13
「一目惚れってあると思う?」
目の前に広がるのはクリーム色の壁紙と円盤型の灯り。
「切り込み方が唐突すぎー」
あっあれはこの前ポテトに付いたケチャップが飛んだときのだ、と変なシミが付いてしまった天井をベッドに仰向けになった状態で見つめながら呟いたら、下に寝ていた佳織がガバッと起き上がって顔を覗かせ呆れたように言った。
その距離、僅か三センチ。キスしそうない勢いだった。
そんな趣味はないよ?
もう寝ますかという雰囲気が漂っていたときに言った私が悪い。
佳織はずっと待っていてくれたのに。
勿体ぶり過ぎました。すみません。
だって頭の中で整理出来なかったんだもん。
自分でも不確かなこの気持ち。
さぁ、この気持ちをどう表そうか。
帰宅した後、佳織は家に連絡したようだ。
私の部屋で、言葉少なく通話する姿を横目で確認しながら会話も極力聞かないようにして部屋着に着替えた。
電話は一分で終了した。
「頼子さん、どうだって?」
「泊まっていいってー。ハルの部屋着貸してねー」
こちらを見ることなく、無表情で紡がれる淡々とした言葉には少し棘がある。
これでも前よりは柔らかくなった方だろうか。
佳織もそれを隠そうともしていないが、話題として触れようとは思わない。
佳織には両親が居ない。二人とも死んだわけではなく、蒸発したのだと言っていた。
今は父親の妹、叔母の頼子さんたちと一緒に暮らしている。
頼子さん夫婦には子どもは居らず、長いこと二人で暮らしてきたが佳織が中学三年生のときに児童養護施設にいた佳織を引き取った。
一緒に暮らすようになって三年、家族になった月日も同じである三人は傍からみても少し余所余所しいように感じることがあるが、頼子さんたちが佳織を大事にしていることはすごくわかる。
佳織自身もそれが分かっているんだと思う。でも、どう接したらよいか分からないんだろう。
「ちょっと、あんたたち本当に何も食べなくていいの?」
「わっ⁈ だから、お母さん…背後からいきなり話しかけないでって言ってるでしょ? ラーメン食べてきたから大丈夫」
「あらそ。丁度お父さんも帰ってきたから、少し食べないかなと思ったんだけど。ポテサラ」
「ポテサラ!? ポテサラ食べたいデス。でもお腹の隙間が全くないデス。てことで、明日のお弁当にお願いします」
「はいはーい」
「あっ、お父さん居たんだ。おかえり」
「悠の中では父さんはポテサラのついでかー…悲しいなぁ。佳織ちゃんこんばんは。ゆっくりして行って」
「おじゃましてまーす。お世話になりまーす」
少し両親と話して二人が部屋から出て行くのを見送った。その様子を大人しく佳織は見ていた。
「ハルの家はいいな…」
小さく呟いた佳織の言葉は聴こえない振りをした。
真新しい部屋着を渡して着替えた後、向かい合って仲良く床に座る。
今日は数学の授業で課題が出されていた。
カリカリとノートにペンを走らせる音が響くのは私のものばかり。
佳織を盗み見みると、マニキュアが塗られた爪を見つめているだけだった。
私が怪訝そうに見ているのに気がついた佳織はニコっと効果音が聞こえるような笑みをみせる。
そんなに可愛く笑っても、見せないからね?
佳織は私と同じくらいの順位だ。しかし生活態度は悪い。提出物も出さないし、課題もやらない。でもテストだけは良い。
今までテスト勉強をしているところを見たことがないので問い詰めると、山を張るのが上手いだけと言っていた。
それってホント? いやいや、嘘だー。
地道に努力している私としてはその山勘教えてほしいもんですよ。
小一時間ほど勉強してから、佳織には先にお風呂に入ってもらった。
本日は陸野家のルールはなし。佳織の後に私が入り、その後はガールズトークが始まるらしい。
ガールズトークと言う名の尋問だよーと、佳織は楽しそうに言った。
今、確実に物騒な言葉を吐きましたよね、あなた?
佳織は自分から問い詰めることはしない。だから自供するのを待つそうだ。
自供って…この前の林さんとの会話を思い出し悪寒がする。
根掘り葉掘り聞かれるのではないかという恐怖と、自分からどう切り出せばいいか分からず時間だけが経過していき、もう寝ようという雰囲気になってしまった。
私が悪い。完璧に私が悪いです。ゴメンなさい。
怖かった。
今までこういうことを人に話したことはなかったから。
ヤエのことは林さんに話した。
たぶん、ヤエに惹かれたのは前と同じ理由。顔も見たことがない、文章だけの関係。
自分を知らない、顔も姿も性格さえも偽れる世界で、自分に都合の良い姿を見せる。
そこで繋がる絆。そういうのに憧れていた。
自分の姿を見て、幻滅されることが嫌だったから。
しかし彼のことは誰も話していない。
多分、これは一目惚れというやつだと思う。
初めて出逢った彼に惹かれた。
何処に? 顔? 性格? 雰囲気? 音楽が好きというところに?
自分でもよくわからなかった。
それでも彼が隣に居た数分が忘れられない。
誰かに言いたかった。話してモヤモヤした気持ちをすっきりさせたかった。
この気持ちが何なのか知りたかったんだ。
だから佳織を家に呼んだ。
佳織が家に泊まるのは初めてだ。こういう恋愛の話しをするのも初めてだった。
佳織はあのことを知っている。でもその話題に一度も触れてきたことはない。
佳織とはあのことがきっかけで出逢い、今も一緒にいる。でもこういう突っ込んだ話をしてもよい関係なのか測っていた。
でも、もう佳織のことは許している。
そういう話をしてもよいと思うくらいに。
佳織は待っていてくれた。
だったら思い切って話してしまおう。
私は口を開く。
さぁ、この気持ちを何て表そうか。