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及川さんちのミシン

季節外れですみません。霊とかの設定は現実世界とは違うかもしれないけど創作とスルー願います。

「みなとおおおおおお!」


 暦の上では春になってもまだ寒いある昼下がり。どこにでもある都市近郊の古い住宅地に、ペンキのハゲたシャッターを揺るがす大声が辺りに響いた。


 年季の入った建物の2枚あるシャッターのうち、下ろされた一枚には「(やじり) 自動」と、ところどころ薄れた文字が書かれている。もう一枚を下ろせば「鏃 自動車工業(株)」と完成するのだが、ここ2年、昼間は社名を完成させずに済んでいる。


 自室でベッドに寝転んでいた薄氷(うすらい) (みなと)は、静寂を破る大声と足音に形の良い眉を顰めた。嫌な予感に布団に潜り込んで寝たふりを決め込む。

 バタン! と大きな音を立てて開いた扉も無視していたのに、布団は無常に引っ剥がされた。


「湊、起きろ! 出た! なんか出た!」

「うるさい」

 

 部屋に踏み込んできたのは大柄な男だった。180cmを超える長身に作業着姿。短く刈り込んだ黒髪にやや目つきの悪い顔立ちは、今は情けなく眉が下がっている。

 

「起きろよ! 出たんだよ、及川のばあちゃんのとこ!」

 

 湊は男——この工場と家の主である(やじり) 恒一(こういち)——に奪われた布団は諦めて毛布に潜り込み、返事もしない。

 

「頼む、なんとかしてくれ! ばあちゃんミシン使えないと困るだろ!」

「なんの話だ? 僕には関係な……あ、おい!?」

 

 湊は毛布ごとあっさりと恒一の肩に担がれた。

 

「頼むから来てくれ! 湊にしか無理!」

「嫌だって言ってるだろ!」

「俺だって嫌だ!」

「何がだよ!? なんで僕拉致されてんの!?」


 その言葉にようやく我に返った恒一が、部屋から出ようとした足を止める。

 

「悪い。だが……頼む」

 

 湊は一つため息をついた。恒一が()()なる原因は容易く想像がつく。

 

「…………わかった」


 ほんとうに、ほんっとうに心の底から渋々と、湊は恒一に連れられて、2週間ぶりに外に出た。



  §



 話は30分ほど前に遡る。


「……よし、これでオッケーと」

 軽トラックのオイル交換を無事に終え、油に汚れた工具を片付けていた時のことだ。工場の入り口を塞ぐようにして、ひょっこりと小さな影が立ち止まった。

 

「恒ちゃん、いるかい」

「ああ、及川のばあちゃん」

 

 首にタオルを巻いた恒一が振り返ると、腰の曲がったおばあちゃんが、ひょこひょこと入ってくるところだった。

 

「悪いねえ、ちょっと困っててねぇ」

「どうした?」

 

 及川家に車はなかったはずだ。昔はあったようだが、今は高齢者で免許を返納して車を手放す人も増えている。商売上がったりだな、と余計なことを考えながらも続きを促す。

 

「ミシンがね、急に動かなくなっちゃってねえ」

 

 恒一は持っていたスパナを握ったまま、3秒ほど固まった。

 

「……ばあちゃん。俺、車の修理屋な」

「うん、知ってるよ」

「ミシンの修理屋じゃねえからな」

「知ってる、知ってる。恒ちゃんは手先が器用だからねえ」

「その理屈で、最近なんでもかんでも俺のところに持ち込む人、多すぎるんだよ!」

 

 天井の鉄骨を仰ぎ、恒一は大きくため息をついた。額の汗をぐっと拭い、手元の工具箱を見つめる。

 

「まあ……見るだけ、見るだけだからな?」

「いつも助かるよ、本当に」

 

 結局、断りきれないのが恒一の性分だった。

 この下町の一角において、今や恒一は車屋というよりも、むしろ町の便利屋として定着しつつある。電球の交換から網戸の張り替え、テレビの配線、はては年寄りのスマホの初期設定まで。

 

「……俺の本職、一体なんだと思われてんだろ」

 

 早くに親を亡くし、町の人たちにはほんとうにお世話になった。だから恩返しのつもりはあるが、そろそろ真面目に料金設定したほうがいいかもしれない。スマホの設定3000円、網戸の張り替え5000円。まずい、本格的に便利屋になる。

 心の中でぼやきながら、恒一は小さな背中の後を、重い工具箱を提げて歩いた。

 おばあちゃんの店までは、歩いて5分とかからない。

そこは、かつて洋服のお直し屋を営んでいたという、わずか一坪ほどの小さな店舗だった。今はすっかり看板も外されているが、室内には当時の名残である大きな業務用ミシンが、今もひっそりと佇んでいる。

 ガラガラ、と年季の入った引き戸が開いた。


「これなんだけどねえ」


 おばあちゃんが指差した先には、片隅に置かれた縫いかけの布。そして、その横に鎮座する重厚な鉄製のミシン。

 だが、恒一の目は、その機械ではなく、その前にいるものに釘付けになった。

 

『……ぬ、えな、い……』


 細い、掠れた女の声が聞こえた。


『……つくら……な、きゃ……なのに……』


 ミシンに突っ伏すようにして顔を伏せ、激しく肩を震わせている女の姿。ぼろぼろと大粒の涙を流し、この世のものとは思えないほどに肌は透き通り、半透明の輪郭が午後の光に揺れている。どう見ても、生きて世を謳歌している人間のそれではない。

 恒一の顔から、一気に血の気が引いていくのが分かった。

 ヤバい。なんかいる。なんか、いる。いる。


(いるいるいるいるいるいる、ガチなやつがいる!!)


 喉の奥まで出かかった悲鳴を、必死で噛み殺す。身体が勝手に震えてくるのを、拳を握りしめて抑えようとするけどいうことを聞かない。荒くなりそうな呼吸を、それでも気づかれると恥ずかしいという情けない理性でなんとか抑えた。

 しかし、隣のおばあちゃんは至って平然としていた。当然だ。彼女には、そのミシンにしがみつく哀れな姿が見えていないのだから。


「どうしたんだい、恒ちゃん? 顔色が悪いよ」

「…………」


 無理だ。こんなの、絶対に無理。専門外にもほどがある。


「あっ、ば、ばあちゃん!」

「はい?」

「ちょっと俺、用事思い出した! っていうか、無理!」

「え?」

「むりだわこれ! 俺にはむり!」


 ほぼ語彙が死んだ恒一はガシャンと大きな音を立てて工具箱を床に放り出した。


「これの、とくいなやつ、いる!」

「えっ、恒ちゃん!?」


 おばあちゃんが呼び止める声も耳に入らない。恒一は踵を返し、脱兎のごとく全力疾走で店を飛び出した。

 183cmの恵まれた体躯を持つ大男が、おそらく人生で一番の速度を叩き出しながら、2月の晴れた空の下を猛然と駆けていく。

 残されたおばあちゃんは、ぽかんと口を開けたまま、遠ざかる砂埃を見つめるしかなかった。


「……そんなに難しい、大層な故障だったのかねえ」


 そして冒頭に戻る。



  §



 再び訪れた及川さんの店。おばあちゃんは、言われた通り律儀にその場で待っていた。


「あら、戻ったかい」


 ニコニコと笑って出迎えてくれるばあちゃんに、しかし恒一は引き攣った笑いしか返せない。


「ごめん、ばあちゃん。ちょっとこれ、直すのに時間がかかるから、奥の部屋でテレビでも見ててくれないか」

「そうかい?」

「終わったらちゃんと呼ぶからさ」

「じゃあ、温かいお茶でも淹れて待ってるねえ」


 おばあちゃんがゆっくりとした足取りで奥の居住スペースへと消えていく。その姿が完全に見えなくなったのを見計らって、店に入らず立木の陰に隠れていた湊が恐る恐る近づいてきた。フードを深く被ったままで表情は見えないが、その下から恒一を睨んでいた。


「……で」


 蚊の鳴くような声で、湊がぼそりと呟く。


「なんなのさ、一体」

「見りゃ分かるだろ、そこに……」


 恒一は頑なにミシンの方向を見ようとしないまま、指で示した。


「見ないの?」

「見たくねえよ!」

「見ないと状況が分からないじゃないか。本当に頼りないな」

「見えるから、見たくないんだよ!」


 湊はやれやれと深い溜息をつき、おびえる恒一を置いて、すたすたとミシンの前へと歩み寄った。


「ああ、なるほど」


 その姿を視界に収めた湊が、ぽつりと溢す。

 

「な何だよ、何なんだよ!?」


 背後で恒一が涙目になりながら声を荒らげる。おばあちゃんに聞こえないように小声だが。


「霊が泣いてるだけじゃん」

「それがおかしいんだろうがああ! 普通じゃねえんだよ!」

「ただ泣いてるだけだよ」

「そういう問題じゃねえ!」


 湊は怯える恒一の小さな叫びを無視し、顔を隠していたフードを脱ぐ。長いまつ毛に縁取られた澄んだ目、すっと通った鼻筋、形の良い唇。造形師が魂を込めて作ったパーツを完璧に配置したような、見たものが息を呑みそうなほどの美貌を、いつもと違って恐れることもなく晒すと、ミシンの前にしゃがみ込んだ。

 先ほどまで激しく泣いていた半透明の女が、ゆっくりと顔を上げる。涙で濡れた虚ろな瞳が、目の前にいる湊をじっと見つめた。

 湊の瞳に、先ほどまでの頑なな拒絶の色は消えていた。彼はそっと、驚くほど穏やかで優しい声を紡ぐ。


「"もう、大丈夫だよ"」


 女の肩が小さく跳ねる。


「"それ、おばあちゃんがちゃんと作るから"」


 思いの外優しい湊の声音(こわね)が、小さな空間に染み渡っていく。


「"幼稚園、ちゃんと間に合うよ"」


 霊が、大きく息を呑んだ。


『……ほん、と……?』

「"本当"」

『幼稚園……みんなで行くの、楽しみだったの……』

「"うん"」

『あの子が……大きくなるの、ずっと、近くで見届けていたかった……!』

「"そうだね"」


 女の霊は、今度は声を上げて泣いた。悔しい、悲しい、辛い、どうして、渦巻く感情が周囲に広がる。店内のものがカタカタとなり出して、恒一が小さく悲鳴を上げた。湊は恒一を一瞥したが問題ないと無視。


 ひとしきり泣いて、泣いて、やがて女は、ひどく穏やかな笑みを浮かべた。


『ありがとう』


 その言葉を残し、窓から差し込む午後の柔らかな日差しに溶けるようにして、彼女の姿はふわりと消えていった。

 静寂が戻った室内に、壁にもたれかかっていた恒一がようやく身体の力を抜く。


「……終わった、のか?」

「終わり」

「……なぁ、何だったんだ?」

「僕は何もしてないよ」


 そう言ってふと微笑む湊から、恒一はつと目を逸らした。顔が良すぎるやつの気をおかない笑みはなかなか破壊力がある。


「何もしてないのに消えた?」

「泣いてる霊はだいたい浄化寸前……知らないの?」

「そっちは専門外なんでね」

「専門にできないよねぇ」


 今度はニヤリと笑う。恒一は霊が見えてしまう体質だ。だが、湊のように対応できないししたくもない。霊を専門にするなんて考えただけで怖気が走る。


 そこへ、タイミングを見計らったように引き戸が開いた。


「お茶入ったよぉ」


 軽い口調と共に、おばあちゃんがお茶の盆を持って戻ってきた。


「あ、おい!」


 おばあちゃんのセリフが終わらないうちに、湊はさっとフードを被ると店を飛び出した。その間0.5秒。恒一の引き止める声が置き去りにされ、彼が全速力で逃げていく足音だけが遠ざかっていく。

 おばあちゃんが不思議そうに首を傾げた。


「あれ、あの子どうしたのかい? 急に走っていっちゃって」

「……まあ」


 恒一はポリポリと頬を掻きながら、苦笑いを浮かべた。


「便所にでも行きたくなったんだろ、あいつ」

「あらあら、うちのを使ってくれればよかったのにねえ」

「シャイだから、遠慮したってことで」

「若い子は、いろいろ気を使うねえ」


 違うんだよなあ、と恒一は心の中で呟く。

 本人は、ただ人を見るだけでパニックを起こして逃げ出しただけなのだ。もっとも、そんなことを正直に説明しても理解はされないだろうが。


「で、ミシンなんだけどさ」

「ああ、そうだったねえ」


 恒一は気を取り直して、ミシンの点検を始めた。

 コンセントの接続を確認し、フットペダルを踏み込んでみる。配線に異常は見られない。軽く本体に触れ、主電源のスイッチを入れた。

 カタカタカタカタ──。

 小気味よい規則的な音が店内に響いた。


「あ、動いた」

「あら!」

「……何だ、故障じゃなかったのか?」

「よかったよぉ、本当に助かった」


 おばあちゃんはホッとしたように胸をなで下ろした。


「これねえ、今度新しく幼稚園へ入る子の、絵本バッグなんだよ」


 結局必要なかった工具箱を拾おうとした恒一の手がふと止まる。


「その子のね、お母さんが……作ってる途中で、急に亡くなっちゃってねえ」

「……」

「身内の人に頼まれてね。お母さんがいなくなってただでさえ寂しいのに、幼稚園の用意もないんじゃ、あまりにもかわいそうだろう?」


 そういうことかと恒一は思った。

 あの半透明の女性が、なぜミシンの前で泣いていたのか。我が子のために作り上げられなかった無念が、彼女をここに留めていたのだ。

 恒一は小さく息を吐き、口元を緩めた。

 

「そうか」

「早く間に合わせないとねえ」

「……うん。ばあちゃん、頑張ってな」


 帰り際、「はい、これお礼ね」と、ずっしりと重いタッパーを渡された。

 蓋を開けてみれば、中にはおばあちゃん特製のいなり寿司がぎっしりと詰まっている。


「こんなもんで悪いけどたくさんあるから食べてね」

「いや、十分すぎるよ。ありがたくもらうわ」

「また何かが困ったらお願いね、恒ちゃん」

「車のことならな!」

「うちは車ないんだよねえ」

 

 去り際のおばあちゃんの笑顔に、これから先も、車以外の困りごとが持ち込まれるのを悟った恒一だった。


「まあ、仕方ねえかな」


 及川のばあちゃんも、両親亡き後気にかけてくれた1人だ。無碍にしたくない。



  §



 夕方、赤く染まった工場の2階、居住スペース。

 居間のローテーブルに、もらったばかりのタッパーを置く。その前で、湊は膝を抱えて、あからさまに不機嫌なオーラを放っていた。


「無理だって言っただろ、僕は」


 じっとりと睨む目に恒一は肩をすくめた。


「いや、俺も無理だったし……」

「何で僕を、わざわざ人のいるところに連れて行くんだ」

「だって、あそこまで綺麗に解決できるの、お前しかいねえし」


 現場でも専門にできないとかからかってきたくせに、おばあちゃんとの一瞬の邂逅が湊の余裕を吹き飛ばしていた。残るは恨みのみ。


「もう絶対にやらないからね」

「はいはい」

「泣いてる霊は放っておけばいいのに。僕はいなくてもよかった」


 泣くとスッキリするのは霊も人も関係ないらしい。

 でもミシンは多分霊のせいで動かなかったんだから、いなくならないと幼稚園のグッズ間に合わなかったんじゃないかな、と、思うだけにする。


「はいはい、分かったよ」

「絶対だからな」

「……これ、食う?」


 恒一がタッパーの蓋をパカッと開けると、甘酸っぱい酢飯と油揚げの香りが部屋に広がった。

 黄金色に輝くいなり寿司を前にして、湊の言葉がピタッと止まる。彼はじっとタッパーを見つめた後、無言のまま、白く細い指先でいなり寿司を1つ摘み上げた。

 もぐ、と口に運ぶ。

 咀嚼するうちに、湊の目から恨みが薄れていった。


「……うまいな、これ」

「だろ? ばあちゃんの手作りだからな」


 恒一も1つ、大きな口で放り込む。


「うん、最高」


 2人はそれ以上言葉を交わさず、黙々といなり寿司を食べ進めた。



 窓の向こう、夕焼けに染まった住宅地には、どこか懐かしい晩ご飯の匂いが漂っている。


 恒一は霊が。

 湊は人間が。


 それぞれ違うものが怖い2人は、黙っていなり寿司を平らげたのだった。

 

及川さんは恒一の制服のズボンや袖の裾を成長に合わせて下ろしてくれたり食事差し入れてくれたりしてるので、お互い様貢献度は及川さんの方が高いです。


※誤字修正しました。

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