苦笑とともに頷く。
「わたしが貌を剥いだら、観客のみんなは大ブーイングしたよ」
冗談めかして言う。
「犯人は幽霊じゃなかったし、ぼくたちの現実のほうがよっぽどフィクションですよね。製作費も安そうだった」
「女優さんばっかり映してさ。ちょっとエッチだったよね」
特定ワードを強調して言う。
「で、ですね」
彼はこぶしで鼻を掻いた。
「……あのね。うちのお母さん、まだやってるっぽい」
「やっぱり、そういうことでしたか。待ち合わせ時間になってもメッセージも無かったので、何かあったなって思ったんです。どっちかだとは思ったんですけど、ちゃんと来てくれたんで、事件関係とか、茂木に復讐されたわけじゃないんだなって思ってホッとしてました」
「あ、そっか。そういう可能性も考えられたんだ……。ごめんね」
わたしは言いわけに困って待ち合わせ場所に着くまでメッセージを返さなかった。ずっと心配させていたんだ。
「いえ、無事ならそれで」
「お母さんと言い合いになったの。その仕返しにドレッサーを漁ったら、見たことのない化粧品があった。新しめだけど開封済み」
少しだけウソを混ぜる。ほんとうは昨日、キミに化粧をしてないと言われたのが原因です。
「なるほど。言い合いは何が原因で?」
「昨日出かけたこと。危ないからやめろって」
「心配してるんですよ。うちも弟は外出禁止です」
「分かってるけど、自分は勝手なことしておいてそれはないよ」
「化粧品だけでしょう? スーパーのパートなら、売り場に出てるひとやレジのひとは化粧をしてる気がしますけど。休日は家に居るんですよね?」
「そうなってる。昔ね、探りを入れたときに、お母さんのシフト表を見たことあるの。普段はそれをカレンダーに写して休みの日と売り込みの日に印をつけるんだけど、お店から貰ったシフト表の休みとか、広告のセール日と印が一致してなかった」
「今も?」
「今は、知らない。でも絶対そう。どっちにしても、お店の裏でもやってるんだもん。毎日怪しいよ!」
「バックヤードにはほかの従業員も居るんじゃ?」
「物陰なんていっぱいあるでしょ! むしろそっちのほうがスリリングとか、そんなだよ!」
声を荒げてしまう。現場はお店の納品所だったけど、道からは丸見えだった。何が物陰だ。
「あおいさん、落ちついて」
「落ちついてる!」
「スープでも飲んで」
彼はわたしの前に置かれた仰々しいコーンスープを勧める。
暖かいものが欲しくて注文したのだけれど、わたしの頭にあったのはお湯で粉を溶くタイプのをマグカップで飲むイメージで、実際に出されたのは平べったい器に注がれて、スプーンですくって飲むちゃんとしたやつだったのだ。
「こっちちょうだい!」
わたしは颯太くんのクリームソーダのストローを吸う。炭酸でちょっとむせた。
「……」
新しいメガネの下の目がまんまるになった。
「わたし、ずっとこうなのかな。こんな風にヒスるから、図書室に逃げてたんだよ」
「問題を解決したら、治るかもしれません。多分、心身症のたぐいですよ」
「解決ってなんだろう。不倫をやめさせたら? それとも、みんなにバラしてやったり?」
「前者はともかく、後者はダメですよ。別の問題が起きます。離婚になるかもしれませんよ」
「いいよ、別に。高校卒業したらひとり暮らしにするよ。颯太くん、遊びに来て」
「よくないですよ。さくらさんも居るんでしょう?」
「居るけど……ひとんちの事情じゃんか。それに、わたしがずっとこんな調子になっちゃうんだよ。さくらのほうが大事なの?」
「そんなことはないです。さくらさんとはクラスが同じになったこともないですし」
「じゃあ、いいじゃんか別に」
「よくないです」
黒メガネはキッパリと言った。
「兄が自殺したあと、そのことで両親が揉めたんです。それで離婚。ぼくはまだ小学生だったのに」
「……」
「出て行ったのは母です。今はどっちも再婚してます。父のほうは同窓会で会ったクラスメイトが紹介してくれたひとが相手です。母も、相手は知りませんが再婚しました」
「そっか……」
「女性は百日間は再婚が禁止なんですよ。母が再婚したのは、別れて三ヶ月ちょっとです」
「それって」
颯太くんのお母さんもずっと浮気してたかもしれないってことだ。
「お父さんもつらいだろうね」
「最近、父と話をしたんですけど、最初は腹が立ったけど、今はそうでもないって。俺はやっぱりなって思ったよって笑ってました。ぼくが相手のひとが連れてきた子供を可愛がるもんだから、むしろこれで良かったと思うって。次は妹はどうだ、なんて言われて正直困りましたよ」
「本心なのかな」
「ホンネですよ。絶対」
「言い切るね」
「……男同士のことなんで」
うちのお父さんが知ったら、どう思うだろうか。
あるいはもう知っていて、知らないフリをしながら、家族の休みがそろう日は出かけようって言ったり、リビングで一緒にDVDを観たりしてるんだろうか……。
「颯太くんは、お母さんに会いたくないの?」
「兄のことのほうがショックで、その直後のできごとだったんで、なんていうか、ああ、そういうもんなんだなって離婚のことはすんなり納得できました。再婚したって話を聞いたときに、会いたい気持ちも切れてます」
「ホントに平気?」
「ぼくのほうはもう、全部済んだことなんです。本当は兄と同じ大学に行こうかと考えていたんですけど、思ったよりランクが高くて諦めちゃいましたし。そのためにあっちの河船を受けて、こっちの河船学園を滑り止めにしてたんですよ」
「あっちの河船を受けた割には、勉強分かんないよね」
「分かんないから落ちたんですよ」
「それもそうか。ごめんね、自分ばっかり。颯太くんにも似たような事情があったのに」
「構いません。ぼくのほうは、今だけ切り取って見たら、家も学校も休日も幸せなんで。リア充もリア充ですよ」
彼はニコリと笑った。
わたしも、“今”は幸せになって良い時間のはずだ。帰ったらまたお小言を言われるだろうけど、それは帰ってからのこと。
「幸せなのはけっこうなことだけど、今の話の流れだと、わたしがお母さんのことバラすの推奨ってことにならない?」
「あれ? ホントだ。でも、よくないと思います」
「どうして?」
「お母さんがどうあるか、が問題じゃないからですよ。あおい先輩は別れただけで納得できるんですか? 浮気相手にしても、ご両親にしても」
「……できないね」
「先輩が納得できなければ、何が変わってもずっと心残りになりますよ。中学のときからずっと引きずってるんですし、仮に今回の化粧品のことが無ければなんともなかったってわけでもないでしょう?」
「うん……」
わたしは、知りたいのだ。どうしてあんなことをするのか。何を考えているのか、ホントのところを。
本は適当に選んで読んできたつもりだけど、自然とそれに関わる、ひとの心の動きにまつわる内容を多く手に取っている。
だけど、どんなに理論や理屈を重ねても、文章で赤裸々に語ろうとも、それが真実の気持ちなのかどうかは、読み手の心が決めてしまうんだと、最近理解した。
人殺しの手記。わたしと颯太くんの感想の違い。同じわたしでも、読み始めと読み終わりで違う。
加害者の親の手記。きっと、頭から疑ってかかってしまうのは、わたしがお母さんに不信感を持っているからだろう。
ズキリ。こめかみが主張した。
わたしには、ひととは違う力がある。
貌剥ぎの力。ひとのホンネを暴き出す超能力……かも。
これをお母さんに使えばいいじゃないか。単に問い詰めるだけじゃなくって、できれば現場を押さえて、相手も一緒に力にかけてしまえば良いだろう。
「先輩? 大丈夫ですか?」
わたしはコーンスープをすくって口へ入れる。冷めちゃってる。
お母さんのタテマエを剥いでやる。そしたら、言い訳なんてできない。
理由さえハッキリすれば、お母さんをゆるせるかもしれない。あるいは、颯太くんのように気持ちが吹っ切れるかもしれない。
今朝は勢いで剥ぐことを考えたけれど、冷静になれば確かに良いアイディアのように思える。
「あのね。解決のメドが立った」
「ホントですか?」
「うん。颯太くんのおかげ。キミに話したからだよ」
「役に立てたなら嬉しいです。ぼくも、さっきの話をしたのは父親以外では初めてで。誰かに話したかったんです」
「ふたりだけの秘密だね。わたしのこの話も、誰も知らないから」
「そうですね」
颯太くんはメガネの下を掻いた。
「アイス溶けちゃってるよ。せっかくのクリームソーダなのに」
「忘れてました」
彼は慌ててストローに口をつける。
「間接キスだ」
いじわるをしてやる。彼は固まった。
わたしが強引にソーダを飲んでから、ずっと口をつけていなかったのはこれを気にしてのことだって分かってる。
「なんかさ、不公平だよね」
「な、なにがですか」
「共有してる秘密の数が釣り合わないよ。図書室のこと、病気のこと、お母さんのこと、焼き鳥屋のことでしょ?」
わたしは指折り数える。
「それに、あの力のことも」
「あの力」
彼は一瞬固まった。
「もしかして、まだ信じてない? 幻覚とか勘違いだと思ってる?」
「あ、いえ。そんなことないですよ。あれから試してみたんですか?」
「試してない。使う用事無かったし」
これから先に使う予定はできた。そのためにも、もう一度おさらいをしておきたい。
「颯太くんばっかり、わたしの秘密を知っててズルくない?」
「数えかたがズルいですよ」
「口答えしない!」
「ええ……。どれも先輩のほうから話してきたような」
冗談のノリで言ったつもりだけど、彼は割と引いてるっぽい。
少し申し訳なくなる。
「……聞きたくなかった?」
「いいえ。むしろ、もっと知りたくなったくらいですよ」
新しいメガネがキラリと光った。
油断するとすぐに反撃がくるなあ……。
わたしはコーンスープをもう一度口にしてから、スプーンの持ち手をあっち向きに置いて、器を向こうへ押した。
「お腹いっぱい。代わりに食べて」
スープはまだたっぷりと残っている。
思惑通りに後輩くんはフリーズ。
ここから用件ついでに追撃をかけてやろう。
「早く、これからやることあるんだから」
彼は言われるがままにスプーンを手にする。それからまた停止。
「やることって?」
「いけないこと、だよ」
「さすがにそれは……」
「ふたりだけの秘密」
「そう言われても」
彼はスプーンから手を離した。
恥ずかしがってるというよりは、本格的に困っているみたいだ。
「颯太くんはこの前、力の把握はちゃんとしておいてって言ったよね。まだできてないから、適当なひとに使ってみようと思う。落ち着いた状況で、確認しておきたいの」
「なんだ。確かに倫理的に問題がある行為ですね」
「なんだと思った?」
「いやらしいことだと思いました。お互いの家には家族も居るし、高校生でホテルに行くわけもいかないからどこでするんだろうって」
彼はキッパリ言うとスープをひと口すくって食べて、さっきわたしがさっきしたように器を押してきた。
「ぼくもお腹いっぱいです。ほら、早く食べてください」
「……それはさすがに、ムリ」
スプーンを掴んで硬直する。
「バカップルってやつですね」
「付き合ってないし」
「ぼくはいつでも歓迎です」
「ハッキリ言うなあ……。少しは隠しなよ」
「あおいさんがぼくを困らせるからです」
「わたしも困ってるんだけど」
「イヤならやめます」
「イヤとか、そういうことじゃなくって……」
こっちがオッケーを出せば、そういう関係になれる距離。
彼と居て楽しい。恋というほど好きじゃなかったら付き合うのはダメだというほどお堅い頭でもない。
だけど、心のどこかでロックがかかってしまっている。
わたしはまだまだ人付き合いに臆病なままだ。
病気さえ消えたら、お母さんのことさえ知れたら……変われるかもしれない。
「この話は置いとこうよ」
「はい、置いておきましょう」
力強い返事だ。彼はソーダを飲み切る。わたしもスープを片付ける。
「じゃあ、いけないことをしに行きましょうか」
「その言いかたやめて」
「先輩が言ったんでしょう。じっさい、かなり倫理的な問題がありますよ。顔を隠す必要もありますし、場合によっては逃げる必要も」
「うん。それでも、手伝って」
「もちろんです」
わたしたちは喫茶店を出て、日曜日のモールへと繰り出した。
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