十二所へ訪問
秋田の自然は、ただ美しいだけではない。
そこには、歴史と文化と、人々の営みが折り重なった“層”がある。
涼香と俊が十二所を訪れたのは、
柳貞明──令和の赤ひげ先生の勧めによるものだった。
戊辰戦争の記憶、旧橋台の痕跡、佐竹藩の藩薬・龍角散の故事。
それらを辿りながら、二人は“秋田の未来”について語り始める。
今回は、十二所の静かな風景の中で生まれた
二人の新しい想いを描いていきます。
涼香と俊は、せっかく秋田に居るのなら大館市十二所を訪れたら良いと、
赤ひげ先生こと柳貞明に勧められ、当地を訪問することにした。
「少し足を延ばせば、大湯環状列石やクロマンタも見れる」
その補足が、歴史好きの俊に響いたようだった。
涼香は秋田市以上の“田舎の自然”というものに興味があるようであった。
集落を散歩していると橋があったので、少し渡って川を眺めることにした。
橋を渡る途中、
涼香はふと川底に沈む赤茶色の塊に気づいた。
「……あれ、レンガですね。昔の橋の跡だ」
俊は嬉しそうに頷いた。
「旧十二所橋です。
昭和の河川改修で橋が付け替えられて……
橋台だけが残ったんですよ」
俊は川面を覗き込んだ。
苔むしたレンガ造の橋台が、水面の底で静かに眠っている。
「昔は、あの橋が集落と川向こうの農地、
それに成章中学校を結ぶ旧道の結節点だったんです。
子どもたちが毎日渡っていた橋なんですよ」
俊はしばらくその廃橋台を見つめた。
人が渡るために作られ、
新しい橋ができて忘れ去られた橋の跡。
十二所の歴史の断片が、川底に静かに沈んでいた。
「ここは明治の戊辰戦争で、戦場になったところです」
「どことどこの戦いだったんですか?秋田県がずいぶん攻め込まれたんですね」
「いや、当時は鹿角市は南部藩の所領だったので、ほんの隣から攻められた感じですね」
「じゃあ、ここが藩の境だったんですね」
涼香が地図を思い出しながら、納得する。
そうすれば、鹿角市は新政府軍に協力した秋田側に割譲されたのだろうか?
「歴史的には佐竹藩自体が、関ヶ原で反徳川に組したと領地替えの憂き目にあっていますから、
長州や薩摩に意識としては近いものがあったんでしょうね。
平田篤胤や佐藤信淵の生誕地として勤皇思想を持つ藩士が多かったことも、
奥羽列藩同盟から抜ける理由となったのでしょうね」
「その割には、秋田県はその後、新政府に優遇されたような気がしない気がしますが」
「ええ、戦後に色々と悶着があったようですね」
それでも天然資源に恵まれていた秋田は、岩手や青森に比べてずっと裕福だったはずだ。
しかし、それに胡坐をかいていたのか──鉱山が立ち行かなくなり、油田が枯れ、
秋田杉の価値が下がると、たちまち人口減少と高齢化の最先端の地となってしまっていた。
「どうにか、ならないのでしょうか?」
涼香が第二の故郷と呼んでいる秋田県の将来を憂うと、
俊が何かを思いついたような明るい笑顔を見せた。
「それは龍角散の故事に倣うのが良いのかもしれませんね」
「えっ?ゴホンと言えば龍角散のですか?でもあれは東京の会社ですよね?」
俊は首を横に振り、少し得意げに続けた。
「もともとは“佐竹藩の藩薬”なんですよ。
秋田藩主・佐竹家に仕えていた御典医、藤井家が作った薬なんです」
涼香は驚いて目を丸くした。
「藩主のための薬だったんですか?」
「そう。江戸中期に藤井玄淵という藩医が創薬して、
息子の玄信が蘭学を学んで改良して、
さらに幕末には三代目の藤井正亭治が藩主・佐竹義堯の喘息を治すために処方を完成させた。
これが“龍角散”の原型なんです」
涼香は感心したように頷いた。
「佐竹義堯公って、久保田藩の最後の藩主ですよね?」
「そう。その義堯公の持病の喘息を治すために、
正亭治は長崎で蘭学を学んで帰ってきて藩薬を改良した。
藩主のために“のどの薬”を作ったのが、今の龍角散につながってるんです」
涼香は楽しそうに笑った。
「じゃあ、龍角散って“殿様の薬”だったんですね」
俊も笑いながら頷いた。
「そういうことになりますね。
廃藩置県のあと、藩薬は藤井家に下賜されて、
正亭治は佐竹家と一緒に江戸へ移って神田で薬種店を開いた。
そこで“龍角散”として一般販売が始まったんです」
涼香はしみじみと呟いた。
「秋田の歴史って、そういうところにも息づいてるんですね……
それで、それに倣うとは?俊さんは、どんなアイディアをお持ちなんですか?」
「この大自然の中で、免疫に効く薬草や食品を育てて、加工商品化まで行う企業を育てるとか?」
俊の言葉に、涼香は目を輝かせた。
「免疫に効く薬草や食品……秋田の自然なら、確かに可能性がありますね」
「ええ。龍角散が“藩薬から世界へ”広がったように、
秋田の土地で育つ薬草や発酵食品を、
現代の免疫学と生活医学で再構築するんです」
俊は、十二所の山々を見渡しながら続けた。
「柳先生の“Thoshi Method”とも相性がいい。
腸内フローラ、発酵、生活医学……
全部、秋田の自然と文化に根ざしている」
涼香は、川のせせらぎを聞きながら静かに頷いた。
「秋田の未来を、自然と医療で支える……
それって、すごく素敵な話ですね」
俊は少し照れたように笑った。
「龍角散が佐竹藩の藩薬から始まったように、
“秋田発の免疫ブランド”を作ることだって、
きっとできると思うんです」
そのとき、涼香のスマホが震えた。
柳貞明からのメッセージだった。
『十二所は、土地そのものが“治癒の場”です。
赤ひげ先生の精神は、今もこの土地に残っています。
お二人なら、きっと新しい道を見つけられるでしょう』
涼香は俊に画面を見せ、微笑んだ。
「柳先生も、背中を押してくれてますね」
俊は川底の廃橋台をもう一度見つめた。
忘れられた橋の跡。
しかし、確かに人を支えた歴史がそこにある。
「秋田も同じですよ。
一度忘れられたように見えても、
まだ“渡れる未来”は残っているはずです」
涼香はその言葉に、静かに頷いた。
「……秋田の未来、私も一緒に考えたいです」
二人は橋を再び渡り、
十二所の静かな集落へと歩き出した。
十二所の廃橋台は、ただの遺構ではなく、
人々が渡り、生活し、歴史を刻んできた“痕跡”です。
佐竹藩の藩薬から始まった龍角散が、
時代を越えて世界へ広がったように、
秋田の自然と文化には、まだ眠っている可能性があります。
涼香と俊が語った“秋田発の免疫ブランド”という未来は、
その可能性の一つにすぎません。
秋田の歴史は、過去だけでなく、
未来へ続く物語でもあるのです。




