(第五篇)帳尻合わせ
酒呑み処でもないのに喫茶店内の照明はやけに薄暗かった。赤、白、緑と、縁日で売る紙風船を思わせる色使いの半球形のランプシェードが天井から吊り下がり、各テーブルに野暮ったい明かりを落としていた。
「あそこはただの小汚い街で、なんのドラマもなかった」とコーヒーをひと啜りしたトク爺が言った。
「でもないでしょう。ちょっと……」
わたしは上着のポケットからスマホを取り出し、画面をタップしてKのブログを開いた。最新記事は、〈彼は、傷口から侵入したウイルスが潜伏するように、チャイナタウンの路地裏の安宿の一室に、半年近くもじっと身を寄せていた〉と始まっていた。
「いやそれは、まんざら嘘八百でもないが、ブログをいいことに、Kのヤツがいつもの調子で話を盛ったってこと。安宿って言っても、タイで家賃二万近くの家具付きのサービスアパートメントだったし、チャイナタウンの近所ではあったけれど、路地裏でもなかった」
「へえ、そうだったんですか。いかにもKさんらしい虚実ないまぜの潤色ですね、これは」
わたしはテーブルの上に開いたままのスマホの画面を上にスクロールして、結末近くで止め、
「この、奥様についてのくだりはどうです。〈彼女はその渦中にあって、一言の愚痴もこぼさず、泣き言も言わなかった。実に健気だった〉とありますね。この泣かせどころはノンフィクションでしょう」
「ああそこは半分ホント。僕に、ではなくKに対してのことね。おのれの不祥事の事後処理を、女房とたった一人の友達に丸投げして、異国にばっくれる夫に、三つ指ついて『いってらっしゃいませ』、また帰国して『おかえりなさいませ』とのたまうほど彼女もお人好しじゃない」とトク爺は苦笑いして言って、通りに面したガラス窓に顔を向けた。
窓から国道沿いに丈低く並ぶ、通り向こうの店明かりが見えていた。店々の頭上背後の均一な夜の闇が、いかにも郊外近くの片田舎の風情を醸していた。トク爺は、その夜景と掛け合うふうに、目を細めたり、瞬かせたりしながら、しばらく窓外を見つめていた。そして、またわたしの方に向き直ると、
「彼女とはもう友達の間柄で、今はごくたまにKを交えて外で食事するぐらいなんだけどね。やっぱりね、この先、この世とオサラバするまでには、事の帳尻を合わせとかないとね」と言った。
「落とし前をつけるってことですか」とわたしが何気なく言うと、トク爺は、
「えっ」と呟いて、それから、何のことだと問う感じに、まっすぐにわたしを見た。
「あっ、すみません」とわたしが謝ると、
「いや、そのとおりだね。落とし前をつけるってことね。帳尻合わせなんてヤワなことではなく……」とトク爺はいささか自嘲気味に、尻すぼみに言って、また窓外を見た。
そして右耳を右手の指でほぐすように揉み、次いでその指で首筋を掻き、それからまたわたしに顔を向け直して、
「ひょっとして、あなたもブログかなんかに書くの、僕のこと」と訊いた。
「ダメですか、今日の話は」
「いや、べつにいいんだけど」
「僕はKさんみたいには盛りませんから」
「いやむしろテンコ盛りにしてもらったほうが」とトク爺は笑った。そしてスマホの画面をタップした。Kからのメールらしく、「店に着いたらしい、行きますか」とトク爺は言って伝票を摘んだ。




