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五分も経たないうちに、ラーメンが二つ運ばれてきた。
ここの店はメラミンの皿の上に丼が乗せられている。中身がある状態だとかなりの重さで、初めは一つの丼を両手で持つのが精一杯だった。だんだんと慣れてきて、片手で一つずつ持てるようになったが十秒もしないうちに手がプルプルしてくる。
店長や林さんたちはそれを知っていて、私が提供する時は少しずつ時間をずらしラーメンを作ってくれるのだ。本当にここの人は私に優しい。
だが、店長となればこんなもの朝飯前だと言わんばかりにひょいと軽々と持ち、見事な手際で目の前にラーメンを提供する。
私にもう少し筋肉があればと、二の腕をフニフニと触っていたら「ハルは無理だよー」「陸野は落とすからやめておけ」と次々に言われた。
そんなに分かりやすく顔に書いてありましたか私?
しかも店長のお言葉は、昨日の私のミスをちょっと引きずってはいませんか?
唇を尖らせて少し怒ったそぶりをしたら、店長は少し笑って奥に下がっていった。それのやり取りを見て佳織が目を細める。
心配ないからヤキモチ焼かないで、佳織ちゃん。
口いっぱいに頬張った味噌ラーメンは本当に美味しかった。
身体も意外と冷えていたらしい。芯から温まる気がする。
「はるちゃん、かおちゃん、いらっしゃい!」
「理恵さん。おはようございます」
「理恵さん、こんにちわぁー」
休憩室に消えて行った店長と入れ替わりに、理恵さんが出てきた。
いつも元気いっぱいでこの店の看板娘。隠れファンが多いことも私は知っている。
みんなにそのことを伝えたら、「理恵を好きになるなんて趣味が悪いねー」と言った林さんの足を理恵さんが思いっきり踏みつけて床で悶える林さんと、林さんの意見に賛同して頷こうとしていた店長を更にキッと睨み付けその視線に店長が凍りつくということがあった。
みんなして眼が節穴。
そもそも林さんはそんな理恵さんに惹かれて付き合っているのだろうし、もし私が男なら迷わず選ぶなのにと言ったら理恵さんが思いっきり抱きついてきた。腕力があまりにも強く、そして大きな胸のせいで窒息しそうになったのは余談である。
「今日は五時からですか?」
「そうなのー店長が事務仕事があるみたいで、それまで店番」
「理恵さん、今日も可愛いですねぇ」
「あら、かおちゃんありがとう。後で煮玉子サービスするね」
うふふと、三人で笑いあう。
実はこの三人、仲良しである。佳織も理恵さんにはとても懐いていて、土日の私のバイトが終わった後に三人で買い物や映画に行ったことがあった。
私も佳織も一人っ子だから、姉妹だったらこんな感じだったのかなとよく話していた。面倒見のよいお姉ちゃんだ。
「本当にハルがいるー。珍しいねぇ」
「わぁぁっ!?」
かなり気の抜けた声が後ろから響いてきた。私の背後にいきなり現れる人物は二人しかいない。
「昌広、はるちゃんが驚くから後ろから話しかけるのやめなさいって」
「ハル、ごめんねー」
後ろを振り向くと特に悪びれるそぶりも見せず、頭をポンポンと撫でなる林さんがいた。
だから気配が、ねっ。
「こんにちは。佳織ちゃん」
「コンニチハ」
そして佳織は林さんが苦手だった。いつもの愛想笑いもせずにぶっきらぼうに答える。
何故林さんが苦手なのかと聴いたことがあった。佳織曰く“同じ臭いがするから”。
何のにおい? くさいの?
確かに二人ともいい匂いがする。考え込む私を見て佳織は苦笑したが、他には何も言わなかった。とにかく苦手、らしい。
「ハルたちもこれからご飯? 俺も混ぜてー。ってことで理恵、ビールと唐揚げね」
注文を聴いていたはずの理恵さんはその場を微動だにしない。腕を組んで、目を細めて林さんを見ていた。
「酒臭い店員なんて、どうかと思うけど」
「大丈夫、俺麺場担当だし」
「ラーメンを提供する時もあるでしょ」
「大丈夫、口開かないようにするし」
「もしかして、林さんこれから入るんですか?」
「ハルは気にしなくていいんだよー?」
「仕事前にお酒飲むなんてさいてーですねー」
「そうそうサイテー」
佳織の言葉に賛同して、理恵さんまで大きな声で最低とか言ってる。
他のお客さんに聴こえますって。
「まず、今はお酒やめましょう、林さん。バイトがない日にゆっくり飲めばいいんですよ」
「ハルの頼みだったら仕方ないな。じゃぁ、コーラで」
理恵さんはプンプンと言いながら戻っていった。プンプンって小学生じゃないんだから。
林さんはと言うと、ニコニコしながら頬杖をついて理恵さんを見ている。理恵さん完全に遊ばれてますよ? そして私の隣に腰かけてスマホをいじっていた。
私と佳織はラーメンを食す作業に集中している。麺がスープを吸って明らかに質量を増していた。またしても伸びたラーメンを食べることになるとは。
左隣の佳織は、店長が折角作ってくれたラーメンなのにとブツブツ言っている。
その様子に苦笑すると、右隣りからクスっと笑う気配がした。それを敏感に察知する、佳織。
今、嫌な汗が背中を伝っている。
やばい、悪寒までする。
見えない火花が目の前で散っている気がした。
「昌広が早めに来るなんて珍しいね」
理恵さんが林さんの前にコーラと唐揚げの乗った皿を運んできた。それが私たちの目の前にも。こっちは私からのサービスねと、唐揚げと煮玉子が目の前に置かれた。いただきまーすと遠慮なく飛びつく。
「さっき理恵がメールくれたんじゃん。ハルがいるよーって。何、てっきり早く来いってことかと思ったんだけど」
「バイト忘れてるんじゃないかと思って連絡しただけ」
「そこまでボケてないよ。人と待ち合わせてるの。あっハルには会いたかったよ?」
「待ち合わせ? バイト始まる前に?」
「もうすぐ来ると思うんだけどねー」
何だかんだと話しているうちに時間が経っていた。十八時まであと二十分しかない。
食事と着替えの時間を差し引くと林さんは少し急いだほうがいいかもしれない。
しかし、当の林さんは優雅に食事をしていた。大人の余裕とはこれをいうのか。
私と佳織のラーメンの量は残り半分。店にも少しずつ客が入り始めていたので、食べ終わったらすぐに店を出ることにした。
かき込むでとまではいかないが、ロスした時間を取り戻す勢いで箸を運ぶ。
最後の麺を口に運ぶと、隣にいた佳織も丁度食べ終わったようだ。
お腹も膨れて帰るには丁度良い時間だった。
「理恵さん、ご馳走様でした。お勘定お願いします」
「何か騒がしくてごめんね」
理恵さんが申し訳なさそうに近づいて来た。いつの間にか麺場には店長が戻ってきていて、理恵さんはホールでディナーの準備をしていた。
「理恵、こっちも出しておいて」
隣の林さんはすでに席を立っていた。これからバイトに入るのだ。会計は林さんを優先してもらった。
「待たせた」
「おー、バイト前に間に合ったな」
「遅くなった。雪のせいで道込んでて、思いの外時間がかかった」
店の扉を押し開いて、冬の夜の冷たい空気も一緒に流れ込んでくる。いつの間にか辺りは暗くなっていた。その真っ暗な闇夜に映える髪色の青年が林さんに近づいてくる。
その彼を見て瞠目する。
二重の少し垂れた優しい目元にも、高い鼻にも、柔らかく笑う口元にも見覚えがあった。
「あれ、君は」
「…こんばんは。昨日はどうも」
「ハルと知り合い?」
「昨日言ったロック好きな子。高校生だったんだね」
「あー、ナンパしたっていう」
「ちょ、だから違うって。その言い方どうなの?」
「どう考えてもナンパでしょ。しかもそんな風にニヤニヤして話しかけたんだろ? 怖いわー」
「昌広、変な誤解を生むからやめて」
「なになにー? 私も混ぜてー」
「理恵、実はね。こいつがハルをナンパしたって…」
「二人とも」
「「こわいわー」」
「やめてー!」
楽しそうなやり取りが目の前で、繰り広げられていたが、私の耳には上手く入ってこない。
夢だろうか、だとしたら出来過ぎている。
「ラーメンも食べ終わったので、私たち帰りまーす。おいくらですかー?」
「お金は大丈夫だよ。昌広が払ったから」
「えーいいんですかー? ごちになりまーす。ほら、ハルも」
「あっ、すみません。ご馳走さまです…」
「いいって。楽しかったし。気をつけてねー」
「また土曜日にね、はるちゃん」
「バイバイ、ハルちゃん」
ただ茫然と立ち尽くすだけの私にいち早く気がついたのは佳織だった。
林さんと理恵さんには手を振り、彼には昨日と同じように軽く会釈をした。
店の扉を抜けて、外に出ると大きく息を吸いこんだ。
酸素が一気に体中に巡り行き渡ったような気がする。軽く息を止めていたらしい。少し苦しかったのだと今気がついた。
息の仕方も忘れるくらいの衝撃があった。
昨日の今日で逢えるなんて思ってもいなかった。
「もう大丈夫ー?」
「佳織、時間ある? 少し家に寄って行かない?」
佳織は静かに頷き、私が落ち着くまで傍で待っていてくれた。
落ち着かない心を掻き立てる、このざわめきを鎮めたい。
店の目の前に停められていた自転車を手で押しながら、佳織と一緒に家路を急いだ。
・・・
『バイバイ、ハル』
いつもその言葉で別れた。
ヒラヒラと手を振り微笑む貴方。
その姿がずっと忘れられない。




