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37話




 季節は巡り、美花はまた種もみを水に浸けて芽出しの準備を始めた。

 自分の田んぼで収穫したものと、ミシェルを介してインドリア王国から譲ってもらったものを混ぜて、前回の倍の量を用意する。

 というのも、水田ビオトープが生物学の実習に役立つと教師からの口添えがあったため、学園の運営費から土地の賃貸料を半分負担してもらえることになったのだ。これを機に美花は思い切って、前年度の倍の広さの土地を借りることにした。

「この調子で毎年じわじわ耕地を広げていって、ゆきゆくは庭園の池以外を全部田んぼにしてやろうと思ってるんです」

「となると、田植えの後は庭園中でカエルが鳴くということか……いや、やめよう、ミカ。きっと煩くて授業にならない」

「あら、ルーク先生。カエルの大合唱は夏の風物詩ですよ。どうせなら、大きい種類のも放しましょう。あの騒音をものともしない忍耐力と集中力を子供達に養わせるんです」

「子供達はともかく、私を含めた教師陣がカエルの鳴き声に対抗できる気がしない……」

 美花の野望に駄目だしをするのは、生物学の教師でハルヴァリ皇帝の従叔父にあたるルーク。

 前年に引き続き、今年も実験室の片隅を借りて種もみの芽出しをすることにした美花に、この部屋の鍵を管理しているルークが付き合っているところだった。

 彼は、自分が実はハルヴァリ皇族の血を引いていないことも、それゆえ帝王を認識できないのだということも知らないままだが、何とか劣等感と折り合いを付けながら日々を過ごしている。

 今もまだ、美花の隣にふよふよ浮いている帝王の生首は、彼の目には見えていないのだろうが……

「帝王様。もしもお側にいらっしゃるなら、どうか庭園をカエルだらけにしないようにミカを窘めてくださいませ」

「ミカちゃんや、ルークもこう言っているんだ。とりあえず、デカイやつを飼うのはやめよう。あやつら急に鳴き出すから心臓に悪い」

「心臓なんてもう千年前から無いじゃない――あ、ルーク先生。帝王様も大きいカエルにはドッキドキですって」

 こんな風に、美花みたいな帝王を認識できる者を介して会話をすることを思いついたらしく、それからは積極的に帝王と関わろうとするようになった。

 彼は、帝王を認識できない自分のことも周囲がちゃんと認めてくれていると気付き、少しずつ自分の境遇を受け入れ始めているようだ。

 そんな中、トントンと扉が叩かれる。

 ルークが返事をすれば、扉を開いて顔を覗かせたのはカミルだった。

 カミルはルークに対して丁寧に会釈したが、一転、美花に向かって眉を顰める。

「ミカ。お前、まだここに居たのか。急げ、そろそろ馬車が到着するぞ」

「えっ、もうそんな時間?」

 ルークへの挨拶もそこそこに、美花はカミルに追い立てられるようにして実験室を飛び出した。もちろん、帝王も一緒だ。

 カミルは美花の手首を掴み、グイグイ引っ張って歩き出す。大股で歩く彼に合わせようとすると、美花は自然と小走りになった。

 実験室から真っ直ぐに廊下を進めば学園の玄関に辿り着く。カミルは美花の手を引いたまま、アイアン飾りの付いた重い玄関扉を押し開けて潜ろうとしたが、ふと立ち止まって彼女を振り返った。 

「……ミカ、お前縮んだか?」

「そんなわけないでしょ。あんたが大きくなっただけだよ」

 初めて会った時、十四歳だったカミルは美花よりも少しだけ背が低かった。その半年後、美花が正式に寮母に就任した時にはぴったり同じ身長で、そのさらに半年後にはいつの間にかカミルに背を抜かれていた。

 そして、さらにさらに半年後の今――美花とカミルの間には頭一つ分ほどの身長差ができてしまっていたのだった。

 この著しい成長によって、カミルは半年で二度、学園の制服を新調している。

 この時、彼はその制服をシャツの一番上のボタンまできっちり留めて着ていたのだが……

「カミル、待って。曲がってる」

 縦結びになっていたリボンタイを、美花が空いた方の手で直してやる。

 次いで彼の胸をポンと叩き、にこりと笑って言った。

「いつも格好良くキメておいてよね、最上級生のお兄さん。頼りにしてるよ」

「ふん、任せろ」

 美花の言葉に誇らしげな笑みを浮かべたカミルは、この度アイリーンと共に学園の三年生になった。彼らにとってはハルヴァリ皇国で過ごす最後の一年が始まる。

 今日は、今年度の新入生となるいずこかの王国の王太子達がハルヴァリ皇国にやってくる日。彼らの到着予定時間が迫っているのでカミルは美花を急かしたのだ。

 ミシェルとイヴも二年生に進級し、初めての後輩となる新入生の到着を今か今かと待ちわびているだろう。

 皇帝と帝王、そして寮母と上級生達が寮の前に並んで新入生を迎えるのが入寮の際の習わしだ。

 同時にこれは、新入生達にとっての最も重要な試験でもある。

 帝王が認識できるかどうかで、彼らがこれから三年間ハルヴァリ皇国に滞在できるか否かが決まるのだから。

「ほら、急げっ。寮母が顔合わせに遅刻したとあっては、面目が立たないだろう」

「おっしゃるとおりでございますー」

 カミルに手首を引っ張られたまま学園の玄関を抜けた美花は、庭園へと足を踏み出した。

 ただ、二人の間には身長差に比例してコンパスにも差ができてしまっているのだが、とにかく急いでいるカミルはそんなことまで気が回っていなかった。

「ちょっ……ま、待って――あっ」

 ついに足がもつれ、美花の身体がぐらりと傾ぐ。

 そこでようやく我に返ったカミルが慌ててもう片方の手も差し伸べようとしたが、それよりも早く横から伸びてきた別の手が美花の身体を支えた。

「――危ないぞ、カミル。エスコートをするならば、もう少し相手を労りなさい」

「陛下……」

 現れたのはハルヴァリ皇帝リヴィオ。カミルは驚いた拍子に美花の手を離し、代わりにリヴィオが彼女の腰を抱いた。

 リヴィオも新入生の到着時刻に合わせ、執務室のある宮殿から戻ってきたのだろう。

 美花がカミルに実験室から連れ出されて寮に向かっているのは、帝王の目を通して彼にも見えていただろうから、こうして途中で出会ったのも偶然ではないかもしれない。

 と、その時だった。

 ヒヒンと馬の嘶きに続き、ガラガラと車輪が回る音が聞こえてきた。

 新入生を乗せた馬車は、宮殿ではなく直接この学園と寮の間にある庭園の方に入ってくる手筈になっている。

「おっと、こうしちゃいられないな――カミル、走るぞ」

 リヴィオはそう言うと、ひょいと美花を片腕で抱え上げ、もう片方の手でカミルの腕を掴んで駆け出した。

「うわ、わわわ、陛下!?」

「ミカ、口を閉じていなさい。舌を噛むぞ」

 小手に腰掛けるみたいにして抱えられ、グラグラする上体を安定させるために、美花はとっさにリヴィオの白金色の頭に抱き着いた。その頭越しに、リヴィオに片手を引っ張られて追走するカミルと顔を見合わせる。

 寮の前ではアイリーン、ミシェル、イヴの三人が待っていて、美花を担ぎカミルの手を引いて駆けてくるリヴィオに一瞬目を丸くしたが、すぐに揃って笑顔になった。

 ようやく寮の玄関扉の前に辿り着いたリヴィオは、さっと美花を隣に下ろして居住いを正す。

 美花もエプロンの皺を伸ばし、前髪を指で整えた所に、帝王の生首がぴょんと飛び付いてきたため、胸の前で両腕に抱えた。

 カミルはリヴィオと美花の後ろに回り、他の三人と一緒に並ぶ。

 ちょうどその時、庭園の中に馬車が入ってきた。

 到着時刻は予定通りで、やってきた馬車は二台。つまり、今年度の新入生も二人ということだ。

 二台の馬車は寮の玄関前に横付けにされ、御者達は出迎えの一行に恭しく頭を垂れてからそれぞれの馬車の扉を開いた。

 馬車の中からは、まだあどけなさの残る少年と少女がそれぞれ降りてくる。

 彼らはまず、皇帝リヴィオの類稀なる美貌と威厳に圧倒されて息を呑んだ。

 次いで、彼の隣に立つ美花の腕に抱かれた帝王の生首を見てぎょっとする。親から話には聞いてきただろうが、実際それを目にした衝撃はいかばかりか。ただし、彼らのその表情こそが、ハルヴァリ皇国に留学するための試験をクリアできたことを証明していた。

「ようこそ、ハルヴァリ皇国へ」

 リヴィオが落ち着いた声でそう告げる。

「ようこそ、俺の可愛い子供達よ」

 帝王も弾むような声で続けた。

「はじめまして、帝王様、皇帝陛下」

「よ、よろしくお願いします……」

 二人の新入生は何とか挨拶を返したが、落ち着かない様子で視線をうろうろとさせている。

 ひとまずは二人を私室となる部屋に案内して休ませてやろうと思った美花は、帝王の生首を抱えたまま一歩彼らに近づいた。

「はじめまして」

 美花はにっこりと安心させるような笑みを浮かべ、極力優しい声をかけた。

 とたんに二人の新入生の視線は美花に集中したが、どうやら彼女が寮母だとは気付いていない様子。

 さもありなん。彼らの親がハルヴァリ皇国に留学していたのは、マリィがまだ現役だった頃だ。そんな親から聞かされてきた寮母のイメージは、おそらく包容力のある上品な老婦人だっただろう。

 一方、いつものワンピースにエプロンドレスを着けた格好の美花は、彼らの目には若いメイドに見えたに違いない。実際に少年の方は、美花を値踏みするような目で見て「なんだ、メイドか」と呟いた。美花が寮母に着任した直後のカミルを彷彿とさせる、実に生意気な態度である。

 美花はますます笑みを浮かべると、そのままつかつかと歩いて新入生達の目の前に立った。

 そして、まださして身長の変わらない彼ら――特に、生意気な少年の方には鼻先がぶつかり合いそうになるほどの距離まで詰め寄ると、狼狽える相手の瞳をじっと覗き込んで口を開いた。

「いいえ、私はメイドさんじゃありませんよ」

 とたんに両目をぱちくりさせる新入生達の顔には、だったらお前は何者なんだ、という疑問がありありと浮かんでいる。

 だから美花はさらににっこりと笑い、胸を張って告げた。



「私は――寮母さんですよ」







終わり



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