2話 異世界
再びベッドに連れていかれて、そこに座らされる。
俯いて何も言えない俺を、彼女は心配そうにのぞき込んだ。
「あの、大丈夫ですか……?」
深い青色の目が憂わしげに揺れる。
カラコンでも入れてるんだろうか? この髪にこの目の色は、ノリに乗りまくっている若者のそれである。大人しそうな雰囲気を感じるが、恰好はそれと真逆。
よく見ればギャップが結構あるな、とか考えて現実から目を逸らす。
……ここはどこなのか。
俺は本当に生きてるのか? 生きてたとして、なんでこんなところに?
疑問は尽きないばかりだが、一度聞いてみなければ解決もしない。覚悟を決めろ、俺。
ぱちんと頬を叩いて彼女と目を合わせる。
「あの、実はですね」
「は、はい」
こちらの空気感が何やら伝わったのか、彼女も改まったような表情で頷く。
「自分、自転車と事故りまして」
「ジテンシャと事故、ですか?」
いい慣れてなさそうな言葉のイントネーションに、俺の中に膨らむ疑問がさらに大きくなっていく。
「その、ジテンシャというのは?」
普通知ってるだろ、とか言わないで説明をする。いやほら、もしかしたら今まで外に出られないように育てられた、某塔の上の人みたいなもんかもしれないし。
「足で漕いで使う乗り物、です。結構早いです」
「なるほど……? それにぶつかってしまって、気を失っていたんですね?」
なるほどとは言ったものの、いまいちピンと来ていないご様子。俺の自転車の説明が超絶へたくそでなにも伝わらなかった可能性を除けば、一応はなんとなーく伝わったはずだ。
「まあ、そうなります」
事故ったのは森の入り口なんかじゃないけどな。
「でも、それなら怪我とかしていないですか?」
そう。そこなんだよな。
俺の体には怪我の痕跡どころか、痛かったという記憶すらない。まったくの無傷、超健康体である。
「なんか、よくわかんないんですけど。見ての通り無傷でして」
「咄嗟に≪シルト≫を使った、とかでもなくですか?」
聞きなれない言葉。
会話の中に、自然と混ざり込んだ異常に、なにかよく分からない感覚に陥る。
「え、っと。その、シルト、ってのは?」
「知らないですか? 基本的な防御魔法です。こんな感じの」
俺が聞けば、彼女は壁に手を向ける。
魔法っていったい何を言ってるんだとか、何をしようとしているのかとか、そういうのを聞く暇もなく彼女は呟く。
「≪シルト≫」
ゴウ、と風が吹いた。
部屋の中にある空気が、彼女の手のひらに向けて集まっているのが分かる。それが渦巻いて、彼女の目の前に板のようなものを形作った。
頑丈さをアピールするかのように、彼女はコンコンとそれを叩いて見せる。
「でも、知らないみたいですし。なんででしょう……?」
人間、本当に驚いた時は声が出ないなんて言うが、あれは本当らしい。
マジで言ってんのか? マジックじゃないのか? どっかに種も仕掛けもあるようなやつじゃないのか……?
だが実際、空気が移動する感覚もあったし、それが集まって固まって、なによりあれ浮いてるんだよな……。
脳裏によぎる。
この状況にぴったり当てはまる、そういうものを俺は知っている。
一回死んだ。かもしれない。そんで気が付いたら全く知らない場所に居て、目の前の少女はさも普通かのように魔法を使っている。
いや、まさかな。そんなことはあり得ないと分かっているはずなのに、俺の口は勝手に動く。
「……あの。魔法って、一般的に普及してます?」
「え? はい、そうですよ。ほら、見たことないですか? 魔物を狩ってる冒険者さんたちが、魔法を使っているの」
額を抑える。
混乱しかけている脳を、深呼吸して一旦落ち着かせる。
…………これは。
なんというか、やばいことになったみたいだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
俺が一度死にかけたこと。いや、というか死んだ可能性すらあること。
目が覚めたら全く知らない場所に居たこと。
魔法なんて知らないし、使うことなんてしたこともないこと。冒険者とか魔物とかも全く分からないということ。
……もしかしたら。異世界転移というものかもしれないということを、彼女にすべて話した。
だってほら、俺が今のところ頼れる人と言ったらこの人しかいないじゃないか。女の子に泣きつく17歳高2というものは中々情けないものがあるが、それは許してほしいところではある。
ともかく。
そうやって、彼女からしたら現実味がないであろう話を、それでも真剣に聞いてくれた。
「もしかしたら、何かしらの魔法で、そういうことを起こせるかもしれないというのは聞いたことがあります」
俯いてしばらく思案した後、彼女は口を開いた。
「ほんとですか!?」
「はい。でも、魔法式は不完全で動作も安定しないし、そもそもそんなことをするメリットはないだろうって」
魔法式云々はよく分からないが、後ろの部分は何となく理解できた。確かに、言われてみればそうかもしれない。
物語なんかでは、魔王を討伐するために別世界から召喚したりだとか、神様がミスってだとか。そういうのをよく聞くが、俺に対しては当てはまらないような気がする。
王様に魔王討伐を頼まれたり、神様とあって異世界転移を告げられたこともない。いったい誰が何のためにこんなことをしたのかというのは、確かに謎なところだ。
それに。
「元の世界に戻ることとか、出来るんですかね」
「魔法を使った人を見つけなければ、なんとも……」
まあ、そうなるよな。
どうすればいいんだと、思わずため息をつく。この先どうやって生きてくかのビジョンが全く浮かばない。いっそのこと今神様出てきてくれないかな。そんで間違いましたとでも言ってくれれば、随分気が楽になるだろうし。
「お母さんが王宮で魔法を研究してるので、もしかしたら何か知っているかもしれません」
「え、マジですか」
「いえ、知っているかもってだけなんです。お母さんが帰ってきた時に進捗を聞くんですけど、そういう話は聞いたこともないので」
そう上手くはいかないか。
本当なら今すぐ元の世界に戻って、さっさと天井までガチャを引きたいのだが。それは当分先のことになりそうな、そんな予感がする。
「お母さんがこっちに戻るのは――多分、あと一カ月くらい先かな。その時に聞いてみますね」
ほらやっぱそうだった。
とはいえ、解決するかもしれないのなら、その希望にしがみつくのみだ。
「すみません、お願いします」
頭を下げれば、焦ったような声色で。
「いいんですよ、そんな! それに、大変なのはあなたじゃないですか。それくらいはお茶の子さいさいです」
え、お茶の子さいさいって単語異世界にもあるんだ。おもろいな。
なんて馬鹿なことを考えてみるが、結局のところ、なにも解決はしていないのだから笑えない。
例えばそう、俺はこれからどうやって生きていくのか、とか。
うわあ。爆死して金溶かしてるときみたいな気分だ。わはは。はは。はは……。
「……俺、どうすればいいと思います? とりあえず、何かしらお金を得ないといけないってのは分かるんですけど」
お金があれば宿くらいは取れるだろうし、ご飯も食べれる。
だが俺はこの世界で生きていくすべなんて知らないし、どうにかする力もないのだ。藁にも縋るというのはこのことなんだろうと、俺は彼女に聞いてみる。
「そ、そうですよね! どうしましょう、えっと、えっと……」
頭を抱える人が俺以外に一人増えただけだった。
この子は、どうやらとてつもなく優しいというか、お人よしというか。滅茶苦茶人格ができているらしく、俺みたいな見ず知らずの人間の今後について必死に考えてくれる。
そもそも、普通の人なら倒れてる人家に連れ帰ったりとかしないよな。すげえよマジで、異世界人あったかすぎる。
「…………簡単な手段で言えば、冒険者とかでしょうか」
二人揃ってどうしようどうしようと頭を抱えている中、彼女がそんなことを言ってくる。
「それって簡単なんですかね」
「魔法を使えさえすれば、割と簡単だと思います。けど……」
「俺使えないからなあ……」
さいころを振ったら振り出しに戻されました。そんな感覚。
「魔法って才能が重要なんです。使えない人は使えないままですし、使える人でも力量の差がかなりあります」
そう言って、彼女はいきなり俺の手を取ってくる。
突如訪れたやわっこい感覚に、俺の脳が完全にショートする。
「え」
「魔法が使えるか調べる魔法があるんです。ちょっとやってみますから、そのままじっとしていてください」
俺の手を握ったまま彼女は目をつむって、何やら集中している様子。対して俺は背筋をぴんと伸ばし、唯々感情を殺していた。
陰キャでてんぞ俺。多分今超絶キショイ顔してると思う。やばい、動揺して手汗が出そう。うわああやばいやばああああ以下略。
そんな風にクソ気持ち悪くきょどっていた俺の、彼女に握られている方の手に、なにか魔法陣のようなものが浮かび上がってくる。
びっしりと恐らく異世界の言語であろう文字が書いてある。それが幾重にも重なって魔法陣を形作っていた。中心は空白でぽっかりと穴が開いているようだったが、やがてそこに文字が浮かび上がってくる。
ゆっくりと瞼を開けた彼女が、魔法陣へと目をやる。
「こ、これは……」
やけに驚いていそうなその表情に、思わず憂慮の念が心の内で渦巻く。
「えっと、どうですか……?」
聞くのが怖いが、聞かなきゃいけないのだ。これがダメなら俺が生きていく手段が一つ潰えてしまうが、もし俺が魔法を使うことができれば、それだけで働き口が見つかるかもしれないのだ。
俺と目を合わせて、彼女はゆっくりと口を開く。
「かなり……」
「かなり……?」
ドキドキと心臓の音が鳴る。
働くためってのもそうだが、せっかく魔法というものが存在する世界に来たのだから、一回くらいは使ってみたいじゃないか。
少年のような夢と希望、現実的なお願いなど全てが詰まった祈りを込めて、俺はただ彼女を見つめる。
青く輝く瞳が揺れた。
「かなり才能があります!」
「おお! ほんとですか!?」
まさかの展開。
俺には魔法の才能があるらしい。
「はい! 魔力量が多いですから! ただ、適正属性が雷一つしかないのが、少々ネックでしょうか」
魔力量ってのは何となく理解できるが、もう一つは知らない単語だ。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。素直に教えてくださいと頼むが吉だと、古来からの教えがある。
要するに、素直に聞きます。
「その、適正属性っていうのはなんなんでしょうか」
「えっと、魔法にはいくつか属性がありまして――――」
言って、彼女の説明が始まる。
曰く、魔法には火、水、風、土、雷、闇の六種類があるらしい。そしてその属性に適性が無ければ、その人はその属性の魔法を使うことができないのだという。
要するに、俺は雷以外の魔法は使えないってことだ。
「でも、適性があるからと言って、その属性の魔法をなんでもかんでもすぐに使えるわけではありません」
「へえ、なんでなんですか?」
「魔法って言うのは、それぞれ消費する魔力が変わってくるからです」
ほう、なるほど。分かったような分からないような。
「魔法は魔力を消費して使うものですから、魔力量が少ない人だと魔力がすぐに枯渇してしまって、何回も同じ魔法を使うことができないんです」
ですので、と彼女は続ける。
「魔力消費が多い魔法を使うとすぐに魔力が枯渇してしまったり、自身の魔力量を超えてしまうような魔力消費の魔法を使ってしまうと、最悪死んでしまいます」
「え、死ぬんですか!?」
「はい、ですから気を付けてくださいね? 調子に乗ってバンバン魔法を使っていると、気が付いたら天国にいた、なんてことになっちゃいますから」
そりゃ嫌だな。二回も死の経験はしたくないものだ。
「まあ、魔力を四分の三ほど使うと、体が危険信号を出しますから。使いすぎるなんてことは滅多にないんですけどね」
「なるほど? それって、具体的にどんなことが起こるんですか?」
「単純に、四分の一に近づいていくほど体がどんどんだるくなっていって、最終的に体が動かなくなります」
分かりやすくやばそうだと分かるシステムで安心した。
調子に乗った挙句死んでいく冒険者とかクソダサいから嫌だわ。せめて死ぬなら強敵と戦ってとか、そういうのがいい。いやそもそも死にたくないわ何考えてんだ俺は。
ともあれ。
ともあれである。
なんとか、なんとかなりそうな感じはするから、ひとまずは安心だろうか。




