出立準備
「おや、カイトの旦那じゃねえですかい」
「よぅ、ジョン。塩梅はどうだ?」
「リュウ坊も一緒ですか。なに、春先に生まれた仔達は順調ですわ。今日は何用で?」
「こいつの馬を選びに来た」
「ああ、なるほど。“召喚状”も届いてきて、いよいよリュウ坊も本格的にお披露目ってわけですかい」
「お披露目なのかどうかは、まぁわからんがな。どっちにしろ、そろそろリュウ専用の馬を選んで良い頃だ」
「だと思いましたよ」
さっぱりと晴れた初夏の空の下、小丘の上にある牧場へやってきた。
瑞々しい草の上に、様々な色や姿かたちをした馬がそこかしこでのびのび寛いでいる。
ここの経営管理と馬の飼育を一手に引き受けているのが、この中年のベテランであるジョンという男。恰幅の良い陽に焼けた顔でカイトと談笑するその姿は、いかに二人の仲が良いものかを思わせる。
談笑している二人をよそに、リュウは少し視線を巡らしてから馬達がいる方へ足を向けた。道すがら、ここで何を何のためにするのかはカイトに訊いている。
この牧場にも、リュウは普段からよく足を運んでいた。ジョンからも、リュウがある程度馬にも慣れて触れあっている様子を訊いている。それに、ジョンの人柄を反映してか、ここの馬達は人間に対して好意的なのだ。
だから、カイトはリュウが一人離れて行っても何も気にしない。そのまま、ジョンと共に今後の飼育や経営のことなどを雑談がてら話しこむ。
ところが、思ったより早くリュウが傍に戻ってきた。
振り向いたカイトは―――リュウが連れてきた馬を見て僅かに瞠目する。そして、内心では舌を巻いていた。
そして、にっと口端を上げる。
「―――なるほどな」
「おや、驚かないですかい?」
「いや、一瞬驚いたが…リュウのことを考えりゃ不思議でもなんでもねぇってな」
「ははぁ…ま、言い得て妙ですわ」
「?カイト、ジョン。何かいけなかったか?」
「いいや、流石だって思っただけだ」
悩む時間もほぼ無かったのでは、と思うほどにリュウが早々に連れてきた馬は、何頭もいる馬の中でも異色な馬だった。
短毛黒毛で、体躯としては農耕馬というより専ら競技用の馬。小柄なリュウと並ぶと、その体躯の良さが更に際立って見える。
今は薄れているが、身体のあちこちに浅くない傷をいくつも作っていた。
「いやはや、わしも最初は驚きやしたがね。なんせ、この気難しい暴れ馬の心を簡単に開かせてしまった」
「いいや、簡単とはちっと違ぇ気がするぜ」
「ああまぁ、最初こそ大暴れしてリュウ坊も苦労してましたがね」
「それだけじゃねぇよ、きっとな」
「んん?」
カイトとジョンの目の前で、リュウはその黒馬を撫でおり、また馬の方もリュウに顔を擦り寄せている。
傷の舐め合い……などではない。とことん真正面からぶつかって喧嘩し合った後の、ある種の信頼関係のような、そんな風情に見える。
この黒馬の身体に刻まれた傷は、かつてどこかの人間に故意に負わされた傷痕。元の飼い主がどういうふうにこの馬を扱ってきたのか、それはカイト達四人も知っている。
そのせいか、今でもあまり人間に懐かない。どころか、かなりの警戒心を以って威嚇してくるものだ。同じ馬という動物同士でも、触れあいは少なくいつも一頭で佇んでいる。
リュウがどうやってここまでの関係を築いたのか、それは訊くまい。聴いたところで、確固たる言葉で表わせる答えなど見つからない。
ただ、あれほど他者から距離を置いていた一頭の馬が、こうして一人の人間に懐いたという目の前の事実―――カイトには、それだけで十分だった。
「いいんだな?」
「ああ」
相変わらず無愛想ながらも、意思の籠った瞳でそう頷くリュウにカイトも頷く。
「んじゃ、ちっと遊んで来い」
「遊ぶ?」
「ああ、そうそう。そいつに名前もつけとけよ?それはもう、リュウの馬だ」
リュウはカイトを見、ジョンを見、そして傍らの黒馬を見る。
遊ぶ、という言葉の意味を図りかねているリュウだが、カイトの瞳から何かを読み取ったのか、自ら選んだ相棒を伴って広い牧場へ足を向け……駆けて行った。
「おーおー、なんだリュウの奴、結構乗りこなせてんじゃねぇか。こんなら、特別教えることもねぇかもな」
「ですわ。わしが何も言わんでも最初っからああでしたんで。そういえば、ここ最近リュウ坊の雰囲気がちょっと変わりましたかい?」
「かもな」
やはり、ここでも野生の感覚が発揮されているのか―――リュウの仕草は一見するとド素人のようだが、よく見てみれば理に叶っている。それが証拠に、あの黒馬含め周囲の馬達も、リュウも、互いに自然体で馴染んでいる。
おそらく、リュウは身体の奥底から自然の摂理というものを弁えている。だから、何か技術的な事を学ばずとも、どうすればいいかがわかるのだ。
「カイトの旦那」
「うん?」
ジョンの声音が少し真面目な雰囲気になったのを察し、カイトも相応の態度で応える。
「リュウ坊はまだ、このマルティネから出たことはないんでっしゃろ。まぁ四人がついてるなら滅多なことはねえと思いやすが…」
「任せろ。五人揃って、無事帰ってくるさ」
「ええ、信じてますよ。この広いマルティネをこんなにも住み良くしてくれた御仁である旦那達のことを信じない者はここにゃいやせんぜ。ただまぁ…今回のことで、リュウ嬢は知ることになりましょうな。たとえ、何事もなくても」
「望むところだ。あいつは―――リュウを、マルティネの中に閉じ込めておく気なんざ、鼻からねぇからな」
「なるほど」
やっぱり不敵な笑みを浮かべているカイトに、ジョンは安堵と少しの心配が入り混じった眼差しを向け、そして遠くに居るリュウを見遣った。
自分の相棒となった黒馬を、リュウは『玄』と名付けた―――
* * *
その翌日―――
「ああらぁ、貴方が噂の騎士姫ちゃん!?まぁま、想像以上にイ・ケ・メ・ン❤」
「おーい、ユーリ。リュウは女の子なんだけど」
「あら、男の子でも女の子でもイケメンはイケメンよぉ?まったく、この屋敷は美術館ねっ!」
「うわぁ、俺らって観賞物かよ」
イケメン――とは「イカした=イケた メン=面」の略だから、まぁ間違ってはいないが……というのは置いておくとして。
マルティネ家のいつもの面々が勢揃いする中で、なにやらハイテンションな一人の人物が訪問して来ていた。
「彼はユーリ=セレッシャルと言って、馴染みの仕立て屋だ。リュウの正装はこの者に頼みたいと考えている」
クリストフが簡潔に説明してくる。
軽くウィンクをしてくる彼に、リュウも軽く会釈を返した。
ユーリ=セレッシャル。見た目は年齢不詳だが、自己紹介ではもう直ぐ三十路を迎えるということだ。色素の薄い黒髪で、スラリとした背格好はクリストフに一番近い。
訊けば、彼に四人が出逢ったのは数年前―――“四燿星”の称号が流布し始めた頃のことで、その時四人はマルティネの治安口上に奔走しながらも人材発掘のために方々を駆け巡っていたのだとか。
その時偶然知り合ったこの男は、仕立て屋には間違いないのだが、普通の仕立て屋あるいは服屋とは異なり店を持たないという、かなり変わった人物。確固たる店も工房も持たないでどうやって服を仕立てるのか、それはさしものカイト達も未だに謎らしい。
だが、確かに上等且つ機能性のある服を仕立てる腕前は超一流。大抵の要望は彼の手により実現するのだそうだ。かくいうカイト達の正装など、いくつかの衣服も彼の手によるもので、かなり気に入っているよう。
そして、ユーリもユーリでお貴族様らしくないマルティネ家のことは気に入っている様子。かなり親しげだ。
そんな、どこもかしこも謎に包まれたユーリは、知る人ぞ知る…という感じで屋号も何も持っていない。本当に謎だ。
「んもうっ、こんな可愛い子の晴れ着が作れるなんて夢みたいだワっ!」
そして、さっきからこのハイテンション且つ超上機嫌な笑みを崩さぬ彼は、世間一般的に言うところの「おネエ」であった。
だが、そんな単語も概念もリュウは知らない。だから、ただ彼の個性として淡々と認識する。
正装はキハル達の領分ではない。そして、カイト達の馴染みということはそれだけで信頼が置ける。リュウも、今日初めて相まみえた彼に任せることに何ら異存はなかった。
とはいえ……少しばかり、首が無意識に傾く。
「あら、ワタシがなにか?」
気づいたらしい。ユーリがにこにこ顔で話しかけてくる。
「いや……身一つなのが、少し気になった」
見れば、確かにユーリは手荷物が一つもない。服装だけは一般的な仕立て屋と似たり寄ったりなだけに、些か妙に映る。
「それがユーリの末恐ろしいところでな。なぁんもしなくても、相手を見ただけで採寸できて、しかも記憶できる。んで、出来上がった服は寸分違わず要望に沿うばかりか、要望以上の出来だ」
「そうなんだよねぇ。確か、過去最高で一気に52人を目視で採寸して仕立てたんだっけ?」
「あらぁ、大したことはないのよ?」
「…なら」
リュウはユーリを見る。
「もしかして、もう採寸は終わったのか」
「あらま、察しと順応力がイイコト。その通りよ」
にっこり微笑まれた。
確かに、こともなげにそんなことを言うユーリは、ある意味怖ろしい。
「とはいえ、それだけじゃぁ味気ないかしらね。お得意様のマルティネ家のだーいじなお姫サマだし。ちょっとスパイスが欲しいかしら」
「…?」
「ねぇ坊っちゃん達。この子見る限り、恰好としてはアンタ達のような感じで良いわよね?」
「おぅとも」
「それで頼む」
「それ以外ないよねぇ」
「もう騎士姫って出回ってるもんな―」
「そ。なら良いわ。それじゃ―――今から出掛けるわよ、お嬢チャン♪」
「は…?」
リュウは隣を歩くユーリに短い相槌を打ちながら歩いていた。
自他共に認める無愛想な態度を気にした様子はない。というか、既にそれがリュウの自然体だと気付いているようだ。
職業柄か、ユーリはくどくない程度に口がよく回り、なんてことはない気軽な話をしてくる。特に、知り合った後のカイト達との付き合いや笑い話が多かった。
リュウはここに来てから、こういう風にあの四人以外の者と隣を歩いた経験はない。常に四人のうちの誰かか、一人か、あるいは村人多数。だから、少々慣れない。
とはいえ、決して不快なわけではない。それより、ユーリが何を意図して自分とこうしているのか、そこが気になった。
「そうそう。貴方、異世界から来たんですってね?」
「ああ」
「やっぱり、こことは随分違う場所なのかしら」
特に深い話をしようというわけでもなさそうだったので、リュウもごく簡単に応える。そもそも、深く話せるほど元の世界のことも知らないが。
「いや…それは自分にもわからない。あっちで生きている間、行動範囲は狭かった。ただ、やはり違うとは、思う」
「そうなのね」
思った通り、これ以上訊いてくることはない。思えば、初対面なら誰しもが口にするような、リュウのあれやこれについても追及してきていない。
本当に、彼はなにを考えているのか―――リュウが再び内心で首をもたげた時だった。
「!?」
身に沁みついた“本能”のままに、リュウは目にも止まらぬ早さでタンっと地を蹴った。同時に、やはり無意識に腰へと手を宛がう。
そこには、“決意”をしたあの日から腰に挿している、自分の愛剣があった。
「――…なにを」
動揺はしなかった。
ただ、目の前の人物の変わり身に、訝しんで目をすがめる。
リュウの問いには答えず、彼は素早い動きで接近してきたかと思うと手を閃かせ頸動脈目掛けて振り下ろしてくる。それは、最速の矢の如き俊敏さで、一般人であれば既に息絶えていただろう。
だが、リュウは顔色も変えず、それよりも更に素早い動きで交わした―――と思った次の瞬間には再び地を蹴って彼の背後に回り込む。
二人の動きが止まった。
緊迫した雰囲気……ではないところが、傍から見れば妙である。
沈黙後――
「――…ふぅ…完敗ね」
まるで何事もなかったかのような調子で、ユーリがそのままの態勢で肩を竦めてきた。
「その腰の剣を抜かせることもできないなんて、ワタシもまだまだだわ。それとも、腕が衰えたかしら。いやねぇ、齢って」
それどころか、とても楽しそうにクスクス笑ってくる。
「…貴方が、本気で殺しに来てないことは直ぐに判ったが――」
「あらぁ、普通の人はそうは思わないわよォ?」
「このために、連れ出したか」
「そ。貴方がどれほどの腕前の持ち主なのか、試させてもらったわ。気を悪くした?」
「いや…」
「うふふ。まったく、予想以上ね。たった数秒でこれだもの。ワタシの暗器を余裕で避ける人間なんてそうそういなかったわよ?これでも、暗殺業の中では名が知れてるんだけど」
リュウは、背後からユーリの首元に添えていた両手をゆっくり外す。
リュウより明らかに体躯の大きいユーリが、今の今まで動けなかったのは、少しでも動けば首の骨がポッキリ折れていたから。冗談ではなく、本気で。
「仕立て屋というのは、仮の姿か?」
「いいえ?どっちも本当の姿ヨ」
自然に纏っていた警戒心を解いて、リュウは改めてユーリと対峙する。
「そして、ワタシはもう一つの姿……暗殺者として、“四燿星”とかつて敵対していた人間」
「……」
「ああ、安心してちょうだい。今はあの通り、懇意にさせてもらってるから」
「いや、そこはなんとも思っていないんだが…」
確かに、喋っていたユーリは瞬間的に殺気を放ちリュウに襲いかかってきた。それも本気も本気の大真面目で。おそらく、もしリュウがユーリより腕が下であったら、彼は確実に殺していた。
だが、リュウはいきなりこんなことをしてきたユーリに憤怒の感情は抱いていない。
それは信用ではない。カイト達が懇意にしているという点では信用していても、リュウは長年「他者は皆、敵」という環境に身を置いてきたのだ。そこまでお気楽な性格はしていない。
とはいえ、冷静に考えてユーリがここで自分に仕掛ける理由が、本当に自分を殺すためとは思い難い。リュウは殺気を纏わせ僅かに“本能”のスイッチを入れつつも、一方でそう考えていた。
「――と、まぁ腕試しっていうのは、こんなことした理由のうちの半分なんだけど」
「?」
「もうあと半分は、貴方の正装を作るためヨ」
「どういう…」
どちらからともなく再度歩き始めながら、ユーリは楽しそうに言ってくる。
「ワタシはね、なんでも一流じゃないと気が済まないのヨ。暗殺業にしても、他の誰よりも完璧に遂行するために頑張ってきたわ。ま、それはあの坊っちゃん四人に会って、ちょこっと方向性が変わったけど」
茶目っ気たっぷりに笑いかけてくるところは、どこかアンヌに似ていた。
「服も、そうヨ。人間は一人一人違うわ、性格も体躯もどんなことをするのかも、ね。つまり、一つとして同じ服があるはずがない。だからね、お嬢チャンが一体どういう人間なのかをこの目で見たかったのよ」
先ほど言っていたスパイスとは、どうやらそういう意味らしい。一人一人の個性に合わせた、唯一の服を作るためには機械のように無機質に作るわけにはいかない。
どうやら、ユーリは職人肌の持ち主のようだ。
「急にあんなことして悪かったけれど、でもこれで、心おきなく貴方の服が作れるわァ」
語尾に音符マークがつきそうな上機嫌さで隣を歩くユーリを、リュウは妙な心地で見遣っていた。
「そうだわ。ワタシが言うのもアレなんだけど」
軽い調子ながらも、若干声を潜ませたユーリ。
「お嬢チャン、多分、これからが大変になるわよ」
「……」
なにが、とは訊かなかった。
確固たる答えは理解していない。それでも―――やはり野生の勘か、なんとなくある種の予感めいたものがあったからだ。
それは、数日後―――王都へ出立する前日の夜に、更にはっきりすることとなる。
注!私は「おネエ」あるいは「同性愛者」といったものに、いわゆる「差別意識」はありません。人間の一つの個性として考えております。読者様によっては気に入らない表現があっても、私個人はそのような世界に負の感情を抱いているわけではないですのでご了承ください。