第2話『異世界転移』
「――疲れた。少し買い物にでも行くか」
明るい部屋で机と向き合っている少年――夜凪叶向はそう呟いた。ただ普通の高校二年生であり、いつも通り、朝から勉強をしている。
目にかかるくらいの黒髪をかきあげ、立ち上がると、財布をズボンのポケットに入れ、自室から出た。
両親の仕事の都合で一緒に過ごすことが出来ず、マンションの一室を借りていて、一人で住んでいる。
両親に会えないことの寂しさも感じるが、もう慣れた。というか、もう少し一人にしてくれてもいいと思っている。
「はぁ……」
小・中学校時代から、あまり一緒に過ごせず、叶向を心配している両親から、一週間に四回はビデオ通話がかかってくるのだ。
さすがにもう十七歳だし、そんなに心配しなくても……とは思うが、両親の好意を無下には出来ず、律儀に対応している。
「何か適当にお菓子買って……。あれ、電話だ。――もしもし?」
「もしもーし。お前今日暇か? 映画とか行かね?」
「映画? まあ良いか。ちょうど今外出てるし。家まで向かうから準備してろ」
「はいはーい」
電話の相手は、高校で出来た親友だ。もちろん、男。結構映画が好きな人で、アニメやドラマの映画をたくさん誘ってくる。
連絡を受けた叶向は、親友の家に向かって歩き始めた。スマホでニュースを確認しながら道を進んでいると、目の前から綺麗な男が歩いてきたのが見えた。
――何だ、あれは。
あまりに現実離れした姿を見て、足が止まりそうになってしまう。
だが、あまりジロジロ見ても悪いので、目を逸らしてそのまま通り過ぎようとした。すると――、
「はじめまして。――いや、久しぶり、ですよね?」
「――え?」
通り過ぎた瞬間、そう問われ、叶向は振り向いてしまう。久しぶり、と言われたが、会ったことがあるか?
――いや、無い。記憶力には自信があるが、こんな男は十七年の人生で一度も見たことがない。
「あの、誰かと勘違いをしているんじゃ……?」
「いえいえ。あなたにはやってもらいたいことがあるんです」
「やってもらいたいこと?」
何か危ない話に巻き込まれるじゃないか。そう不安に感じた叶向は、男を振り切るように走り出した。
「あれ、逃げちゃう? まあ良いか」
男の声が、奇妙にも穏やかに耳に入った。
「――ッ!? な、んだこれ……!?」
真っ黒な穴が、目の前の空間に開いていた。空間が、何もかも揺らめき、吸い込まれそうな暗さがある。
足が、止められない。勢いのまま、叶向はその中へ――。
――そして、世界は切り替わった。
◆◇◆◇
「――ん……どこだ、ここ……?」
次に、夜凪叶向――ヨナギ・カナタが目を覚ましたのは森の中だ。
見上げれば常識外れの高さの木々が空を覆っている。名前もわからない花や草に囲まれ、空気も違う。
上手く言葉にできないが、今まで吸ってきた空気とは違う感覚が、たしかにあった。
「――あれ、何か変な服着てるな。見たことねえや」
「――え?」
身体を起こし、声のした方に目を前に向ける。
そこには、いかにも盗賊といった様子の男が二人。剣を持っていて、いかにもヤバそうな雰囲気を醸し出してカナタを睨んでいる。
「お金持ってるだろ? ありったけよこせ」
「いや、持ってな――」
「いいから出せよ」
剣を首に向けられた瞬間、一気に血の気が引く。動けない。少しでも動けば命を刈られると分かる。冷や汗が流れ、心臓がバクバクしているのを感じる。
鋼が首に当たり、ちょっとした冷たさが首に入る。
その瞬間、
「――おい」
「ッ!?」
風を切るような音が、した。赤い何かが飛び、盗賊の剣を叩き折った。その衝撃で、一人の身体は吹っ飛び、後ろの木に激突。
ピクリとも動かなくなってしまった。
「――大丈夫か?」
目の前には、手が差し伸べられていた。見上げると、赤髪と緋色の瞳を持った、整った顔の少年が立っている。
学校の制服のようなものを着て、カナタを覗き込んでいた。
「あ、はい……。ど、どうも」
差し伸べられた手を受け入れ、ゆっくり立ち上がる。すると、少年の後ろから声が聞こえた。
「お、おい! お前動くなよ!? こいつがどうなってもいいのか!?」
「――え?」
少年が振り向くと同時に、カナタも同じ方向を見る。
そこには、少年と瓜二つな顔をした少女が、二人目の盗賊にナイフを首に当てられて立っていた。
一目見ただけで忘れられなくなってしまいそうな、そんな美少女だ。
「チッ……」
「動くなよ? 俺はいつでもこの嬢ちゃんの首を切れる。大人しく止まってたら傷つけねえよ」
盗賊はナイフを首に当てたままゆっくり近づいてくる。おそらく、少年が吹き飛ばした盗賊を助けるつもりなのだろう。
こんな状況で動く訳にも行かない。少年の手を握りしめて息を殺していると、少年は頭をかきながら男に呟く。
「あー、そいつを人質に取るのはやめた方が……」
「あ? 黙ってろ。似てるしお前の姉か妹だろ? 切られたくなきゃ――」
「――ねえ」
無口だった少女が口を開く。盗賊が「なんだ?」と言いかけた瞬間、少女の拳が顎にクリーンヒットした。
「ガハッ!? て、てめぇ――」
「邪魔。離れて」
いつの間にか背後に回り込んだ少女の蹴りが、男の脇腹を捉える。
十メートルほど吹き飛んだ男は、木をへし折りながら地面に落ちた。
「だから言ったのにな。大丈夫か?」
少年は呆れたように肩をすくめ、少女に心配の目を向ける。
「何ともないよ。――そっちは平気?」
「あ、はい。大丈夫、です」
そう言って、カナタは周囲を見渡した。非常識なほど巨大な木々に、見たことのない植物。いつもより、どこか濃い青をした空。
ここは現実だろうか。――頬をつねってみる。ただ痛いだけだった。
――もしかして、
――これが、俗に言う異世界転移ってやつか?




