1話 プロローグ
「ふう……」
スマホを前にして、深くため息をつく。
画面いっぱいに笑顔を輝かせているのは、つい一時間前に実装された新キャラ。検証班が言うには、今までのキャラとは比べ物にならないほどの高い火力を持っているらしい。
それよりも輝いているのは、砕け散った石のかけら達。俺の中の検証班が言うには、今までの爆死とは比べ物にならないほど苦しいらしい。
「ぐうっ」
すまん、膝に受けた矢が。財布から散った金が。ピックアップをすり抜けまくった結果手に入ったアイテムたちが痛むんだ。
誰か助けてくれ……。
とりあえずツイート。いいねが二つと、草とかいうリプがついたのでスマホを地面に叩きつける。
柔らかい音と共に、毛布の中に沈んでいくスマホをぼうっと眺めて、また深いため息をつく。
「どうすっかなあ」
誰に言うでもなく一人ごちる。
今のところの課金額は三万。学生にとっては大金だ。バイトをして、このソシャゲのために貯めたお金だから、溶かすこと自体に文句は無い――いや文句はある。あるが、やましいことはないのだけれども。
やはりこれ以上お金を使うのはちょっと。
一応、金はある。五万。そこから一万出せば天井はできる。コンビニも近いので、カードを買おうと思えばすぐに買いに行ける。
……………………。
………………………………。
行くかあ。
思い立ったが吉日なんていう言葉があるが、その考えはヤバイと思う。何事も一日ほど待って考えるべきだ。じゃないと俺みたいになる。
適当にラフな格好に着替えて家を出る。足取り重く、ポケットに突っ込んだ一万を握りしめてコンビニへと向かって歩いた。
あのゲーム、システム自体は面白いんだけど課金がなあ……。俺も一学生としてお金の使い方には思うところもあるわけで、このゲームのインフレも激しくなってきたころだしそろそろ辞め時かもしれない。
なんてことを考えながら、ふと空を見上げる。やけに綺麗で澄んでいる青々とした空が鬱陶しくてすぐに視線を戻す。
「えっ」
そして、目の前に迫る自転車に気が付く。
運転手は自転車に取り付けられているスマホに夢中で、どうやら俺のことなんて見えていないらしい。歩きスマホは知っていたがまさか自転車乗りながらのスマホとは。流石に思わなかった。
目の前に死が迫る瞬間は時間がゆっくりに感じるという。
ならそれは今なのだろう。思い切り自転車に衝突して吹き飛ばされ、驚いたような顔で俺を見る彼がさっきまで触っていたスマホに写っていたのが、俺が課金しようとしていたそれだったというのが分かってしまうのだから。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
あれはクソゲーだった。
あれが無ければ俺が金を溶かすことは無かったし、それが原因で自転車に轢かれるなんてこともなかったのだから。
「ぐ、あ」
呻いて、頭を抑える。
視界が揺れて何が起こっているのかが分からない。
絵具を適当にぶっかけたみたいにぐちゃぐちゃになった視界に、吐き気を催すほどの不快な感覚。意識はあるから死んではいないんだろうけど、死にそうなくらいキツイ。
しばらく地面に這いつくばっていると、少しづつ感覚が落ち着いてくる。ふらふらとしながら何とか座ってみると、なにやら柔らかいものが触れた。
感覚的にベッドだろうか。ってことはここは病院か? 結構な大事故だったし、そういう状況でも頷ける。
「ふう……」
目をつむって、息を整えて、落ち着いてもう一度目を開ける。
目に入ったのは、知らない部屋だった。木の壁、木の部屋といった少々古めの作り。俺が座っているのはやはりベッドだったがそれも木造りで、よく見ればこの部屋に置いてあるものすべてが結構古ぼけた感じがする。
なんだかロッジの一室みたいだ。
どう見ても病院ではないが、これは……?
部屋をジロジロと観察していると、ガチャりと音が鳴る。その方向へと向けば、どうやら扉が開いた音だったようで、そこから人が入ってくる。
現れたのは女の人。銀色の長い髪を膝ほどまで伸ばしており、端正な顔立ちも相まって浮世離れした感覚を覚えてしまう。手に持っているのは木の桶で、ちゃぷちゃぷと音を立てているところから水が入っているようだ。
首にかかった、丸い金色のペンダントが揺れて、俺は彼女と目が合ってしまう。
「あ、起きたんですね!」
驚いたような、嬉しそうな。そんな顔で、彼女は俺の方に駆け寄ってくる。
「え、ええ……と?」
「あんなところで倒れていたから、心配してたんですよ?」
言いながら、彼女は俺の頭へと手を当ててくる。
柔らかくてひんやりとした感覚。呆気にとられて固まっている俺に、彼女は笑顔で話を続ける。
「熱は収まってますね。さっきまで熱もあってうなされてたんですけど、これなら大丈夫そうです」
「は、はあ」
今まで17年間生きてきたけど、その中で一番適当で間の抜けた返事だったと思う。我ながら。
なんだこれ、どんな状況だ? ここはどこで、彼女は誰で、俺はどうなったのかが全く分からない。
「あの、すみません。あなたは……?」
「あ、そうですよね」
可愛らしく手を合わせてから、「えーっと」と話し始めてくれる。
「私はこの辺りで暮らしてるんですけど、森の入り口のところであなたが倒れていて」
ん~~~~~~~~~~~?
さすがにちょっと待ってくれ。
「え、森? 今森って言いました?」
「はい、そうですけど……?」
不思議そうな顔できょとんとしている彼女が嘘を言っているようには見えない。
俺が歩いてたのって普通に道路だったよな? あれ?
答えを聞いたら謎が一つ増えた。クイズ番組だったら炎上案件だぞコレ。
「えと、続けますね? それで、すごくうなされてたので心配になっちゃって、私の家まで連れてきちゃったんです」
「な、なるほど。そういうことですか……?」
語尾が勝手に疑問形になる。
いや……いや。いや? うん。普通か? いや普通か。救急車呼ぶという選択肢以外を選ぶのであればこうなるか。
だがそこが解決したところで結局のところ謎は残っているわけで。
まさか轢かれて吹き飛ばされ、そのままの勢いでどこかの森までたどり着いたとかそんなことがあろうはずもない。そんなことがあったとしても、俺の体はぐっちゃぐちゃになってるだろうしなあ……。
よく分からないが、ともかくとして生きているのだけは確かなのだから、そこは喜ぶべきなのだろうか。よくよく考えれば体に痛みもないし、怪我をしているような痕跡も特にない。
かなり幸運だったってことだ。よかったあ爆死してて。運貯めててよかったわほんと。
「ありがとうございます、わざわざ助けて下さって」
「いえいえ! 元気みたいで良かったです、死んじゃったらどうしようって思ってたので」
そんなこと言ったらダメか、なんて言ってクスクスと笑う。その光景があまりにも様になりすぎていて――有体に言うなら美人すぎて、思わず目を奪われてしまった。
頭をブンブンと振って、そんな考えを振り払う。落ち着け俺。陰キャがでるぞ。
「とりあえず、落ち着いたので帰ります。ありがとうございました」
立ち上がって、頭を下げる。
「大丈夫そうならよかったです。体調、ちょっとでも悪かったらもっとゆっくりしていっていいんですよ?」
心配そうに言ってくれるその人に、俺は首を横に振った。
「いえ、そんなにお世話になるわけにもいかないですし」
「そうですか?」
それなら、と彼女は部屋を出る。
「付いて来て下さい、出口まで案内しますので」
彼女に続いて、俺も部屋から出る。廊下を少し歩けば、外に続くであろう扉が目に入った。綺麗に並べてあった俺の靴に足を通して、トントンとつま先で地面をたたく。
「本当に大丈夫ですか? 迷惑とか、そんなの気にしなくてもいいんですよ?」
「俺も、思ったよりも軽傷というか、全然怪我してないっぽいので。早めに帰ろうと思います」
俺は一万で天井までガチャを引き切らなければいけないので。スマホとソシャゲが家で俺を待っているのだ。早く帰らねば。
「それじゃあ、ありがとうございました」
お辞儀をしつつ、扉を開ける。
目の前に広がる、広大な森が目に入った。
「…………んん?」
さっきも思ったけど、俺の家の周りに森とかあったっけ? ていうか、俺が事故ったところから森の中に運ぶってその労力超無駄じゃないか? 自転車と事故ってるんだから救急車呼んだ方がよくない?
「どうしました? やっぱり気分が……?」
「い、いや、なんでもないです」
一歩、家の外へと足を踏み出す。
あまりに澄んだ空気。明らかに都会のそれではなく、全身に強烈な違和感を覚える。
振り返ると、彼女は相変わらず心配そうに俺を見つめていた。
「……すみません、ここってどこです……?」
「クレセントの森です。街のすぐそばの」
聞いたことない名称。俺が住んでいる場所はおもっきし都会で、周りに森なんて存在しない。
「えっと、住所は」
「ジュウショ……?」
まるで、そんな単語は生きていて一回も聞いたことのない響きだった、みたいな反応。
首をかしげる彼女に、俺は乾いた口をなんとか開く。
「……東京って、ここからどれくらいで行けますか?」
彼女は、ただ、本当に知らないのだろうと分かってしまうほど純粋な答えを。
「すみません、トウキョウってどこでしょう……?」
困ったようにそうやって言うのだ。
何が起きてる?
よく考えろ。
なんで俺はこんなところに居る?
なんで彼女は、日本に生きていれば知っているはずの単語すら知らない?
なんで俺は。
あの状況から。
あの高さから。
あの衝撃から。
受け身を取れるはずもない、怪我をしていないはずもない。
あきらかに死んでいて、そうでなくても大怪我をしていて当然のはずの状況で。
俺は。
なんで。
視界がふらつく。理解が追い付かなくなる。目の前に広がるのが現実なのか分からなくなる。
「…………あの」
「は、はい?」
「申し訳ないんですけど、もうちょっとお世話になっていいでしょうか」
やっぱり体調よくないじゃないですか! なんて言いながら、彼女は再び俺を家へと迎え入れてくれた。




