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第17話 隔たり

咲瀬が死んでから6日後の12月31日の夜。お正月に向けて世間が浮き足だっていく雰囲気が一層、17歳の僕の苛立ちを加速させた。毎日、毎日。僕の心にはどうしようもなく鬱屈とした感情が降り積り、耳の中まで染み出してきそうな赤黒い情動が頭の中を支配していた。


街中の無駄に明るい看板とか、馬鹿みたいな騒音を出して走るトラックの音とか、そんな大したことのない刺激に苛立ちを抑えるだけで精一杯でまともに歩くことさえ出来なかった。外に出ても、どこにも行くところなんてなく、結局家に帰りベッドの上でまた沼に潜る。眠れない夜。虚ろな瞳に映る月は、うるさい程に僕の頭の中をかき乱した。


何でもいいからぶっ壊してしまいたかった。この手に銃があれば、うるさい頭の中を打ち抜いていたかもしれない。代わりにすぐそこに包丁があった。僕はその包丁の刃の部分を掴んで、窓ガラスに投げつけた。


咲瀬美澄は、お前が殺した。お前が見放した。


大した傷にもなっていない。そんな事にさえ苛立ちを感じた。足りない。満たされない。もっと盛大に何かを破壊しなければ、僕は生きているという実感も、生きる事に立ち向かう意志も擦り切れてしまいそうだった。この世界に住むすべての人間の突然死でも起きない限り僕の心が温まる事はないんじゃないかとさえ思う程だった。


これらは決して衝動的なものではなかった。むしろ長々と引きずってきたものを少しばかり発散しなければ生きられなくなるまで引きずってきただけだ。


それでも気温0度の中、手を温めるくらいの暖かさを欲して、僕はこたつの机を両手で持ち、思い切り窓ガラスに叩きつけた。その時、大きな音が鳴ったのだろうか。なった気もするし、それは小さな音だったような気もする。割れた窓ガラスはまた適当に処理すればいいと僕は感じた。


何となくすっきりとして、僕はそのままベッドに入った。何もできない僕に対して抱いていた強烈な苛立ちを解消した気になって。それは何の解決にもなりはしないのに。それでも、窓から冷たい風が入って僕の頭を癒してくれた。なぜか少し部屋が暖かくなった気がして僕は眠りについた。


部屋のガラスを割ってみたところで、僕が僕を閉じ込めたガラスの部屋を割ったわけではなかった。何も変わらない事は知っていた。それでも僕は久しぶりに夢を見た。どこか遠くで僕は大切な人間と共に花火をしていた。


次の日、僕はアパートの管理者に電話をして、窓ガラスが割れてしまった事を報告した。勿論弁償しなければいけないけれど、そんな事は僕にとって大した問題ではなかった。窓ガラスを割って眠る事で、僕はようやく新年を迎える事が出来た。僕はそうやって生きた。また新しい年が来る事は、また生きなければならない時間がやってくる事でしかなかった。


結局僕は何も考えないようにする為に、中学生の時と同じように受験勉強だけをして生きた。この時だけは、決められた科目と、世間一般の目標というものがある事に感謝した。


それが僕を楽にしてくれたからだ。きっと退屈である事に変わりはなかったけれど、ただ僕の苛立ちは吐き出し場所を見つけて、少しずつ収まっていった。


僕が大学に合格した日、またあの空しさが襲って来た。「合格おめでとう」という親からのメッセージに、ひどい違和感を感じた。あの人達は僕の何をおめでたい事だと思ったのだろうか。それはむしろ悲しむべき事だった。僕のような人間が合格し、僕ではない誰かが不合格になったのだから。


ただそんな事は些細な空しさだった。きっと僕は強烈な空しさを何かで埋めようと躍起になっていたにすぎなかった。その点、大学は良かった。いくらでも専門的になれた。僕は図書館の読みきれない、理解しきれない専門書の量に救われた。それに、人と関わらないアルバイトなんていくらでもあった。僕はそうやってほとんど誰とも関わらず20歳になる日を迎えた。そして偶然が僕に突きつけた訳だ。


そんな風に生きていて、君は少しぐらい大人になれたのか、と。ははっ。そんな事で大人になれている訳がないじゃないか。そうやって自嘲気味な笑いを唇に浮かべながら、僕はバーで茂木真を待っていた。


---

僕は時間通りにバーに現れた茂木真に話しかけた。LCの事に触れると彼は、僕がその場所に来た理由を理解したようだった。


「私を逮捕するかい?」

彼を捕まえたところで、咲瀬のような人間が生きようかなと思える社会にはなりはしないように感じた。ただ犯罪者が1人増えるだけだ。


「僕はただ知っておきたいだけです」

「変わらないね、ミドリ君。君はそうやっていつも近くにいる人を見捨ててきたんじゃないの?」

「どうして僕のことを?」

「君は僕らの間じゃちょっとした有名人なんだ。美澄さんからは何も聞かされなかったんだろうけれど」


「咲瀬を知っているんですね」

「知っているも何も、LCの創設者は咲瀬美澄だよ」


そうかもしれないとは思っていた。LCの目的は死を用いた創造。咲瀬が最後にした事も、殺人と自殺による死の動画の創造。そしてそれらを使って人の意識を変革しようとしていた。

「咲瀬がリーダーだった、って事ですか」

「LCにリーダーという名は似つかわしくない。僕らはその役を、ゴートと呼んでいる」

「ゴート...ヤギ。いや、それはつまり」

「スケープゴート。生贄だ」


「美澄さんの残した映画はいい映画だった。彼女は最高のゴートだった。今も彼女の影響は大きいんだよ」

茂木が氷を回す音がカラカラと鳴った。


「比良川君も優秀だった」

「比良川も創設に関わっているんですか」

「いや、彼は違うよ。LCとも関係ない。むしろ私が一方的に知っているだけだ。ほら、映画で。編集してたんだろう」

「ああ、それで」

比良川についても咲瀬から色々と話を聞いていたんだろう。


「そして最後の君のあのアドリブ。あれは傑作だ。普通の人間なら必死に美澄さんを止めるだろ。あの時見ていて私は笑ったよ。誰もあんな事はできない。最高の俳優だった」

「はあ」

僕が咲瀬を止めなかったと言えば、嘘になるが、僕が必死に咲瀬を止めようとしたかというと、それも嘘になる。あの時、僕は何か出来たのだろうか。今の僕なら、何か、出来るのだろうか。


「そういえば、君は今のゴートが誰か知らないのかな?」

「なら、あなたではないんですね」

「まだ17歳の女の子さ」

僕が知っている人間はひとりだけだ。花道珊瑚。でも僕は花道珊瑚ではないと確信していた。つまりその子は多分、僕の知らない子だ。

「名前は...」

「本人がいない場所で勝手に紹介するのは気が引ける。時が来れば分かるさ」


17歳の女の子。


「なら、なぜですか。どうして咲瀬と同じ17 歳の女の子なんですか?」

「高校2年生ってのは最も生贄に適しているんだ。世間で最も過剰評価されるのが高2だ。高3になると現実を見るように言われる。高校2年生なら周りが夢を見る。その子が死んだ時に、あの子の将来の夢は...ってね。実際は、大して努力もしていないような将来の夢を語ってさ。でもそれも可能性という言葉で覆ってしまえる。だから一番、死が効果的な年代なのさ。そして今の時代は、男の自殺よりも女の子の自殺の方がエモーショナルだ。だから高校2年生の女が最も効果的なゴートなんだよ。だから最も印象的な死を創造できる。これは美澄さんの受け売りだけどね」


「咲瀬の...」

「僕は、美澄さんが願った望みを叶えるだけだよ」

茂木真はグラスに残ったウイスキーをぐっと飲み込んで、また1週間後に会おう、と僕に告げて帰った。僕はその背中が消えていった扉をしばらく眺めていた。


---

飲み慣れない酒を飲みきって僕はそのバーから出た。明るい街灯のついた街。その日の空はどこまでも澄み切っていて、きれいな夜だった。


「あれ、ミドリ」

後ろを振り向くと、宮乃京が買い物袋片手に立っていた。パタパタと音を立てて、近付いてくる。


「すごい顔。大丈夫?」

宮乃は心配そうに僕の顔を眺めた。僕はそんなにひどい顔をしていたのか。


「いや、大した事はないんだけど」

そう言おうとして、僕は目眩を感じてふらついた。どうしようもなく倒れそうになって、僕は宮乃に支えられた。


「ごめん」

「いいよ、別に。家は、確か1駅向こうだよね。帰れる?」

僕は宮乃の手を解いて、近くの自販機に寄りかかった。


「少しだけ、こうして休んでおくから」

「昨日、花道さんと何かあった?」


宮乃が同じように自販機にもたれようとした。春だからイモムシとか居るかもしれないよ、と言うと慌てて離れた。それが少しおかしくて、ふっと笑ってしまった。


「何笑ってんの」

「ごめんごめん。えっと花道の話だったね」

僕は軽く咳払いをした。


「花道珊瑚は優しい奴だったよ。ただ僕が色々と疲れてしまったんだ」

「ミドリはさ、会った時から疲れた顔してたけど、いまはもっとひどい顔してる」

「こんな顔だよ、ずっと前から」

僕は苦笑いしながら自販機で水を買った。水を飲めば落ち着くらしいという知識だけはあった。


「私の家、近いけど」

「知ってる。でもさすがに悪いし。僕ひとりだと宮乃も居心地悪いでしょ」

「そんな顔の奴、放っておく方が居心地悪い。なんだったら紅英を呼んだって」

「千田には、あんまり会いたくない」

「私も会いたくないんだけど。あっ、そういえば冷凍食品買ったんだった。というか晩御飯作ってる途中だったんだ。ほらいくよ」

半ば強引に、いや冷凍食品と僕を秤にかけた結果のように思えるけれど、宮乃は僕の背中を押していった。少しだけ座りたかったので、軽くふらつきながら僕も宮乃の家に向かった。


千田は多分、宮乃のこういうとこが好きだったんだろうなと、僕は気づいた。そして宮乃に多くの友達がいる理由も何となく同じ理由じゃないかと感じていた。


家に着くや否や、宮乃はいそいそと冷凍庫に食品を入れていった。とりあえず1時間程居たらいいよと告げると、宮乃は料理を作り始めた。


僕はその姿を眺めながらうつらうつらと、微睡んでいた。限界だったのかもしれない。昨日も、今日も。そのまま壁に寄りかかって僕はすぐに寝てしまった。


目が覚めても、まだ夜だった。シャワーの音が聞こえた。時計を見ると、23時前。ちょうど1時間程、僕は寝ていたらしい。立ちあがろうとして、灰色のブランケットが肩に掛けられているのに気づいた。


シャワーの音が止んで、ふと我に返った。ガラガラガラと不思議なほどゆっくりバスルームの扉が開く音がした。多分寝ているであろう僕を起こさない為だ。とりあえず、ドア越しに宮乃に告げておいた。


「ごめん、今起きた」

バタバタと音がして、不満そうな宮乃の声が聞こえた。


「タイミング悪すぎ」

「ごめん」

僕はとても丁寧にブランケットを畳んでおく事にした。


しばらくしてからドアが開いて、宮乃が顔を出した。服は着ていた。

「もう帰る?」

「うん、ありがとう。その、ブランケットとか」

「今日はいいけど、また今度ちゃんと話、してよね。一応、協力者なんでしょ?」

宮乃の顔に子供っぽい笑みが浮かんでいた。けれどその言葉はやけに大人びて聞こえた。おそらく、そこに僕が探していた答えがあったんだと思う。


「また、おいでよ」


僕は、今日はありがとう、とだけ返して、宮乃の家を出た。

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