第15話 火種
まだ17歳だったあの頃。あの川辺での小さな花火大会以降、僕たちは時々、学校外でも集まるようになった。大抵は僕の部屋に。そこにあるのは、ポツンと置かれた大きめの本棚、1人用の小さな机と、ベッド。小さな部屋だけど、3人程度ならそれほど窮屈ではなかった。
その部屋でも僕たちは、答えの無い、無意味で、無価値で、取り留めもない、そんな話を続けていた。ずっとそんな話をする事が、僕らの日常なのかもしれないと、ある時まで思っていた。
夏休みも終わりに近づいた日曜日、咲瀬美澄は一冊の本を片手にやって来た。『映画の作り方』と書かれたその入門書の内容を、見たことのない輝いた目をして語る姿に、僕は少し影響を受けた。
「私が脚本を書くから、一緒に作ってほしいんだ」
「どんな脚本?」
「まだ教えない。でも3人だけで作りたいの」
「僕は何しようか。比良川なら編集は得意そうだけど」
「ミドリ君は助手かな」
咲瀬が何故そんな事を言い出したのか分からなかったけれど、僕は咲瀬の提案に乗り気だった。その提案は学校も何も関係のない、ただの僕らの小さな集まりでできる事だったから。誰も何も計画していないし、ただの思いつきだから何も決まっていない。それは何の役にも立たず、それをする訳もわからない。だから退屈していた僕にとって都合が良かったのだと思う。
「映画を作りたいって、また急な話だな」
後からやって来た比良川も、結局は乗り気になった。なんだかんだ言って比良川も退屈していたのかもしれない。3人だけで一編の映画を作り上げるという、静かでありながら情熱的で少しだけ非日常を感じさせてくれる目標を持てた事は多分とても幸せな事だった。
A→B、B→Cと流れるつまらない世界でただ内臓をぐにゃぐにゃ動かしていただけの僕は、コンクリートの上でのたうち回るイモムシやミミズがその内臓を動かしているのとは違い、ようやく人間として生きられるように感じた。
つまり僕は、部屋に増えていくパソコンや雑誌や、よく分からないものに囲まれて、生を実感していた。
パソコンは元は比良川のものだ。当時から比良川はプログラミングの大会を荒らしまわって、賞金やら景品やらを攫っていく常連だったので、その景品で、貰っていたようだった。同じ学校にいる人間が大抵、比良川を知っていたのはよく表彰されていたからだ。そんな比良川が僕や咲瀬と連んで映画の話をしている事を不思議そうに眺める人間もいた。しかしながら、僕は誰かに話しかけられる事もなく、いつも通りの生活を謳歌していた。
雑誌やよく分からないものは大抵咲瀬が持ってきた。咲瀬がシナリオの参考にするからという理由で、本当に多種多様な本を持ってきた。僕はそれを読んで過ごした。読んだ本の内容をまとめて、咲瀬に見せるように頼まれたからだ。ファッションデザイナーのための配色の基礎だったり、心理学・精神医学の専門書もあった。中には美味しいインドカレーの作り方や、ライブ配信の機材紹介本、風俗嬢の会話テクニックについての本まで。何の参考になるのかは疑問だったが、そんな事はどうでも良かったのだと思う。
放課後、そんなごちゃごちゃした僕の家に集まって、映画について話す時間がとても楽しかった。
「編集とか、CGとか結構出来るようになった」
そう言って、比良川が試しに編集した動画を見せてくれたりもした。
「うまい」
「うん、うまいね。これ私にも出来るかな」
咲瀬は感心したように、聞き返した。
「あぁ、簡単な編集で良かったら自動化出来るから。またコード書いとく」
プログラムってのは便利なもんだなぁと僕は感心していたが、それとは別に気になることを僕は咲瀬に質問した。
「技術的な事はともかくさ、結局咲瀬はどんな映画を作りたいと思ってるの?」
「テーマはクリスマス。それを12月25日の夜に公開しようと思ってるんだ」
「クリスマス?この僕らがクリスマスの映画を作るの?」
「そう。でもね、高校生の退屈をそのまま映画にしようと思って。この世界で私たちだけが感じている退屈を。それが、今の私たちが作れる最高の映画だと思うんだよね」
ちょうどその頃、僕は17歳のこの今の自分を残しておきたいと思っていた。20歳を超えていつの間にか大人になったとしても、この瞬間を、「バカみたいな事してたな」と卑下して振り返りたくはなかった。それは僕にとって大切な時間だったと、そう思える未来でありたいと願っていた。
「いいね。比良川は?」
「いいんじゃないか。25の夜ってのがまた良い、悪意があって」
「悪意、はそれほどないんだけどね」
「じゃ、奇妙な優しさがなくていい。ほら、クリスマスだからクリスマスっぽいことしなくちゃいけない訳じゃない。そういう皆で楽しもうぜっていうお祭り大好きな人間に向けたしっぺ返しみたいな悪意だよ」
この世界で、僕たちだけが感じている退屈。お祭りを楽しめる人達も、大人になった人も、まだ純粋な子供も、感じていない。大人と呼べるほど優しくもなく、子供と呼べるほど無邪気でもない。それでいて、この世界に居場所を感じられない、そんな曖昧な存在の僕たちの退屈。
「配役はどうする。俺は主人公なんて嫌だけど」
「主人公はミドリ君。ヒロインは私。そしてライバルが比良川君。絶対これがいいよ」
「僕、主人公ってタイプじゃないんだけど」
「このぬぼーっとした顔が、退屈そうで一番あってるんだよ」
そんな話をして、彼らが帰っていった後の僕の部屋は、夜になっても暖かい空気が残っていた。家族と共に暮らしていた時には感じられなかった暖かな人の気配がそこに確かにあった。それはきっと僕が望んでいたものだったんだと思う。
それは優しさとは違い、同情でもない。この世界に僕が居ても良いんだという居場所をおそらく僕は望んでいた。いや、僕たちは望んでいた。無機質だった部屋が、映画関連の書籍やよく分からない専門書で埋め尽くされていくようになって、そこに未来とか過去とかそういうものの繋がりとか流れみたいなものを僕は感じていた。秘密基地といえば、少し幼い表現かもしれない。けれどその部屋にある安心が、内心は怖がりな僕を包み込んでくれたのだと思う。
---
12月になって、ようやく脚本が完成した。そして最後のシーンは25日に撮るんだと咲瀬は言った。確かに実際のクリスマスの街で撮影すれば雰囲気が出るだろう。だから、最後のシーンだけ編集なしでくっ付ければ良いんだと咲瀬は語った。
肝心の脚本は、期待外れ、というより、こんなので良かったのかな、というものだった。僕たちの出会いだったり、僕たちの秘密だったり、そして学校という場所で退屈に空を眺める僕たちの姿を淡々と描写していた。
帰り道の会話とか、一緒に花火をしたりだとか、一緒にインドカレーを作ったりとか。そういう事をしてみるんだけどやっぱりどこか僕らの中には退屈がある。ということになっていた。
映画の中でも僕たちは映画を作ることになっていた。作っている最中は、退屈を吹き飛ばしているんだけれど、映画を作り終えて、またどうしようもない退屈が僕たちに押し寄せてくる。そして最後のシーンに繋がる。
最後、僕たちはクリスマスの雑踏に消えていく。3人で歩いていたはずが、1人、また1人と違う道を辿り、やがて主人公の僕は1人になり、クリスマスツリーを眺める。ざわざわと周りに人の流れはあるのに、このイルミネーションの施された道で、僕の声を聞いてくれる人間は誰もいない。そして僕もその場所からいなくなり、点灯するクリスマスツリーだけが暫く画面に映り続ける。そんな筋書きだった。
撮影が半ばまで終わった時、僕は咲瀬に聞いてみた。
「こんなので良かったのかな」
「納得いかない?」
「いや、これはちゃんと僕たちの退屈だとは思うんだけど。もっと良い終わり方はないのかなって」
咲瀬は少しの間、考えていた。
「もっと良い終わり方かぁ」
「うん。ハッピーエンド、とまではいかなくても良いんだけど。あまりに希望がないというか」
僕は、自分の感情と少し食い違う映画に違和感を感じただけなのかもしれない。自分が少し人の温かみを感じられるようになってきたのに、あまりに希望がない映画を作るのは違うような気がした。
「希望っていうと大人になる、とかかな」
「...大人?」
咲瀬は大人になるということについて、こう語った。
「つまり私たちの退屈は、多分大人になって、さらに子供が出来て仕舞えば、きっとすっかり忘れてしまうんだと思う。だから希望を抱きたいなら、勉強や部活で忙しく毎日を過ごして、休日も忙しく友達と遊んだりカップルでデートして、そしてクリスマスや記念日にも忙しく"楽しいこと"をする。そんな風に馬鹿みたいに笑う。誰も捕まらない時はうるさい動画を見て、派手なアクションのゲームをして、そんな騒音に満ちた生活を楽しいと思い込む。楽しくて楽しくて、忙しい。それが多分、いわゆる希望で、大人になるということなんだ」
「それって本当の希望なのかな。僕はそれで希望を抱けるとは思えないんだけど。それに、それが大人とは、僕は思わない」
「まぁそうだよね。比良川君にもそう言われた」
「でも結局、この結末でいいってなったんだ?」
「そう。今、どんな気持ちで過ごしていたとしても、あの時の退屈に希望なんてなかったから、てね。そんな話をしたんだ」
そう言われると、確かにそうだと思えた。僕たちは今、映画を作っている最中だから、ただ忙しいから希望のようなものを持ってしまっているけれど、それが終われば前と同じ状況に戻ってしまうのかもしれない。ならば、きっとその結末でいい。
12月25日の夜。そうして僕たちは最後のシーンを撮影した。咲瀬は1人、最終チェックをするからという事で、比良川はどうしてもやらなくちゃいけない事があるからという事で、僕たちはその場で別れた。
自分の部屋のベッドでゴロゴロとしていた時、咲瀬から電話がきた。




