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50.

 冷めた冷たい教室。

 白い壁には青い影ができていた。その輪郭線をなぞるみたいに黄色い線が引かれてる。

 胸はいつもより数回多く拍動していた。

 「ミクちゃん、話ってどうしたの?」

 香織は、私の斜め前で知らない生徒の椅子に座った。私は窓際に背を預ける。

 すっとこの教室に広がる冷たい空気を吸った。何度も声を出して香織に伝えるシチュエーションを再生する。今、声を出せばすぐに終わる。そう思って胸を撫でた。

 香織は体育終わりなせいか少しだけ汗ばんだ体操服にカールの緩んだ柔らかい髪が乗っかっていた。

 「香織」

 香織は首を傾げた。

 「あの、亜美たちの書き込み、あったでしょ。」

 深くもう一度息を吸った。香織は少しだけ表情を強張らせた。

 「私のために、ありがとう。だけど、今はあんまり、嬉しくないかも。」

 香織のアーモンド色の瞳が大きく揺れた。声には出ないけれど困惑した声が今にも聞こえそうだ。私は誤解させたくなくて素早く吟味した言葉を引っ張った。

 「香織は嫌いになってない。ただ、やり方が少し嫌なだけ。」

 香織はそっと俯いた。細い健康的な足を絡めてる。

 私の気持ちが言葉でちゃんと香織に伝わっているのか不安になる。

 私は香織の前によった。

 「亜美たちのことがなかったら、香織にも会えてないと思うし。」

 「でも!光虹ちゃんは何も悪いことなんてしてないのに、おかしいよ。」

 香織は床に吐き出すかのように声を出した。ふるりと背中が揺れた。いつもより細い背。

 私はそれを支えるようにそっとしゃがみ込んだ。膝の関節がカッと鳴る。

 「亜美の個人情報がネットにあったけど、そこにお父さんがブラック企業に努めて自殺しちゃったって書いてあった。」

 私は香織に向けて言葉を紡いだ。

 香織は黙ったまま何も喋らない。薄く日の差した西日が香織の色素の薄い髪をさらに明るく見せた。

 私は震える心臓を叩いて奮い立たせた。

 「私の親、誘拐犯なんだ。小3で死んじゃったけど、今親代わりしてくれてる人が本当のお母さん。」

 「え…」と困惑したように香織が顔を上げた。その私を見る別人みたいな目が産毛を逆撫でた。でも今度は目をそらさない。私は手のひらをぐっと握った。

 「関係ないって思うかもしれないけど、私は亜美たちをこうやって罰を与えることはできない。」

 たらり、と香織は手を投げた。私はその手を握ってみた。鼻がほんのりと赤くなった香織はもう一度俯いてしまった。前髪が流れるみたいに垂れる。

 「でも、香織の気持ちはうれしかった、これはほんとに思ってる。」

 窓の閉まった戸から何も入ってこなくて、籠もった空気は少しだけ水を含んだ。

 言いたいことは、全部伝えられたと思う。私は香織の言葉を待った。

 急に、香織は私が握った手を反対に握り返した。少しだけ力の強いその手のひらに驚く。

 「光虹ちゃんは、私のこときれいに見すぎだよ。」

 「どういうこと?」

 私は香織の髪をかき上げようとした。だけど、香織が立ち上がってしまう方が早くて、今度は私が見上げられる番になった。

 「ネットに書き込んだのが、光虹ちゃんのためじゃなかったら、」

 顔を覆う髪のせいで、香織の顔は真っ暗でよく見えなかった。背中がなぜか不快な感触に撫でられた。

 香織は一歩私に近づいた。その動きに合わせて髪を揺れる。香織の顔は見えなかった。

 「光虹ちゃんのお母さんとお父さん、轢いたの私のお父さんなんだ。」

 冷たい声が、皆が帰った教室に響いた。


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