備忘録 玉城千尋と八王子陸
千尋と陸の関係性の説明として。
今日の私――――玉城千尋は、機嫌が良い。
いや、今日のと言うよりは、今のと言った方が適切だろう。
目を付けた後輩の働きぶりが、私の想像の斜め上ではあったが、期待以上のものだったからだ。
私は、自分を過大評価しない。自分自身の力量、能力を正しく認識している。だから、出来ない事には挑戦しない。
その代わり、他人を見る目を養っている。
自分には無い技能や能力を持つ人物を見定める能力を欲している。
それはつまり、私が達成したい目標を、他人にやらせるためだ。
他力本願。
これが、玉城千尋のモットーだ。
「あ、来た来た」
中学校の正門で待ち伏せている私の方向へ、一人の男子生徒が歩いて来る。
他の空手部員は、先に全員帰ってしまった。あの男子生徒が最後まで居残っていたのは、今日の一件で、部活動を混乱させた罰として、一人で片付けと掃除をやらされたからだった。
四月半ばで、日中は暖かいとは言え、日が沈めば肌寒くなる。普段の私なら、こんな中で三十分も待たされた不満をぶつけてやるところだが、今日は彼の働きに免じて、大目に見ることにした。
黄昏時ではあるが、外灯の下で待っている私の姿は遠目でも分かったらしく、気付いた男子生徒が、こちらへの接近を躊躇う様子が見て取れた。だが、それもほんの一瞬で、覚悟を決めたか諦めたか、真っ直ぐこちらへ歩いて来た。
「お疲れ様、陸君」
「……お疲れ様でした」
私に向かって無愛想に返事をして、申し訳程度に会釈をした男子生徒――――八王子陸は、自然な流れで私を置き去りにしようとする。行動を先読みしていた私は、通学用の自転車を引いて、陸の隣を並んで歩く。
「ナチュラルに置き去りにされそうになって、お姉さん悲しいなぁ」
「一緒に帰る理由がありません」
冗談で言った台詞に、ここまで真面目に、尚且つ、露骨に拒否されると、本当に悲しくなってくる。
「つれないなぁ。頑張った陸君に、お姉さんから素敵なご褒美あげようと思ったのに。約束通り、何でも一つだけお願い聞いてあげちゃうよ?」
隣の陸に見えるように、制服の胸元を引っ張って色仕掛ける。バストサイズには自信がある。
「じゃあ、一人で帰らせてください。お願いします」
ところが、陸はこちらに一瞥も投げずに、冷淡に言い放った。
「あははっ。これは、随分嫌われちゃったなぁ」
「いいように扱き使って、嫌われないと思ったんですか?」
「いいように扱き使われてると分かっても、しっかり働いてくれた陸君は、お姉さん大好きよ? 片思いになっちゃったわね」
「……玉城先輩の思惑通りにならないかも知れませんよ」
「うん、それでもいいわ。少なくとも、現状打破できたから、私は満足。だから、陸君には本当に感謝してるのよ?」
私がマネージャーを務める空手部は、二年前の黄金時代から比べると、全くの別物と言える状態だった。
かつての先輩方――――私が一年生の時の三年生が、人としても選手としても優秀過ぎたのかも知れない。
黄金時代の三年生が引退して卒業し、空手部を任された私達にとって、過去の栄光は荷が重すぎた。理想とする目標は明確にあるのに、かつての三年生の真似をしようとしても上手くいかず、大会成績も低迷する一方で、少しずつ堆積する不満。
進級して、一年生が入部してきてからも、私達二年生と、三年生の迷走振りは変わらなかった。
それどころか、一年生に対して必要以上に厳しく指導してしまう節があった。
積もり積もった不満が時限爆弾のように爆発したのは、三年生が引退し、私達二年生が部活動を牽引しなければならなくなった時だった。
人間関係も良くしたい、大会成績も良くしたい、理想ばかり高くて空回りする二年生。
入部当初から、先輩に厳しく当たられ続けている理由も知らずに、不満ばかりが膨らんだ一年生。
決裂する条件は十分だった。
一年生の中でも、不真面目な数人が、部活をサボるようになった。
不真面目な後輩に腹を立てて、余計に厳しく当たるようになってしまった千尋達二年生。
巻き添えで練習がハードになり、真面目な方の一年生も少しずつ、千尋達二年生に反抗するようになっていった。
それに逆上した千尋達二年生が、輪をかけて一年生に厳しく当たる。
そんな負の連鎖の中では、人間関係も大会成績も良くなるはずもなく、最悪な雰囲気の中で進級し、新一年生――八王子陸達が入部した。
二年生は、私達から受けた仕打ちの憂さ晴らしで、新一年生にハードな練習メニューを押し付ける。
それだけに飽き足らず、一部の二年生と三年生は、新一年生の中でも気弱そうな人物を標的にして、カツアゲのような事を始める始末。
理想とする部活動の姿からは、途方もなく乖離してしまった。ただし、気付くのが遅過ぎた。
小手先の技術で修復や改善ができるほど、三年生と二年生の間に入っている亀裂や問題は、浅くもなければ容易でもなかった。
それならいっそのこと、壊れてしまえと私は考えた。一度、完全に壊してしまってから、零から人間関係なり先輩後輩関係なりを組みなおせば良いと考えたのだ。
しかし、私には上手な方法が思い付かなかった。
私は昔から、司令塔的な立場に居ることが多かった。聞こえはいいかも知れないが、言い換えれば、問題の解決能力は持ち合わせていないのだ。
では、どうするか。答えは簡単だ。実動部隊になってくれる人を雇えばいいのだ。
三年生は役に立たない。二年生は、三年生の私の言うことを聞いてくれない。だから、新一年生の中から、必要な実力と能力を兼ね備えている人物を探した。
マネージャーとして日々の練習の様子を観察し、先輩として日中の学校生活の様子を聞いて回った。
そして、私の求める水準を満たしていると判断した一年生は二人。
一人は、小学生から市内の空手道場に通っているため、実力は調べるまでもなかった。だから、私は真っ先に一人目に依頼を持って行った。
ところが、人格に問題があった。なまじ実力があるために、先輩だろうがお構いなしに他人を見下しているのだ。
空手部の人間関係を改善したい、と嘘泣きを交えて説得しても駄目だった。
一人目の交渉が決裂した私は、すぐには二人目の交渉に臨まなかった。
そうと言うのも、二人目は実力が未知数で、親が警察官だから正義感があるだろう、と言う程度の不確定要素の塊だったからだ。
練習中の基礎トレーニングを見る限りでは、実力のはっきりしている一人目と比べても見劣りしない。それどころか、余裕すら感じるので、基礎能力は上かも知れない。
ただ、基礎的な身体能力が高いことは、そのまま空手の実力とイコールとならない。
加えて、父親が警察官だから正義感があり、小学生の時に、上級生から苛められていた同級生を助けた逸話を持つと聞いた。
タイミングを見て、数回、会話をしてみて人物像に直接探りを入れてみたが、至って普通の男子の印象しか受けなかった。
最悪のパターンは、正義感はあるが実力が伴わないので状況を悪化させて終わり。
これだけは避けなければならない。最低でも、悪さをしている二年生に勝てる力は欲しいところだが、その実力を測る機会がいつになるか分からない。
そして、三年生の引退と同時に、マネージャーである私も引退して部活に関われなくなってしまうため、時間の猶予も無い。
総合的に勘案した結果、私は賭けに出ることに決めた。
二人目の一年生――――八王子陸に、空手部の現状、一年生からカツアゲをしている上級生について、改善したいという私の思いを伝え、協力を仰いだ。
結果は、大勝利だった。
「一つ、確認したいことがあるんですが」
今回の件について、回想して喜びを噛み締めていると、陸が横槍を入れて来た。
「うん……何? 私のスリーサイズなら、上から八十……」
「聞いてもいないことを喋り始めないでください。俺が聞きたいのは、別です」
「じゃあ、私の男性経験? それなら零よ。貞淑な女であることを保証するわ」
「それも違います。どうして、発想がそっちに偏ってるんですか」
心底嫌そうな顔をする陸に対して、こちらとしては恥を忍んで惚けたのだから、もっと赤面するなり恥ずかしがるなり、面白みのある反応をして欲しかったと不満に思う。
「思春期の男子の興味なんて、エロスの方向と相場が決まってるもの」
「決まってませんから。俺が聞きたいのは、今回の玉城先輩の目的です」
「私の目的……? そんな事知って、どうするの? はっ!? まさか、それをネタにして私にエロスな要求を?」
大袈裟に驚いて見せて、自分の体を抱くようにして身の危険を表現する。
あろうことか、陸は溜息を吐いた。
「はあ……。もう面倒だからいいです」
「ノリが悪いわね。そうねぇ……私の目的って言っても、陸君……あ、ねえ、陸って呼び捨てていい?」
「呼び方くらい、好きにしてください」
「私のことは、ハニーって呼んでいいわよ」
「嫌です」
「あはは。やっぱり、陸は面白いわね。ああ、それで、私の目的ね……。空手部の皆が大事だからに決まってるでしょ?」
「嘘、ですね」
「やっぱり、バレてたか。それでも最終的には私に協力してくれたんだから、本当に、陸は私の予想の斜め上だわ」
そう、私が空手部の内輪揉め状態を解消したかった理由は、空手部の仲間が大事だとか、そんな高尚な理由ではない。
それでも、陸を懐柔するために涙ながらに語って聞かせたのは、大事な仲間が喧嘩をしている現状を変えたいという理由だった。
どこでバレてしまったのだろうかと思う一方で、一筋縄では懐柔できなかった八王子陸に対して俄然興味が湧いてくる。
「陸の考えている通り、私は、私の利益のために陸を利用したのよ」
「……そうですか」
陸は怒るでもなく、軽蔑するでもなく、素っ気なく返事をした。それが何よりも、陸の予想通りだったのだと物語る。続けて、
「目的は、推薦入試のポイント稼ぎってところですか?」
陸が的確に言い当てたことに、私は正直に驚いた。
次いで、私自身も不思議なことに、にんまりと口元が緩むのを我慢できなかった。
「本当に、陸は面白いわね。どうして、そこまで分かっちゃったのかしら?」
「まあ、気付いたのは偶然ですが」
私は、高校入試を推薦で受験したいと考えているのだが、学力だけでは心許ない。
だから、面接試験でのポイントも稼いでおきたいと考えた。
面接試験で話すエピソードが、単純に中学三年間を部活動のマネージャーとして頑張った、だけでは印象が薄い。出来れば、全国大会に出場した空手部を支えたマネージャーとして売り込みたかった。
そのためには、空手部内に蔓延している悪い空気を払拭して、全員が練習に専念できる環境を整えなければならない。
あるいは、不仲になっていた部活動内の人間関係修繕に一役買った、というエピソードが欲しかったのだ。
陸は、私が至極個人的な理由のために陸を利用しようとしていることに気付いていた。
それなのにも関わらず、陸が部活動内で孤立する状況を厭わず、今日の立回りを演じてくれたのだ。
「ねえ、陸はそこまで分かっていて、どうして私に協力してくれたの? 私に惚れた?」
「寝言は寝て言ってください」
「それはつまり、遠回しなベッドインのお誘いってこと? 陸は意外と大胆ね」
「どこまで頭の中ピンクなんですか。いい加減にしてください。俺はただ、気弱な一年生を苛めている上級生が気に入らなかっただけです。だから、玉城先輩が、空手部内の事情を教えてくれた事だけは感謝しています」
「つまり、お互いに、お互いを利用したって認識でいいのかしら?」
「それでいいです。お互いに、貸し借り無しってことで」
「ふ~ん……そう。私、他人を利用するのは好きだけど、他人に利用されるのは嫌いなのよね。いいわね、ますます気に入ったわ」
「……いや、金輪際、関わってもらいたくないんですが」
「だーめ。陸がなかなか優秀な人材だって分かった以上、使わないと勿体ないじゃない。その生意気な態度も、矯正してあげる」
この件を発端として、八王子陸は、玉城千尋の持ち込む厄介事に、度々巻き込まれるようになったのだった。




