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96、楽しい遠足・夢と罪人

どんなエイルでも平気ですか?

「もう遅い時間だぞ」

一応声をかけてみたが、居間で本を読む魔道師は返事すらしない。

思わず嘆息が漏れた。

「なぁ、エイル」

「……何か用が?」

「これから行くのも、所謂(いわゆる)任務ってヤツなんだよな?」

「知らぬのか?」


ずくりと胸が痛む。

「あいつ、普通の旅行に行く気安さで声をかけてきたからな」

「騙されたか」

揶揄するように口元に笑みを張りつけさせた相手に、苦笑がでる。

「それはいいんだ。だけど――調べてみたら結構魔女には向かない場所みたいだからな。あいつ、大丈夫なのか?」

「ただの視察だ。そうそう危険は無い」

「魔物も普通にでるような砂漠化の進んだ大陸だそうだぞ?」

「始原の森より魔物が出るわけではあるまい」

「――そこの住民は魔女を殺すような連中なんだぞ?」

 ロイズの中にそんな常識は無い。

魔女とは絶対の加護だ。それをみすみす失うようなことをするなど、考えにも至らない。はた迷惑な存在であるという認識はあるが、だからといって魔女を排除など、ありえない。

おそらく、この考えは極一般的なものだろう。

多くの大陸で魔女は崇拝され畏れられ――そして保護されている。

人々は今更魔女の加護を失うことなどできない。


ブランマージュの暮らすあの森の近隣の村々が飢餓を忘れたように。

大地は魔女を愛している。その恩恵を人間は受けているのだ。


「任務の苦情であれば王宮魔女に言うことだ。手に負えぬと思うのであれば、次の補給地で船を乗り換えればよいだろう」

 淡々と言われる言葉にロイズは肩をすくめた。

「行くよ。そんな場所に行くと知っていて一人安全な場所にいるなんて、冗談じゃない。

むしろ騙されてでも連れて来てもらって良かった」

 エイルは瞳をすがめてロイズを見上げ、皮肉気に口元に笑みを刻んだ。

「責任感の強い隊長殿らしい言葉だ」

「……」

ロイズはむっとしたように眉を寄せ、それ以上言う言葉がないのか身を翻した。寝室へと続くその背を見送り、エイルは視線を本へと戻した。


腹の中が奇妙に冷える。

こういう日には夢を見るものだ――それが判る。

エイルはテーブルにある酒を一口喉へと流し込み、もう片方の扉を睨んだ。

飢えている……

それを強く感じる時、夢がエイルを飲み込むのだ。

理解している。

もう幾度も幾度も見せられるそれは、あの日――末の魔女を雷撃で叩きのめした折りに植えつけられた魔女の呪いだ。


***


幾度か似たような夢を見る――


それはどれも同じ夢だ。

同じようにはじまり、そして同じように終わる。


夢の中には一人の魔女。赤味の強い金髪に琥珀の眼差しの魔女。

その手には銀色の枷が掛けられ、続くのは同じ素材で作られた鎖。

時々か細い声で泣く――もう赦してと。

開放して欲しいと泣くのだ。


その涙の一滴も自分のものであるというのに、どこに行くというのだろう?

血も肉も、髪の一筋さえ全てが自分のものなのだから……

唯一自らのものでないものがあるとすれば、それはココロ。だがそんなものはもとより不要だ。

「魔女は子を産まぬのだそうだ」

淡々と問いかける。

「何故だろうな?」

何故子供ができないのであろうか?

――人間の女と何が違うというのだろう。その体の隅々まで調べつくしてもたいした違いがあるわけではない。

人間と変わらぬし、月が巡れば女性特有の徴もあることも承知している。

「……もう……」

「子ができたら開放してやっても良い」

揶揄するように口元に笑みが浮かぶ。

そんなことは嘘だ。

子供ができれば更に開放などするつもりは無いし、子ができなくとも構わない。


鎖が絡まり音をさせる。

涙の(したた)りをゆっくりと味わいながら、その至高の悦楽に身が震える。


手放せる理由が無い――


やがて行き着く果てに魔女の血をすすり、肉すら口にする。欲は全てのものを蝕み更に多くを欲する。

滴るそれすら恍惚感を与え、至福に身を震わせる。

魔女が果てる、その先にあるのは――煉獄。


***


「ダーリン!」

甲高い声で呼ばれ、目を開けば夢の残滓が気だるくのしかかる。

「疲れてるの? 寝るならソファじゃなくて寝台に行って寝なさいよ」

「……」

「なに、なんなのよ? へんな顔して人の顔じろじろ見るの辞めなさいよ」

夢の中の魔女と似た顔をして唇を尖らせる魔女。

夢の中のあの女はいつも泣いているというのに、この面前の魔女の表情は驚く程よく変わる。

何より、夢のあの魔女はもっと大人びた顔をし、体をしている。

白い肌を血が伝い、手首の戒めが傷をつけた。

何より、滑稽な耳や尾などつけていない。

アレは夢。

夢だ。


罪人が見た夢。


「夢を……見ていた」

「どんな?」

クスリと笑みが落ちる。

「良い夢だ――おそらくな」

「あんたの良い夢って一般的に悪夢っぽくてなんかイヤ」

どうせ魔物とかがうじゃうじゃしてるんだわ。

肩をすくめて魔女が唇を尖らせる。


未来の果てか、それとも過去の残滓か……

「どちらにしろ悪い夢では無い」

自分のものである筈の魔女の手に、枷は無い。

ならばこれは自分のものではないのだろう。


自分のものでも誰のものでもない魔女。


夢の中の男は愚かだ。

魔女をあのように捕らえては全てが破滅する。幾重に結界を張ったところで、魔女の前にその力は微弱でしかない。


やがては破滅し魔女すらもこの手から砂塵の如く消え去るのであれば――あのように捕らえるのは愚かな行為でしかない。


囚われていると当人にすら気づかせぬように――そっと穏やかに真綿にくるみ。

失う煉獄など要らぬ。無明の闇など……


その体――血の一滴。髪の一本。その全て。

つっと魔女の手が額に触れた。

「そんなところで寝ると風邪ひくわよ? 少し顔赤いんじゃない?」

「そんなことはない」

ひたりと冷たく小さな手が触れる。

心地よく、そしてまた無数のわずかな棘のように体のどこかを痛みと共になぞる。



ココロまでは……求めてはいない。

そう。

そのはずだ。


腹のうちにあるこの感情を自分は理解している。

雄としての本能では無い。

「まったくダーリンは!」

ぐいっとシャツをつかまれ、引き寄せられ魔女がその額をエイルの額へと押し当ててきた。

「ほら、少し熱があるってば。病気は魔女にだって治せないのよ?」

怒るように尖らせる唇を、時折り無性に貪りたくなるのは性欲ではなく、きっと食欲に近いもっと別種のものに違いない。


すっと抱き込めば、慌てて逃れようとする。

眉間に皺を刻みつけ、

「なによ」

と乱暴に尖る唇が乾きを呼び起こす。

「おまえ、魔力あまっているだろう」

嫌そうな顔をするくせに、魔女は肩をすくめてふいにエイルの額にそっと唇を寄せた。目の前には薄っぺらい胸。到底男を刺激するはずもない体。

本来の体であればと幾度か過ぎった渇望。

これは所詮偽り――紛い物だ。


「魔女の慈愛と加護を――」


ふわりと体内に柔らかな風が巡る。

それは魔女の――ココロだ。

紛れも無くエイル・ベイザッハに届くココロ。

「寝台で寝なさい」


ココロは求めていない。

いないはずだ。

そんな不確かなものなど必要がない。

そう思っているというのに、体は勝手に手を伸ばし、その金の眼差しに自らをとどめようと足掻く。

他の誰かではなく、自らを。

夢の男のように閉じ込め、そして、


吐息が漏れる。

――認めたくはない。

自分の愚かさなど、認めたくはなかった。


『ふふふ、今見たものがおまえの望み。そしておまえの闇。おまえが魔女を捕らえて()そうとした下らぬ現実。夢でよかったわね? 真実為されていたことなれば、あたくしがその体を生きながら切り刻み破壊しつくしてその魂を引き裂いて砕いていたわ』


――おまえは自分の罪を幾度も見続けるがいい。

おまえが虐げようとした魔女の隣で。


漆黒の魔女の嘲笑が耳元によみがえる。

幾度も、幾度でも。

魔女の呪い。

それすら心地よい戯れだと思う自分は、確かに罪人で、そして愚か者だ。

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