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私がパソコンを触るようになったのは中学校一年生の時だった。
小学校六年生の時にハマった音楽。
そのアーティストのホームページなどを見るため、コンピュータの授業の記憶を元に父親のパソコンに触れたのがきっかけだった。
バンドのホームページを開き、閲覧する日々。
毎回同じものを見るだけだったが、それだけで満足していたし楽しかった。今まで知らなかった情報を手に入れることができる、インターネットという世界に一気に惹き込まれていった。
「陸野さん、インターネットできるの? だったらみんなと一緒に話さない?」
ある日、パソコンの事をクラスメイトと話していたら、今まで碌に口を利いたこともないグループの女の子が横から会話に入ってきた。
彼女の名前は高橋志保。中学生なのに薄く化粧をしていて、目も二重で大きく素振りも可愛い。みんなから人気があって、グループの子たちも同じような子ばかりだった。
今時のキラキラした子と言うイメージで、自分とは全く違う世界の人間と認識していたため、殆ど話したことはなかった。
そんな彼女からの何気ない一言。
一瞬、理解できなかった。一緒に話す? 誰と? どこで?
私の頭の上のはてなマークが手に取るように分かったのだろう。その子はクスクスと笑いながら話を続けた。
「チャットっていうのがあってね。一つの部屋にみんなで集まって文字で会話するんだよ。殆どが知らない人だから、いろんな話が聞けて楽しいの」
やってみないかと柔かに微笑む彼女の言葉に、興味を持ち承諾をするまでにそんなに時間はかからなかった。
“知らない人”と言う言葉に強く惹かれた。自分を知らない人たちとの会話はどんなものなのだろう。
帰宅してやることを全部済ませた後、彼女に紹介されたページを開いてみる。
そのホームページにはいくつかの部屋があった。
彼女に言われた通り“部屋2”と書かれた所をクリックする。
既に何名かが集まっているようで会話が始まっていた。その中に彼女のハンドルネームを見つけた。この部屋を選んだのは、慣れるまでは同じ部屋で話して雰囲気を掴んだ方が良いと言う志保からの提案だった。
「みんな早い…」
あっという間に流れて行ってしまう会話文に、圧倒されてしまう。これに着いて行けるようになるにはかなり時間を要するだろう。
その日はみんなの会話を目で追うのだけで精一杯で、始めの挨拶しか入力することが出来なかった。
明くる日、登校すると早速志保が話しかけてきた。
どうだったか楽しかったかと聞かれ、追いつくので精一杯だと正直に伝えた。
すると彼女は少しの間携帯を操作した後、初心者向けの部屋を紹介してくれた。その部屋だったら比較的ゆっくりと会話ができるらしい。
折角の志保からの申し出だったので無下にしては悪いと、礼を言ってその日の夜にその部屋に入った。
部屋には一人しかいなかった。
“ウチュウ”というハンドルネームの人。
男の人だろうか? 一応入室してしまったので、挨拶だけでもと思いキーボードを叩く。
【はじめまして】
【はじめまして、ハル】
【よろしくお願いします】
【よろしくお願いします。てか、よろしくお願いしますとか、はじめましてとか言われたのが初めてw】
【そうなんですか】
【みんな、こんにちはーとか言っていきなり話し始めるから。慣れてないよね。初心者?】
【昨日始めたばかりです】
【どうりで】
【昨日は文を追うだけで精一杯でした】
【w 初めはそうだよね。そのうち慣れてくるよ】
【本当ですか?】
【うん。よかったらその相手になろうか?】
【相手?】
【そう、会話の相手。見るのも文章を打つものゆっくり慣れていけばいいよ】
何もかもが初めてで、全く慣れていないパソコン操作。
私が一文を送るまでにかなりの時間を要していた。それに対してこのウチュウという人はすぐに返してくる。チャットに慣れているのだろう。
初めて会話をする知らない人。
とても親切だけど、顔が分からないし相手の真意まで伺えない。信じてもよいものか。
頼りにしていた志保は会話に熱中になってしまうと、こちらのフォローまでは流石に気が回らないようだ。
会話のあまりの速さに着いて行けず、私自身あのままあの部屋に居たらもういいやと投げ出してしまうところだった。
ではこの人はどうだろう。
ウチュウは話しやすい雰囲気を作ってくれている。短い会話の中でもそれを感じることが出来る。少し軽い印象もあるが、ネットの中では親しみやすいと言った方が良いのかもしれない。
ちょっとだったら信じてみてもいいのではないかと思った。もし怪しいと思えば、この部屋に来なければいいだけだし、チャットだっていつでもやめられる。
そう思い至り、ウチュウの提案を聞き入れた。
その日は、慣れないパソコン操作で疲れてしまったのと母親との約束でパソコンは一日三十分と決められていたので、明日の二十一時にまた集まるという約束をして眠りに着いた。
翌日も志保に話しかけられたがウチュウのことは話題に出さずに、チャットに慣れるように頑張るとだけ伝えた。
いつでも話せると思っていた。しかし今にして思えば、言いたくなかったのだと思う。
志保に知られなくない、隠したい、そのことが後々最悪の結果を招くとはこのときの私は知る由もなかった。
二十一時を十分過ぎてから、あの部屋に入室した。
ウチュウは待っていてくれた。
【こんにちは】
【こんにちは。待ってたよ。来なかったらどうしようかと思ってたw】
私も同じことを考えていた。ただの気まぐれで約束をしただけなのではないのかと。だから少し遅れて入室したのだ。
ウチュウが居てくれて、どれほど安心したか。相手も同じ気持ちだったと知り更に嬉しさがこみ上げる。
ウチュウとはいろんな話をした。
性別は男で、同じ中学一年生だそうだ。しかも同じ県内に住んでいた。学校は聞こうと思えば聞けたのだが、そのことについては知らないでおこうということになった。知り過ぎないから良いのだとお互いに同意した。
【ハルはどんな子なの?】
【どんな子って、広過ぎない?】
【確かにw じゃぁ、髪形は?】
んーと考える。今の私の髪形はショートカットだった。剣道部に入り、面を着脱するときに邪魔になるからだ。
ここで正直に言うことには何の抵抗もない。でもここはネットの世界。何が本当なのか不確かな世界だ。
【黒髪ロングのストレートだよ】
何の躊躇いもなく出てきた嘘。
このときの私は気持ちが高揚していたのかもしれない。
【じゃぁ、身長は?】
【156cm】
これも嘘。本当は148cm。でも何の罪悪感もない。
【目は大きい?】
この質問にだけは、心がズキリと痛んだ。しかしここまで来たんだからと嘘を並べる。
【大きいって言われるかな? 二重だよ】
私の眼は大きいのは大きいのだが、一重で吊り上っている。切れ長の目で、よく睨まれているようだと言われた。
小さい身長よりもこの目が自分の最大のコンプレックスだった。
その目を隠すためにいつもは眼鏡をかけていた。濃い緑のフレームの眼鏡は、少し暗い印象を持たせようで周りからは物静かな大人しい子と思われているようだった。
そんな自分が嫌いだった。
でもここでは嘘をつくことができる。明るい性格で大きい二重瞼と長い髪が印象的な標準的な身長の私。無い物ねだりだった。でもこれはネットの世界だからと、私は嘘と付き通した。
嘘は少しずつ少しずつ降り積もっていく。それが私自身を苦しめる。
それで良い。今だけ、ここの中だけ、この時だけが楽しければそれで良いと思っていた。
毎日、他愛もない会話をした。
お互いの趣味の話やその日の出来事などをよく話した。
ウチュウは行動派だった。
外に出掛けることを好み、何よりも身体を動かすのが好きでスポーツ全般が得意だと言っていた。部活は空手部だそうだ。
運動神経というものを持ち合わせて生まれて来なかった私とは正反対だと言った。でも剣道の神経だけは図太いようで、しっかりと繋がってると言ったら彼は笑っていた。
音楽の趣味は同じだった。ロック好きで、同じバンドが好きだった。その他にも流行りの曲も聴くようでオススメの曲があれば教えてと情報を交換しあった。
三十分という時間はあっという間で、毎日の日課で楽しみとなり、夢中になっていった。
チャットだけで会話をするウチュウとの関係は一年以上続いた。
・・・
【ハルに逢いたい】
十二月。クリスマスが近づいたある日。
彼がいきなり切り出した。
私も逢いたいという気持ちはあった。
一年以上続けてきた毎日三十分という短い会話は、お互いを惹きつけるには十分な時間だった。
【逢わないほうがいい】
【なんで?】
【だって私可愛くないもん】
【ハルはハルだよ】
【本当にやめたほうがいい】
【逢って話したいことがあるんだ】
【ここじゃ駄目?】
【ダメ。どうしても逢って話したい。限界なんだよ。イブの日は何か用事ある?】
【ない】
【じゃ、イブの日に×××駅の東口に17時に待ち合わせよう】
【行かないかもしれないよ?】
【待ってるよ。いつまでも待ってる】
【行けない…】
【来て。そうだな、黒のコートに白と黒のボーダーのマフラーをしていくよ。それを目印にして。ハルが来るまでずっと待ってるから】
その日はその会話だけで終えた。たぶん、五分ぐらいしか話していない。
今日は十二月二十日。約束の日まであと四日。
次の日から私はあの部屋に行かなかった。




