39、後ろに立つな
「私は暇じゃない」
冷ややかな魔導師殿はさらに冷ややかにおっしゃる。
来るのが遅かった挙句、人間の姿になりたくないと暴れるあたしを、無常にぽいっと魔方陣に放り込む。
あたしの体は緑の光に包まれ、あっという間に十歳児。
あたしは半泣きの状態で「使い魔っ」と呼びつけた。
現在は蝙蝠の形の使い魔がはたはたとあたしの前に来る。
「後ろ……」
半泣きのあたしの言葉に、使い魔が後ろにまわる。
「あ――」
マの抜けた声でそう言い、慰めるかのように力強く言った。
「大丈夫です!
マスターはハゲでも可愛い」
ハゲ言うなぁぁぁ!
「何の話をしてるんだ」
憮然としたエイル。
「マスターの後頭部に」
「言うなぼけぇっ」
あたしは使い魔をはったおした。
それはもう容赦なく、手首のスナップを利かせてばしっと叩き落す。
「――」
「あたし今日は行かない!
絶対行かない!
レイリッシュが何と言おうと、絶対に外なんて行かない!
猫に戻してっ」
こんな格好でうろつけるか!
嫁にいけないっ。
あたしの剣幕に眉宇を潜め、エイルは「やまかしい」と静かに言う。やかましかろうと何であろうと、あたしにもあたしの矜持があるのだ!
「やだっ、近寄るなっ」
づかづかと近づいて来ようとする魔導師に、あたしはずりずりとあとずさる。
後ろを見せてはいけない。
あたしの後ろに立つ者は死ぬがいい!
あたしは魔法を発動しようとした。
いくらなんでも腕力でエイルに勝てるわけがない。
止まれ!
だがここはエイルの縄張り。彼の領域。
そもそもあたしの姿そのものがエイルの魔道の補強によってできている。
ううう、使えねぇっ。
エイルはがしりとあたしの首根っこを押さえ込む。
「いや、やめてっ」
「だまれ」
「来ないでよぉっ」
「何を隠してるんだ」
「何も隠してなんてないわよ」
「うそをつけ」
「やだ、乱暴にしないでよっ」
「辞めてっ」
あたしの半泣きの言葉と同時、
「旦那様!
幼女に対してのそのような行為は犯罪ですっっ」
扉を蹴破る勢いで入ってきたのは、この屋敷の家人。
「何の話だ!」
エイルの額に青筋が浮かんだ。
あたし悪くないからね!
悪いのは絶対にエイルだから。
まぁ、全裸でタオルかぶった幼い子供を押さえ込んでいるあんたは尋常じゃないわよ?
――冷酷の魔導師幼女愛好家説。
そんな黒い噂を一つ作り上げ、あたしのハゲはエイルの眼前に晒された。
「もうお嫁にいけないぃぃ」
もう何度言ったか判らない言葉が口から漏れる。
エイルの眼差しは相変わらず殺人光線をびしばし出していたが、やがて言った。
「帽子でもかぶればいいだろう」
……確かにね。
あたしははたりと顔をあげ、自分の頭に手を触れた。
「帽子かぶれば……」
ぴょこん。
その時、あたしはその奇妙なものにはじめて触れた。
ぴょこん……
「ダーリン」
「なんだ?」
エイルは最近色々と諦めたのか、ダーリンという言葉に顔色一つかえなくなってしまった。
以前は心底いやそうに眉間にくっきりと皺を刻んだり、口の端を少しばかり引きつらせていたというのに。
最近ではダーリンという言葉に返事までする。
最終兵器「あ・な・た」の出番はそろそろだろうか?
いやいやその前に「ご主人さま」がさきか?
「あたしの頭に何かのってる?」
それはともかく、あたしはなんだか頭の上でぴょこんっと動く薄い物体について尋ねてみた。
触ろうとすると、なんというか……生あったかくて、薄くて、ぴるぴる動く。
「耳ですよー」
ぱたぱたと蝙蝠があたしの周りをまわりながら、実に楽しそうに言った。
「耳……?」
「マスターの気持ちに応じてぴくぴく動いたり伏せたりする可愛い猫耳です」
「――」
「尻尾とあわせて最強のアイテムですよね!
マスターめちゃくちゃ可愛いですっ」
あたしはふるふると振るえながら静かに泣いた。
気まずそうにエイルが視線をそらす。
「ダーリン……」
「――」
「ダーリン……」
あたしははじめて気づいた。
今、耳、伏せてるよね?
今まで気づかなかったから判らなかったけど、今、確実に頭の上で猫耳がせつなそうに伏せていますよね?
「今日は体調がすぐれないのでお休みさせて下さい」
「わかった」
エイルは額に手を当てて、もう片方の手を軽く払った。
エイルにも他人に対して同情するという心はあるらしい。
――あああ、あたしってば、エイルにまで哀れまれてますね?