第五話 月灯花
森に少し入ったところで、俺はちびっ子をそっと下ろした。
ふわり、と小さな身体が宙に浮く。
白く淡い光をまとったそいつは、俺の目の前をふよふよと漂いながら、つぶらな瞳でこちらを見上げていた。
「じゃあ、またね。次会うときは、消えそうになる前に帰るんだよ」
そう声をかけると、ちびっ子はこくりと頷いた……ように見えた。
『あそびにきてね、よあけのこ』
「……うん。またね」
思わず、笑みがこぼれる。
……いや、待て。
そもそも、こいつが消えそうになっていたのは、俺が熱で寝込んでいたときに勝手に現れたからじゃないのか?
それに、遊びに来てって……ここ、森なんだけど。俺、村に住んでるんだけど。
まあ、いいか。
少なくとも、こいつは俺を弔いに来たわけじゃなさそうだし。
俺はひらひらと手を振り、森の奥へ戻っていくちびっ子を見送った。
その小さな光が木々の向こうへ消えるまで、なんとなく目を離せなかった。
「……」
帰るか……。
またセレネに見つかったら、何を言われるかわかったもんじゃないし……。
いや、ほんとに。あの子、見た目に反して結構しっかりしてるんだよな。下手な言い訳なんて、あっという間に見抜かれそうだ。
なんなら、俺に対する違和感を必ず拾ってくれるから、その……寿命が縮むっていうか…
……まあ、そもそも、こんなところでひとりごとを言ってる時点で怪しいんだけど。
俺は小さく息を吐き、村へ続く道を歩き出した。
体調は、すっかり元に戻った。
熱も下がったし、咳も出ない。身体のだるさも綺麗さっぱり消え失せた。母さんからは「もう少し安静にしていてもいいのよ」と心配されたけれど、セレネからも無事にお墨付きをもらった。
曰く、顔色もいつも通り。歩き方も問題なし。もう川に落ちても風邪を引かないくらい元気、とのこと。
……いや、最後のは余計だろ。
ともあれ、これで完全復活だ。
そして。
ついに、約束の日がやってきた。
風邪を引いたせいで延期になっていた、セレネと遊ぶ約束。
子供同士の約束なんて、そんなに大げさなものじゃない。……ない、はずなんだけど。
待ち合わせの時間が近づくにつれて、妙にそわそわしてしまう。
いや、別に楽しみなわけじゃない。
ただ、せっかく約束したんだから、ちゃんと行かないとな。うん。そういうことだ。
……それにしても。
この世界の子供って、普段どんな遊びをしてるんだろう。
前世の記憶を頼りに考えてみても、遊びといえばゲームだの動画だの、現代日本のものばかりが浮かんでくる。でもそれは引きこもってからの話だし、子供の頃は、どう遊んでいたか……もう忘れてしまったな…
忘れたとしても、異世界の子供らしい遊びなんて、さっぱりわからない。
まさか、また水切りをするわけでもないだろうし。
できれば、元の世界の子供たちと同じような遊びがしたい。
鬼ごっことか、かくれんぼとか。あとは……缶蹴り? いや、この世界に缶があるのかは知らないけど。
とにかく、特別な道具も魔法も必要ない、普通の遊びだ。
前世では、子供たちが当たり前のように楽しんでいたもの。そんな遊びを、今度は自分が子供の身体でやってみたい。
……まあ、二十五歳の男が考える遊びとしては、どうなんだって話だけど。
今は子供なんだから……
……いや、待て。
あのときは石に魔力を込めて、森の奥まで吹っ飛ばしたんだった。そもそもアルセインの身体能力は普通の子供のそれじゃない……。いいや
今度こそ、普通に遊ぶ。絶対……
そう、絶対に。
そう心に決めて、俺は待ち合わせ場所へと向かった。
「……おはよう、セレネ」
待ち合わせ場所に着くなり、開口一番にそんなことを言われた。
「あら、アル。今日も寝坊助さんね。最近早く起きていたことの方がおかしかったのかしら?」
にっこり。
セレネは実に愛らしい笑顔を浮かべていた。
……うん。笑顔だ。とっても可愛らしい笑顔だ。
なのに、どうしてだろう。
背筋に妙な寒気が走った。
「えっと……セレネ?」
俺ならもっと早く起きれました!起きれた……はず……少なくとも仕事をしてた時は…ええい、皆まで言うな!
しょうがねぇじゃん!!
いや、本当に。俺だって好きで寝坊しているわけじゃない。そもそもの話、アルセインが寝坊常習犯少年だったのが悪いんだ!
だって考えてみてほしい。
今までの俺は、朝になったらそれなりの時間に起きて、朝食を食べて、身支度を整えて……という、ごく普通の生活を送っていた。
けど、こっちの世界ではそうもいかない。
だって俺は、今はアルセイン少年なんだ。
周囲の人間が知っているアルセインという少年は、朝になってもなかなか起きてこない。母さんに何度も起こされて、フライパンをキンコンカンコンされて、ようやく布団から這い出してくるような、筋金入りの寝坊助なのである。
そんな奴が、ある日突然。
夜明けとともに起床し、朝食の時間にはすでに身支度を終え、爽やかな顔で家族に挨拶をしたらどうなる?
……怖いだろ。
俺だったら怖い。
母さんだって、目の前のセレネだって、絶対に疑う。
「アル、頭でも打ったの?」
とか。
「熱でもあるんじゃない?」
とか。
下手をすれば、また医者を呼ばれる可能性だってある。冗談じゃない。健康なのに病人扱いされるのは御免だ。
だから俺は、仕方なく。
ほんっとうに仕方なく、アルセインの生活習慣を再現しているのである。
……まあ、そのせいで待ち合わせに遅れかけているわけだが。
俺はちらりと目の前の少女を見た。
セレネは相変わらず、にこにこと笑っている。
うん。可愛い。
可愛いんだけどさ。
その笑顔、絶対に「次は許さないわよ」って意味が含まれてるよね?
……俺、知らね〜!
いや、マジで!
俺は悪くない。悪いのは寝坊常習犯のアルセインだ。
――というわけで、どうかその笑顔をやめていただけませんか、セレネさん。
「どうしたの? どう見ても美少女の微笑みでしょう?」
「えっ! 心の声読めたっけ!? セレネ」
「顔に書いてあっただけよ」
そう言うなり、セレネの指先が俺の額へと伸びてきた。
ぴしっ。
「いたっ!」
見事なデコピンだった。
「もう。アルったら、失礼ね」
「い、いや、だって……!」
「だって?」
にこり。
……あ、駄目だ。まだ笑ってる。
しかも今度は、さっきよりずっと楽しそうだ。
「ふふ。そんなに驚かなくてもいいじゃない」
「いや、普通に痛いんだけど……」
「それはアルが悪いのよ」
理不尽だ。
いや、待て。そもそも俺は何も口に出していない。心の中で思っただけだ。
それなのに、顔に出ていたからとデコピンされるなんて。
……こいつ………
いけないいけない、こんな顔はアルセインはしないだろう。深呼吸だ。
「ほら、今日は何をして遊ぶの? せっかく約束を守ってくれたんだもの。たくさん遊びましょう?」
セレネは俺の手を取ると、弾むような足取りで歩き出した。
その笑顔は、今度こそ本当に楽しそうなものだった。……じゃあ、もういいか。それで。
俺はうんうんと頷いた。
さっきまでの怖い笑顔も、デコピンも、ひとまず水に流そう。せっかくこうして一緒に遊べるのだ。いつまでも気にしていたって仕方がない。
「それで、今回はどこで遊ぶの?」
隣を歩くセレネに尋ねる。
前回は川辺で水切りをして、そのまま川に落ちるという大惨事になった。今回はできれば、そういう危険のない場所がいい。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、セレネは少しだけ歩調を緩めた。
「遊ぶというか、見せたいものがあるの」
「見せたいもの?」
思わず聞き返す。
セレネはこくりと頷いた。なかなか神妙な心持ちだけど、まさか、また変なことじゃないだろうな?
セレネは自分に無茶するなって言うけど、自分はそれ以上に好奇心旺盛で危なげなの気づいていらっしゃるのだろうか。このセレネさんは。
「うん。アルにも見せてあげたいものがあるの」
「へえ……それってなぁに?」
「着いてからのお楽しみ」
そう言って、彼女はいたずらっぽく笑った。
……なんだろう。
少なくとも、川ではなさそうだ。
俺はそう自分に言い聞かせながら、セレネの後をついていった。
セレネに何も告げられないまま、俺は彼女についていくことになった。
歩き始めてから、おそらく三十分くらい。
セレネは迷う様子もなく、まるで何度も通ったことのある道のように、木々の間をすいすいと進んでいく。
枝葉の隙間をくぐり、根を跨ぎ、時折道を逸れるようにして奥へと向かっていく。
……よく迷わないな。
俺の目には、どこを見ても似たような木々ばかりに見える。……それと、木々の隙間からこちらを覗いているちびっ子たちの姿くらいしか見えない。
俺たちが歩くと、少し距離を空けて一匹、また一匹とついてくる。目が合うと慌てて隠れるくせに、しばらくするとまた顔を出す。
……もしかして、種族全体で俺に懐いていらっしゃる? なぜなん?
木の幹に何か目印でもつけているのだろうか。
いや、俺にはよく見えないだけで、実は何かあるのかもしれない。
ほら、魔法的なアレコレとか……。
この世界、そういうのがあってもおかしくないし。
……うん。きっとそうだ。そういうことにしておこう。セレネなら簡単に使いこなせるだろうし。
「アル。見て」
「うん……? …………わ……」
セレネの声が聞こえて、よそ見をしていた視線を前へ戻す。
そこには、綺麗な花畑が広がっていた。
一面に咲き誇る白い花。花弁は淡く青白い光を帯びていて、まるで夜空の星を地上に散りばめたようだった。日の光が差し込む森の中だというのに、その光は消えることなく、花畑全体を幻想的に彩っている。
なんの花だろう。
少なくとも、前世の世界では見たことがない。
けれど、花の形は心なしか百合に少し似ている気がする。細長い花弁が外側へと反り返るように広がり、中央には小さな青い蕊が覗いていた。
風が吹く。
さらさらと葉擦れの音がして、無数の白い花が一斉に揺れた。
そのたびに、青白い光がふわりと瞬く。
「どう? すごいでしょう?」
セレネが得意げにこちらを振り返って笑っている。
花畑を背にした彼女の姿は、なんだか一枚の絵画みたいだった。淡く青白い光を放つ花々と、木々の隙間から差し込む陽光。その中で嬉しそうに笑うセレネ。
……うん。これは、つい見惚れてしまっても仕方ないと思う。
「……う、ん。すごく綺麗だ。僕、このお花好きかも……」
「ふふっ♪」
それなら良かった、と言うように、セレネの楽しげな笑い声が聞こえる。
どうやら、俺の反応が気に入ったらしい。
けれど、それでも目の前の景色から目が離せなかった。
白い花弁が風に揺れるたび、青白い光がふわりと瞬く。まるで花そのものが呼吸をしているようで、いつまで見ていても飽きそうにない。
こんな場所があったんだな。
誰かに教えたくなるような、でも、誰にも教えずに自分だけの秘密にしておきたくなるような。
そんな不思議な場所だった。
「……これって、どういうお花?」
なんとか声を絞り出して、セレネに尋ねる。
こんな場所に花畑があるなんて、今まで知らなかった。そもそも、この花自体見たことがない。少なくとも、俺の知っている植物ではなさそうだ。
「このお花はね、月灯花っていうの」
セレネは花畑に目を向け、嬉しそうに答えた。
「夜になると、もっと綺麗に光るのよ。月明かりを集めて咲くんですって」
「月明かりを……?」
「ええ。昔からこの森に咲いているお花なの。だけど、場所を知らないと見つけられないのよ」
そう言って、セレネは花のひとつにそっと手を伸ばした。
「花言葉は確か……【帰る場所】と【消えない約束】だったかしら。いい言葉よね」
セレネは花を見つめながら、穏やかに微笑んだ。
「帰る場所、か……」
その言葉を小さく繰り返す。
綺麗な花に似合う、優しい花言葉だと思った。
「うん。僕も、いい言葉だと思う」
そう答えながら、もう一度花畑を見渡す。
いつか帰る場所。消えない約束。
……なんだか、今の俺には少し眩しい言葉だ。
「……、ねぇ、アル」
セレネが静かに俺の名前を呼んだ。
「……どうしたの?」
そちらを見ると、セレネはどこか真面目で優しい顔でこちらをまっすぐ見ていた。そして、世間話をするかのように、語り出す。
「月灯花にはね、昔から森に住む人たちの間で、こんなお話があるのよ」
セレネは花畑を見渡しながら、ゆっくりと語り始めた。
「夜の森で道に迷ってしまった人が、この花の光を見つけると、その光を頼りにお家へ帰れるんですって。だから、月灯花は『迷った者を導く花』とも呼ばれているの」
彼女は花弁にそっと触れる。青白い光が、指先を淡く照らした。
「でもね、不思議でしょう? この花が道を教えてくれるわけではないのよ」
「そうなの?」
「ええ。花はただ、そこに咲いて光っているだけ。そこから先へ進んで、お家に帰ろうとするのは、その人自身なの」
セレネは振り返り、柔らかく微笑んだ。
「だから、この花は帰ることを諦めなかった人を導いてくれるんですって。……素敵なお話でしょう?」
「……うん、そうだね。セレネ」
そちらを見ると、セレネはどこか真面目で、それでいて優しい顔をして、こちらをまっすぐ見つめていた。
そして、まるで大切なものを手渡すように、ゆっくりと口を開く。
「だからね、アル。もしあなたが迷ってしまっても、帰ることを諦めないでね」
彼女は小さく微笑んだ。
「どんなに遠くへ行っても、どんなに暗い道を歩いても……帰りたいと思う場所があるなら、きっと帰ってこられるわ」
その言葉は、花畑に吹く風よりも穏やかに、俺の胸に届いた。
だからこそ、俺は何も言えなくなってしまった。
……多分、きっとこの花をアルセインも気に入るだろう。
俺も、この景色を大事にしたい。俺だって、この花畑が好きだ。
この花をふたりで眺めていれば、いつだってここに帰ってこられる気がする。
たとえ、いつか【勇者】になったとしても。ただの少年だった僕に、…………俺に
「アル」
そこまで話して、セレネは微笑むと小さな小指を自分に向かって差し出す。
「ん?」
首を傾げていると、くすりと笑ってこう言った。
「また一緒に来ましょうね。今度は夜に。月が出ていると、もっと綺麗なのよ」
「……約束、しましょ?」
セレネは微笑んでいた。けれど、その瞳にはどこか不安げな色が浮かんでいる。
まるで、俺がその言葉に応えてくれるかどうか、確かめるように。
それでも期待を捨てきれない様子で、じっとこちらを見つめていた。
「……うん、約束だ。絶対帰ってくるよ。」
そう答えると、セレネは嬉しそうにもう一度小指を差し出してきた。
ああ、そっか。
この世界にも、指切りの約束はあるらしい。そこは同じで、なんだか安心した。
セレネは歌う。きっと、こちらの指切りげんまんと同じような歌なのだろう。
そう言うと、セレネは小さく息を吸い、どこか懐かしむように歌い始めた。
「♪ 月のひかりを 指に結んで……」
聞き慣れない旋律だった。けれど、不思議と耳に馴染む。彼女の声は花畑を吹き抜ける風に溶けて、青白い花々の間を通り抜けていく。
最後の一節を歌い終えると、セレネは絡めた小指を小さく揺らした。
「これで約束はおしまい。月灯花が、きっと覚えていてくれるわ」
「うん、きっと、この花を見たら思い出せると思う」
そう答えると、セレネは安心したように笑った。
絡めた小指を離す。
たったそれだけのことなのに、不思議と胸の奥が温かかった。
この約束を、忘れたくないと思って、自然に口を笑顔になる。アルセインとしてでも上手く笑えてたらいいなと思う。
その後、俺とセレネは、時々集まってくるちびっ子たちに囲まれながら、他愛のない世間話をしたり、一緒に遊んだりして過ごした。
花畑の隅に座ってお菓子を分け合ったり、木の実を拾ったり、ちびっ子たちと追いかけっこをしたり。
気づけば、ここは俺とセレネだけの秘密基地になっていた。
大人たちには内緒。ここで何をしたのかも、どんな話をしたのかも、二人だけの秘密。
そんなことを考えながらも、俺はセレネと笑い合い、穏やかな時間を過ごした。
勇者の役目も、難しいことも、今だけは忘れて。
ただの子供として、花畑で遊んでいた。
この時間が、いつまでも続けばいい。
そんなことを、ほんの少しだけ思った。
今回は、セレネと透が月灯花の花畑で約束を交わすお話です。
森の奥にひっそりと咲く月灯花。昼間でも淡い青白い光を放ち、夜になると月の光を吸収して、より美しく輝く不思議な花です。
誕生花の日: 6月21日
花言葉: 【帰る場所】【消えない約束】
由来: 一年で最も昼が長く、夜が短い日。夜明けや月明かりを象徴する月灯花に、「長い夜の先にも光はある」という意味を重ねられる。
言い伝え: 「迷った者を導く花」と呼ばれる。夜の道で迷った者がその光を見つければ、帰るための道しるべになるとされている。ただし、花が道を示すわけではない。帰ることを諦めず、歩き続ける者をその光が導く。




