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01

 深夜二時を告げる着信音が、寝静まった部屋の空気を裂いた。この時間の電話は、ろくな知らせを運んでこない。親族の訃報か、トラブル発生の報告か。


 相田は、半ば夢の中で枕元のスマートフォンを探り当てた。消灯した室内に画面の白い光が淡く光っている。ディスプレイには見知らぬ番号が表示されていた。


 いたずらか、間違い電話だろう。そう決めつけてマナーモードに切り替えると、相田はスマートフォンを伏せ、再び布団へ身を沈めた。


 しかし、眠気は遠のいていた。瞼の裏で光がちらつくように、脳の奥だけが冴えわたっている。

スマートフォンは絶えず振動している。相手は諦めないらしい。止まらない振動音に苛立ちが募り、ついに相田はスマートフォンを取り上げ、通話ボタンを押した。


「……はい」


 不機嫌な様子を隠すことなく応答すると、すぐに若い男の声が返ってきた。


「相田さんですね」


 電話相手は、確信を帯びた響きで相田の名前を呼んだ。てっきり夜勤中の後輩かと思ったが、声に聞き覚えはない。寝ぼけていてもすっと言葉が耳に入ってくる話し方だ。

 相手について心当たりを探っていると、無言の相田に焦れたのか、話を切り出した。


「鬼崎昌之をご存じですか」


 名を聞いた途端、相田の意識は覚醒する。


 鬼崎昌之とは、幼馴染みの男だ。相田より二歳年上で、高校卒業まで付き合いのあった男だった。

 百九十センチメートル近い長身に、二枚目俳優を想起する彫りの深い端正な顔立ち。だが学校にはほとんど姿を見せず、留年を経て相田と同じ年にようやく卒業を迎えた。実家には滅多に帰らず、友人や恋人の家を転々としていたのだった。


「鬼崎は、俺の幼馴染だけど。そちらは?」


 一拍の黙した後、相手は稲森と名乗った。鬼崎の恋人だという。

 相田は小さく息を呑んだが、どこかで納得していた。鬼崎の好みを思えば、意外ではない。

 昔から鬼崎は、年下や童顔の男ばかり選んでいた。他校の恋人が相田を間男だと勘違いして校門まで押しかけたことや、最終的にはストーカー化したアルバイト先の若い社員のことも、まだ覚えている。


「昌之の居場所を教えていただけませんか」

「鬼崎の、居場所?」

「ええ」


 稲森は意味深に肯定した。そこには相田が行方を知っているはずだという断定に近い温度があった。


「一週間ほど前から連絡が取れません。相田さん、彼に会っていませんか?」


 尋問のような問いに、相田は突っぱねた。


「いや、鬼崎とは長いこと疎遠なもので。でも、どうして俺が居場所を知ってると思ったんだ?」

「鬼崎は、あなたのことを随分と気にしていましたから」


 昏い声で発したその言葉に、相田は眉根を寄せた。


「連絡一つ寄越さなかったくせに?」

「あなたのもとにいるのではないかと、そう思っただけです」


 つい責め立てるような口調で反論すると、稲森は冷たく吐き捨てる。


「いなくなってから、『まだ』一週間なんだろう?」


 相田は舌打ちを噛み殺してぶっきらぼうに言い放つと、稲森は短く息を吸い無言の後で低く答えた。


「確かに昌之は、以前から家を空けがちでした。ですが、ここまで帰ってこないのは初めてです」

「そのうち帰ってくるさ」

「そうだと、いいのですが」


 稲森は感情のない声で呟くように言い、電話を切った。通話の途切れた音が、やけに耳に残る。

 ベッドの上で、相田はスマートフォンを見つめた。手のひらに走る痛みに視線を伏せると、手を強く握りしめていたらしい。手をほどくと、手のひらには爪の痕がくっきりと刻まれていた。

 白くなった指先を見つめて、相田は小さく息を吐いた。


 部屋の隅で水の音が静かに泡立っていた。棚の上に置いた水槽のエアーポンプが、夜の静寂に泡の音を立てていた。

 水槽には金色の魚が一匹、水面下で尾鰭をゆらしている。振り向いた魚のその瞳が、まるで相田を咎めるように見返した。


「ごめんな」


 相田は水槽に向かって謝罪を呟いた。魚は答えず、ただ口をわずかに開閉した。その仕草に、鬼崎が不機嫌なときの表情が重なり、思わず苦笑がこぼれた。


「そんな顔するなよ」


 ぽつりと落ちたその言葉に、泡が一つ音もなく浮かんだ。相田はガラスの縁にそっと指を這わせる。動揺した心を穏やかに冷ましてくれるような、そんな温度だった。


 相田は、稲森に嘘をついた。

 鬼崎が姿を消したあの日、相田は確かに彼に会っていた。一週間ほど前、隣県の駅前で偶然出会い、懐かしさに誘われるように鬼崎の家を訪れた。

 マグカップに視線を落としたほんの短い間に、鬼崎の姿は消えていた。


 テーブルの上には、灰皿と、二つのコップと、鬼崎のスマートフォンが置かれているばかりで、すぐ近くに座っていたはずの鬼崎はどこにもいなかった。

 辺りを見渡すと、リビングの隅にある大きな水槽が相田の目を惹いた。その中に、見慣れない金色の魚が一匹、静かに漂っていたからだった。金色の鱗に大きな尾鰭を持つそれは、水草も装飾もなく、まるで仮住まいのように空っぽで殺風景な水槽の中を、ただ独りで泳ぎ回っている。


 当初、鬼崎とその同居人が飼っている魚だと思った。しかし、相田はすぐに違和感を覚えた。魚の尾鰭の端に、鬼崎が小学生時代に負った足の怪我と同じような歪みがあったのだ。


「鬼崎?」


 信じられない問いが、唇からこぼれた。魚は瞬きをして、相田を見つめた。


 気付けば相田は水槽に手を伸ばし、魚をコップに掬って家を飛び出していた。途中、通行人に奇異の目で見られることはあったが、誰かに止められることもなかった。魚も暴れることなく、コップの中に佇んでいた。


 帰宅後、相田は洗面器に水を張り魚を移した。魚は不満げに一周泳ぎ、相田の方をじっと見た。

 その視線に促されるように、すぐに近所のホームセンターへ走った。目についた必要なものをカートに突っ込んで、店員が水槽を梱包する間も惜しむように、大急ぎで魚の待つ家に戻り、魚を洗面器から水槽に移した。

 魚は物怖じせず、新しい環境を確かめるように水の中を泳ぎ始めた。


 水槽は、鬼崎の家にあったものよりも一回りほど小さい。それでも、ゆったりと動き回る姿がどこか満足げに映った。その様子に、学生時代の帰り道で機嫌よく一歩先を歩いていたあの日の鬼崎が重なった。


 あの鬼崎はもういない。瞬く間に消えてしまったのだ。まるで人間が魚に変化したように、消えた鬼崎の代わりに、鬼崎に酷似した魚が現れたのだから。


 それが現実ではないことは相田も分かっていた。非現実的だと、頭では理解しているつもりだった。しかし、どうしてもそれを否定できなかった。


 魚はただ静かに水中を泳ぎ続けている。

 相田は魚の様子を眺めながら、学生時代に、鬼崎と最後に言葉を交わした日の記憶が甦った。

 昨年執筆した小説を、そろそろ投稿するか……と思いアップロードしました。

 ネタ自体は六年くらい前にあったのですが、何分重すぎる腰を抱えていたため、構想五年、執筆三ヶ月という不思議な作品です。いちばん筆が乗ったのは、夜行バスの中でした。人間、追い詰められるとようやく出来るのだなとしみじみ思います。


 2万字超の短編で、全10話になります。

 美しい友人に狂わされた二人の男の、幻想的でおかしな話です。湿度高めの関係が好きな方には、特にお楽しみいただけるのではないでしょうか。

 

 感想・評価などいただければ励みになります。琴線に触れるものがありますように。

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