95、楽しい遠足・船の旅3
「つれが何か?」
冷ややかな言葉を紡いだのはエイルだった。
おいてきたのだが、思いのほか早くおいついたようだ。
突然無遠慮に向けられた視線と、何のタメもなく子供を抱き上げるその行動にファルカスは面食らった様子で瞳を瞬いたが、その視線を抱き上げられているあたしへと向けた。
親しみとからかいすら混じるような顔で笑い、
「よかったじゃないか、これでちゃんと部屋に戻れる」
まるであたしが迷子か何かのように言い、ファルカスはクっと喉を鳴らしてエイルへと視線を向けた。
「気をつけたほうがいいぞ。大事なものはきちんと自分で管理しないとさ。失ってから慌てることになる。
じゃあな、ブランマージュ」
軽く手を振り、まるで鼻歌でも歌いそうな程に機嫌の良いファルカスは身を翻した。
当人は機嫌が良いかもしれないが、不躾に眺められたあげくに奇妙な言葉を浴びせられたエイルは冷ややかオーラを全開で垂れ流した。
「何をしていた?」
っと、なに、なに? なんであたしがその不機嫌の餌食にならねばならぬ!
悪いのはあのファルカスの口であってあたしじゃないでしょうがっ。相手は子供だ大目に見ろ。
「何って……」
あたしは顔をしかめ言葉を捜し、結局ファルカスの言葉にならった。
「迷子?」
なんというか他にいいようがない。真実をそのまま告げてもいいけど、面倒臭い。
ただそれだけ。
猫がいるのに気をとられて、ちょっと会話をしただけ。
そんなこと言っても仕方ないと思う。
「――気をつけろ。世の中には悪い人間も、子供を嗜好するものも多くいる。おまえのような幼子、持ち上げられて簡単に攫われる」
冷淡な調子で言い切るエイルだが――
悪いがあんたより悪い人間をあたしは知らないぞ!!
それにですね、子供を嗜好ってあんた……もうどこを突っ込んだらいいでしょうね?
ついでに言うとあんた相手ならともかくほかの人間に容易く捕まったりしませんよ。あたしはチビで耳や尻尾がついているけれど魔女なの。
魔女のブランマージュなのよ?
あんた時々忘れてんじゃないの?
雷や炎で相手を撃退するのは簡単なのよ。まぁ、実際現在の魔力ときたら少ないものだけどさ。
あたしは微妙に顔をしかめ、とりあえずおろして欲しいと突っぱねるように示した。しかし灰黒の眼差しがギッと睨みつけ、あたしは諸手をあげて降参した。
おまえ他の人間が見たら虐待だぞ、その顔。悪い人の顔だよ、それ。
エイルにそのまま抱っこされた状態で客室へと運ばれ、入り口でとんっとおりたあたしは「ティラハール、魔力ちょうだい」と投げやりぎみに言った。
なんかもう色々と諦めながら。
そもそもエイルを置いてきたのはですね、補給シーンなど早々見られていたくないからですよ。
馬面とは違うイキモノといえどもレイリッシュの使い魔。主に似てやっぱりキス魔なんだろうと諦めてるんだよ、すでに。だって馬面とレイリッシュってめちゃくちゃ性格似てたもん。
きっとティラハールだってあんなに可愛いのに中身はレイリッシュなんだよ! 主従ってのは似るんだよ!
って、うちは似てないからね!!!
シュオンとあたしは欠片ほども似てないからね!
しかしティラハールは馬面のようなセクハラ大王ではなかったし、どうやらその性格もレイリッシュとは違かったようだ。
ふわりと手が重なり合い、その額があたしの額に触れる。
口付けかと思ったが違う。ただそれだけ。両の手を触れ合わせ、額と額とをつき合わせ。それだけで産毛が逆立つような違和感に身が震える。
それから本流のように流し込まれたものに、短時間であたしは悲鳴をあげていた。
「ストップ、ストップ、ストップ!」
あえぎながらあげた言葉と同時に、ロイズがティラハールを後方に引き、そしてエイルがあたしを引いた。
「どうした? ブラン?」
レイリッシュの魔力と、そしてティラハールの持つ独特な気があたしの中で渦を巻く、肩を上下させてあえぐあたしを支えながら、エイルは低く言った。
「ブランマージュを殺す気か?」
いいや。
本来のあたしであれば苦もないはずだ。
だが、猫の体が……流し込まれた魔力の強さに悲鳴をあげている。ティラハールの手がもう一度あたしへと静かに差し向けられた。
感情のうかがえない無機質な眼差し。
手が触れるよりも先に、ロイズが、エイルがそれを拒もうとするが、あたしはエイルを押して自らティラハールに触れた。
「ブランっ」
ロイズの怒声を無視した。
すっと体内に溜められた熱が引いていく。
ティラハールのココロがあたしのココロに触れてくる。
今度は力任せに魔力をずるりと抜かれる。けれど慌てたようにそれはすぐに穏やかな流れとなった。
――すまぬ。
それはわずかな単語であったが、触れ合う箇所から小さな囁きが流れ込み、あたしは一瞬驚いた。
だみ声……可愛いのにだみ声。低く小さく、だみ声。喉が潰されたかのような痛々しい声だった。
あたしは微苦笑で応えた。
「平気」
ああ、だみ声はとりあえず保留。横におしやって、それでもあたしの気持ちは上気した。
凄い、凄い、凄い!
あたしの中に激しい欲がうまれてしまう。
この子が欲しい!
こんな凄い――アイテム。
このこがいればあたしはもう魔力に困ることはない。猫に戻ることもない。
その思いと同時に、この使い魔すら凌駕するのが――魔女なのだと自嘲的なものがあたしを満たした。
魔女が欲しいと思われる理由を、あたしは自ら理解したのだ。
使い魔であるティラハール――物凄い魔力、能力を持っているとしても、それは所詮魔女にかなうものではないのだ。
最強のアイテム。
それが魔女というわけだ。
その夜、寝室であたしはティラハールに引っ付いて眠った。
よりそうだけでティラハールの魔力を感じることができる。それを便利だと思いながら、便利という言葉を連想する自分がなんだか……とてもイヤだった。
魔女を殺した大陸。
魔女を欲しがる大陸。
魔女を……
「……でも、魔女にだって心があるのに」
そしてきっとティラハールにだって心がある。それに対して「もの」という見識をしてしまった自分が激しく汚らしいように感じてしまう。
「……っ」
ぐっと唇を噛めば、小さなキィっという声が耳の中に入り込んだ。
「シュオン」
きしりと寝台がきしむ。
寝台の端に腰をおろした姿はエイルのそれで、あたしは苦笑したけれどその優しい眼差しに手を触れ合わせ、重ね合わせた。
シュオンにだって、心があるのだ。
「眠れないですか?」
「あたし最近なんか変なの……」
あたしは目を伏せた。
シュオンの手があたしの手を握り返し、もう片方の手が優しく頭をなでる。そうするとまるで自分の家にいるみたいにあたしはゆっくりと落ち着き、眠気が訪れるような気がした。
「猫でいる時、時々、記憶が……飛ぶ気がするの」
「――」
「完全に、猫になるのかなぁ」
ふと、猫でいる時に気づくのだ。
はっと気づいた時に、思っていた場所とは違う場所に居る自分。
ロイズの膝の上で甘えている白い猫。
まるきり自分の意識とは別の場所で動いているようなそれに気づいた時。あたしは呆然とした。
「マスター、マスターは猫になったりしませんよ」
シュオンのどこか苦しそうな囁き。
「……酷すぎる」
――……かじゃ、無いくせにっ。
小さく呻いたシュオンがあたしを抱きしめる。
その唇が宥めるように髪に触れ、額に触れるのを感じながらあたしはとろりとした睡魔に身を委ねた。
シュオン?
何をそんなに怒って、いるの?
問う言葉は思考の闇にからめとられ、
ココロのどこかで小さな猫がにゃーと鳴いた。