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後編 姉弟喧嘩と魔法陣

『姉ちゃん、ズルい、だいきらい』

『お姉ちゃんがいるせいで、おれはちっとも楽しくない』


懐かしい声が聞こえた気がして、女性はぱちりと両目を開けた。白いシーツからゆっくりと上体を起こす。変わり映えのしない自室を見回し、窓の向こうに広がる無人の草原、大岩の向こうから昇ってくる朝日をまぶしそうに見上げて、さびしげに微笑んだ。


遠くから、小鳥のさえずり。


***


晴れ渡った青空に、子どもの楽しげな声が響く。


大きな屋敷のドアが開き、中から飛び出してきたワンピース姿の少女が、両手を広げて新緑の草の中に飛び込んだ。直後、同じ場所から、ひょいと頭を出したのは、黒い瞳の白い獅子。


「がおー!!」


少女の声で可愛らしく吠えると、岩が積み重なる古墳のほうへと駆けていく。


彼女が開け放ったままの扉から、「まってぇ、ぼくもー」と声変わり前の少年の声。少女より少し小さなその少年が慌てて転がり出てきて、はるか先、岩の上で縦横無尽に飛び跳ねている白い獅子を見つけ、泣きそうな顔をする。


「おねーちゃぁん」


岩場から川に飛び込んで小魚を追い回していた白い獅子の、ぴんと立った耳がぴくりと動く。動きを止めた獅子は、すぐさま川を上がると全速力で草の中を駆け戻った。泣きじゃくっている子どもの前に飛び出し、その小さな身体をすくい上げるようにして、首の後ろにひょいと乗っける。


獣の少女が問う。「レンゼス、どこいく? 山いく?」


嗚咽をもらす少年の小さな手が、獅子の背中の毛を掴む。


「て、てっぺんっ」


「てっぺん!」


白い獅子は、鋭い牙の間から楽しげな笑い声をもらして、元気よく地を蹴った。


***


木綿のシャツを着た青年が、息を吐きながらゆっくりと杖を構えた。煉瓦色の髪が風に揺れる。足元にぶわりと広がった魔法陣からまばゆい光があふれ、大蛇か龍のように大きくうねる。宙を舞った光が草原の上を走り、等間隔に並べられた丸太を次々に貫き、あっという間に真っ黒に焦がしていく。


汗だくのレンゼスは息を吐いて杖を下ろし、木綿のシャツの袖でひたいの汗をぬぐった。


『レンゼス、きみは獣化種おねえさんとは違うんだから、同じようにできなくたっていいんだ』

『魔法をいくら極めたところで、力比べで白獅子に敵うわけないのにな』


記憶から不意によみがえる誰かの言葉を振り払うように、険しい表情の青年は、再び杖を構える。


***


ぽかぽかした陽気の中。

くあーあ、と大きなあくびをした眠そうな顔の山猫が一匹、斑色の尻尾を揺らしながら、古墳への道をのんびりと進んでいる。


「あれ?」


カンカンと、ツルハシを岩に振り下ろす甲高い音。岩の隙間から好奇心いっぱいの顔を出した山猫の視線の先、汗だくの男たちが巨大な岩を割っては、どこかへと運び出している。


「だ、だめだよ、ここお墓だよ!」


岩に飛び乗った山猫が、少年の声で叫ぶ。

男たちが手を止めてぎょっとなるが、すぐに「ああ、獣化種か」と侮蔑的に言って作業に戻る。


「お前こそ、ここはレンゼスさまの敷地だぞ。出ていきなさい」「俺たちはレンゼスさまからの依頼で解体をしているんだ」


「え? レンゼスって……」山猫が言いかけたところで、がらがらと近くの岩が崩れる盛大な音。男たちと山猫が、少し離れたところにそびえる岩山を見た。斜面を次々と転がる大小の岩が、川に落ちて飛沫を飛ばし、もうもうと土埃をあげている。


「落盤か?」道具を放り出して仲間の救助に駆け寄ろうとした男たちの前にーー岩の間から、巨大な何かがむくりと起き上がった。岩の欠片や朽ちた生物の骨や植物のツタを落としながら、太い二本の足でゆっくりと立ち上がった。


「は、墓守はかもりのゴーレムだ!」


「やばいぞ、レンゼスさまを呼べ!」


男たちが慌てて岩場を下りて、草原の先にある大きな屋敷へと駆けていく。上空から降ってきた小さな山猫が、彼らの前方に音もなくしなやかに着地。身を低くしたまま男たちの前を駆けた四足の獣は、一瞬で草原を抜けると、屋敷の前で甲高く叫んだ。


「おねーさぁん!」


開いていた二階の窓から、ふわふわの白い毛に包まれた獅子が降ってきた。どすん、と、獣の着地と同時に地面が揺れる。


「あのひとたち、なんで止めないの!」


土埃を上げながら身軽にUターンした山猫のすぐ横、冷静な目で岩場の状況を見渡しながら、白獅子は小さく、落とすように答える。


「顔も知らない祖先より、どんなに素敵な景色よりも、思い出よりも、レンゼスのほうが大事だからです」


屋敷の正面扉が開き、杖を携え装備を整えた煉瓦色の髪の青年が現れる。白い獅子が彼をひょいと背中に載せ、


「ーー先に行ってますね」


山猫にそう言い置くと、地を蹴って駆け出す。


広い草原を突っ切る大きな獅子。その広い背にまたがり、ゴーレムを見上げていた青年がちらと白い毛を見下ろす。


「お前の嫌がらせか?」


「いいえ」白い獣は前方をまっすぐ見つめながら答える。「墓守はすでに朽ち果てている、という言い伝えは嘘だったんですね」


「あの薄汚い猫は?」


「友だちです」


黙り込む青年。ゴーレムの前で立ち止まった白い獣が首を下げる。

青年の革靴の爪先が岩場に触れ、精緻な三重の魔法陣がぶわりと広がる。青年が正眼に杖を構え、まばゆい光が吹き出して巨大なゴーレムにぶち当たる。ほとばしる光の激流に押された岩のかたまりがぐらりと大きくよろめく。足元の掘削作業員たちが散り散りに逃げていく。


空に向かって大きく吠えた白い獅子が、太い脚で地を蹴る。べらぼうな脚力で跳躍した猛獣の鋭い牙が、ゴーレムの右腕にがちんと突き立つ。もがくゴーレム。左右に揺さぶられる獣の、前脚の爪が、続いてがっちりと岩の腕を捕らえた。


「ねぇ」すぐ上から少年の声がした。


がりがりと岩を噛み削りながら、獅子は黒い瞳を上へ。ゴーレムの頭上にちょこんとひっついている、斑色の山猫と目が合った。


「どうして、あんな酷いやつの味方をするの」


ゴーレムが、獅子を振り払うように腕を大きく振る。大きく食い込んだ獅子の牙の周辺の岩がぼろりと壊れ、牙が離れた。両手両足の爪で岩の腕にしがみつきながら、「違うんですよ」と獅子が穏やかな声音で答えた。


「ちがわないよ。ーーわかった、じゃあぼくがやる」と山猫がきっぱりと言って、ゴーレムの足を攻撃している足元の魔法遣いをにらみつける。「ねぇレンゼス! ぼくの攻撃がこいつをやっつけたら、今までのことごめんって、おねーさんに謝って!」


「必要ありません」と獅子が言って、壊れかけの腕に、再びガッと音を立てて噛み付いた。


「だめ、謝って」


獅子がひときわ深く噛みついた腕が、ぼろりとげて身体から離れた。垂直落下した岩の腕は、地面とぶつかった衝撃で粉々に砕け散る。


落下前の岩を蹴って高く飛び上がった獅子は、もう片方の大きな腕に飛びつく。


「私が悪いんです」


「じゃあ、悪いことしてごめんって、おねーさんもレンゼスに謝って」家族でも恋人でも、どんなに複雑な事情があっても、大事なことはちゃんと言葉にしないとダメなんだって、じいちゃんが言ってたよ、とゴーレムの頭にひっついたままの山猫が言って、へたりとしっぽを下げた。「そのあと、首つっこんでごめんなさいって、ぼくも2人にあやまります」


下げたままのしっぽから、ばちばちと放電音がしてーー


「そのあと、みんなでひなたぼっこしよう!」


そこでね、と山猫が小さな前足でちょいと示した場所を見て、獅子と青年が同時に、同じような、なんとも言えない表情をする。


この岩場で一番高い位置で、一番眺めの良い場所だ。幼いころのきょうだいのとっておきの秘密の場所。二人しか入れなかった場所。一番のお気に入りの場所だ。


全身の毛を逆立てた山猫が、大きく吠えて、しっぽをピンと垂直に立てた。


獅子の毛と青年の皮膚が、そわり、と何かをーー周囲の空気が一斉に帯電する気配を感じとる。



ーー刹那、

落雷のような鋭い稲光と耳をつんざく轟音が、ゴーレムの頭から足の爪先までを、一気に貫く。



縦に真っ二つに割れた巨大な岩の墓守が、轟音と共に崩落した。周囲一帯が大きく揺れる。いくつかの大岩が次々と川に落ち、またいくつかは草地にごろごろと転がっていく。もうもうと立ち昇る茶色い土煙が、皆の視界をおおう。


丸い岩の上に軽やかに着地した山猫が、そっくりの驚いた顔で固まっているきょうだい2人を見て、おんなじ!とけらけら笑った。


それから、何かに気づいたようにパッと振り返る。


「じいちゃん!」


嬉しそうな声で鳴いた小さな山猫は、歩み寄ってきた白いひげの老人の胸にぴょんと飛び込んだ。


「邪魔してるよ。まさか孫が来てるとは思わなかったものだから」


青年がギョッとなる。「し、師匠」


「あれ、そうなんだ」ぐるぐると喉を鳴らしながら、山猫がおっとりと言って。「ねぇねぇじゃあさ、兄弟子って呼んでいい?」


シワだらけの手でアゴの下を撫でられて気持ちよさそうに目を細めながら、斑色の山猫はしっぽを左右に揺らした。

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