第二十七話 以心伝心
結末を決めてから書いてみています。
途中経過にとてつもなく迷っています。なぜ……?
夜。あと二時間程で日付が変わる頃。
明日の英語の予習を終え、教科書等を鞄に仕舞い、あとは風呂に入って寝るだけだと一息ついた俺は、勉強机のスタンドライトを消して、椅子の背もたれに背中を預けて大きく背伸びをした。長年の付き合いの椅子が、ギシリと軋む。
そのまま、見慣れた自室の天井を見上げて停止する。
ぼんやり天井を見上げながら、今日の夕方に峰岸部長達から聞いた話を思い返す。
峰岸部長達は、冠木校長に弱みを握られていて、それを秘密にする代わりに、問題を起こしそうな又はトラブルに巻き込まれそうな生徒の監視を行っているらしい。
その要注意生徒リストに、俺と姫川がノミネートされていると、峰岸部長は言う。
そして、実際に問題を起こした場合は、即時、冠木校長へ報告するよう指示されているらしい。
峰岸部長は、ラクロス部の直近の大会で、相手チームに八百長を持ち掛けた事が、冠木校長に発覚した。
八百長の申し込みは決裂し、試合にも敗れたのだが、スポーツマンシップには反する。峰岸部長曰く、対戦成績の低迷するラクロス部を盛り立てようと試行錯誤した結果らしい。
二年生と三年生の女子生徒は姉妹だった。半年前から、叔母が経営するスナックを、店員として手伝っていた。もちろん、学校側には許可を受けずに。都合の悪い事に、勤務時間が午後十時を過ぎることも往々にしてあり、正規の報酬よりは安価とは言え、給料も貰っていた。
一年生の男子生徒は、中学生時代に数回、後輩に対してカツアゲ紛いの事をした情報を掴まれた。
その他の生徒達も、似たり寄ったりの事情で、冠木校長に逆らえない状況だと言う事だった。
「身から出た錆……と、言ってしまえばそれまでか……」
根本的な原因は、本人達にある。
それに、表面的に考えれば、学校内外でトラブルが発生した場合に、早期対応できる体制を整えていることは、悪い事ではない。
その方法が、生徒への脅迫であるという点を除けばだが。
峰岸部長の話を聞き終えた俺は、その場で、聞き返した。どうして、俺なんかにこの話をするのか。
俺の質問に、真剣な顔をした峰岸部長は、柄にもなく頭を下げて言った。
『虫がいいのは百も承知の上で言わせてもらう。八王子、俺らを助けてくれ。お前なら、何とかしてくれるんじゃないかと思うんだ』
本当に、虫が良過ぎる話で、逆に清々(すがすが)しいくらいだった。
俺が、峰岸部長達を、冠木校長から救う義理なんて無い。勝手に期待されても困る。
冠木校長に脅迫されているのは、峰岸部長を含めて、親しい間柄でもない生徒達だ。
だから、彼らの期待に応える必要はないし、彼らが対処するべき問題に首を突っ込む理由も無い。
「少し前の俺なら、間違いなくそう割り切ったな……」
『もう、嫌なんだ。誰かの弱みを握って……それを冠木校長に話して……次はその誰かが冠木校長の手駒になる。でも、それを庇ったりすれば、自分が退学になるって言われているから、どうしようもないんだ……』
生徒を自分の手駒にするに当たり、冠木校長は一つだけ免罪符を与えるらしい。
曰く、代わりの手駒になる生徒の弱みを握って報告せよ。つまり、身代わりを用意しろという事だ。
奥歯を噛み砕かんばかりに悔しがる峰岸部長の顔が、その場にいた他の生徒の暗く沈んだ表情が、脳裏にこびり付いて離れない。
「はぁ……どうしたもんか……」
呟きながら目を閉じれば、目蓋の裏にもう一つ、小生意気な後輩の顔が浮かぶ。
まるでそのタイミングを狙い澄ましていたかのように、携帯電話が呼び出し音を鳴らす。
ジリリリ、と昔の黒電話を彷彿させる音を沈黙させるべく、相手も確認せずに「応答」の操作をする。
俺に、しかもこんな時間に電話を寄越す相手は、一人しかない。
『あ、先輩、こんばんは。今日は電話に出るのが早かったですね。ふふふっ。もしかして、私からの電話が待ち遠しくて、スマホの前で待ってましたか? ワンちゃんのように、待て、してました?』
「電話に出るのが遅くても早くても、何か言わないと気が済まないのか、姫川」
俺の応答が早かったので、機嫌のいい姫川。
高城顧問の一件が終わった後も、こうして夜の空き時間に、姫川と電話をする事が習慣化しつつある。電子メールやメッセージアプリで済ませた方が、お互いに時間を有効活用出来ると進言したのだが、姫川に「電話でお喋りするのが好きなんです」と一蹴されてしまった。
『ふぅん……そういう態度でいいんですかね。先輩は、私に平身低頭して謝らないといけないことがあると思うんですけど』
「流石、姫川の情報網は早いな。余計な説明しなくて済むから助かる」
『もうっ、ちょっとは申し訳なさそうにしたらどうなんですか。私の居ない所で、勝手に私を巻き込まないでください。巻き込むなら、ちゃんと私の居る時にしてください』
「いや、姫川が居ても巻き込んじゃ駄目だろう」
『そんな事ありませんよ? 日常にちょっとしたスパイスがあった方が、味わいが深まって楽しいじゃないですか。たった三年間しかない高校生活なんですから、一日たりとも無駄遣いは出来なんです。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊らにゃ損です。だから、私に何かあったら、積極的に先輩を巻き込む所存です。喜んでください』
「嬉しくない」
『ちなみに、先輩の予想通り、私の所に話が運ばれて来る間に、立派な尾鰭と背鰭が付いていますよ。スイスイ泳いでます。私が友達から聞いた話では、先輩が『姫川舞衣は俺の嫁だ』と校舎の中心で愛を叫んだ事になってます。ふふふっ、先輩ってば、相変わらず私のこと好き過ぎませんか?』
「尾鰭どころか、進化して両生類になってるだろ。どこでどう間違ったんだ……」
ダーウィン博士も驚愕の進化だ。
『間違ったんじゃなくて、より面白い方に、面白い方に、話が改造されていった結果です。そういうものですよ、噂話って』
姫川は、人当たりが良くて交友関係が広い、学校内の人気者だ。それ故、噂話の格好の餌食になっているのだろう。
人気者は大変だな、と口には出さないが、姫川に同情する。きっと姫川も、同情されるのを嫌がるだろう。
『それで、先輩。事の経緯を教えてくれるんですよね? そのために、私からの電話を待っていたんでしょう? あ、あと一つアドバイスしておきますけど、変に気を遣わないで、先輩から連絡をくれてもよかったんですよ?』
「……本当に、説明の手間が省けて助かるよ。正直、そこまで見透かされているとは思わなかったけど」
俺から変なタイミングで電話をした場合、姫川が友達と連絡を取り合っている邪魔をしてしまうんじゃないかと、余計な気を回したところまで考えが読まれているとは思わなかった。
『ふふん。先輩の考えそうな事なんてお見通しです。どうですか? 惚れました? あ、違いますね。惚れ直しました?』
「どちらかと言えば、姫川の怖さがレベルアップした」
『もう、どうしてですか! こんなに可愛い後輩を怖がるなんて、本当に先輩はおバカさんですね! これはあれです、教育的指導が必要です。熱血スパルタ指導です』
「それで、今日の放課後の一部始終だったな」
『話の流れを無視しないでください! もうっ、まったく! 先輩のくせに!』
電話越しに、ボスッボスッ、とクッションを八つ当たりで叩いているような音が聞こえる。
その光景が簡単に想像できて、少し可笑しかった。
峰岸部長の話を聞いて、少しささくれ立っていた気持ちが、姫川のお陰で落ち着いたことを確かめながら、俺は今日の朝からの一連の経緯を、掻い摘んで説明した。
下駄箱に入っていた脅迫状、昼休みに駒村主将から聞いた話、放課後の峰岸部長との鬼ごっこ、姫川ファンクラブへ切った啖呵、そして、冠木校長が生徒の弱みに付け込んでいる話。
御冠だった姫川も、八つ当たりを止めて静聴してくれた。冠木校長の話を聞いた時には、予想通り「何ですかそれ! 絶対許せません!」と憤慨していた。
「俺が今日、見聞きした事は大体こんな感じだな」
『なるほど……分かりました。それにしても、あの狸オヤジ許せません! 幼気な高校生の弱みを握って、人狼ゲームみたいな事させて楽しむなんて、悪趣味も度を越してます!』
「まあ、姫川のお怒りは御尤もなんだけど……何がしたいのかは、いまいち分からないな」
『そうですね。悪趣味ですけど、表面的には生徒がトラブルを起こしたり巻き込まれたりした時に、すぐに対応するためだって方便が成り立ちますから、相変わらず悪知恵が働きますね。まるで、先輩みたいです』
電話の向こうで姫川が唸る。
「勝手に俺を同類にするんじゃない」
『うふふ、冗談です。それで、先輩はどうするつもりなんですか?』
姫川の、この切り返しを待っていた。
俺は準備していた台詞を思い返しながら、慎重に言葉を選び、
「あぁ……。それについても、姫川に少し相談したかったんだ。相談と言うよりは、お願いになるんだが――」
『いいですよ。もう、しょうがない先輩ですね。頼りになる後輩が、力を貸してあげます。大船に乗ったつもりで居てください』
俺が最後まで言う前に、まるで「待っていました」とでも言うかのように、いとも簡単に姫川は返事をした。
明日の天気を聞かれたかのような軽さだった。
相当な重量だと思い込んだ荷物を持ち上げようと力んだら、羽のように軽くて、一人で気恥ずかしくなる感覚に似ていた。
「……俺が言うのもおかしいけど、安請け合いしていいのか? 俺はまだ、姫川に何をお願いするか喋ってもいないんだぞ?」
『ふふっ、そんなに驚くことですか? 私は、先輩が私に無理難題押し付けるとは思っていません。それに、先輩の事ですから、もう大まかな作戦は立てているんでしょう? その中で、先輩が私の力を必要としてくれている。それなら、先輩の話を聞いても聞かなくても、私の返事は変わりません』
「姫川にそう思われているのは、素直に嬉しいんだが……。いや、違うな……」
これ以上無い位の、色好い返事を姫川がくれたのだ。
返事を貰った俺の方が、ここで愚図愚図するのは、姫川に対して失礼だ。
「悪い、姫川。頼りにさせてもらう」
『はい。それでこそ、先輩って感じです。まあ、ちょっと意外だったのは、先輩が私をこの件から遠ざけようとしなかった事ですね』
「ああ、それは真っ先に考えたんだ。でも、姫川の事だから『そんなの黙って見過ごせる訳ないじゃないですか!』とか息巻いて、俺の言う事なんか絶対に聞かないだろうと思ったんだ。俺の知らない所で危ない目に遭われるくらいなら、俺の目の届く範囲に居てもらいたい。それなら、万が一の時に、俺が姫川を守れる」
『そ……そうですか。ふふっ、つまり先輩は、私と一緒に居る口実が欲しかった訳ですね』
「違う」
まだ、危ない目に遭うかどうかは分からないが、用心するに越したことはないだろう。
姫川の事だから、俺が無理に押さえ付けようとすればする程、反骨精神を逞しくして、却って暴走しかねない。
峰岸部長から聞いた冠木校長の話を、姫川に隠しておくという方法も考えたのだが、姫川に対して隠し事をするのが嫌だった。
それに、峰岸部長が姫川を頼って話をする可能性もあった。
結果、今日の出来事を姫川に全て話し、一緒に行動する方法が最善策と判断した。
『まあ、優しい後輩の私は、先輩の本心には気付かない振りをしてあげましょう。それと、先輩の悪巧みの役に立つか分かりませんけど、私からも情報提供が一つあります』
「情報提供?」
『はい、あ、でも、その前に……』
ほこん、と電話の向こうの姫川が咳払いをして勿体を付ける。
『先輩、玉城千尋さんと一体どんな関係ですか。四百字以内で簡潔に説明してください』
「……はい?」
思いがけず、姫川の口から懐かしい名前を聞いた。




