第9話 『女王の茶会(後編)』
「お茶が入りました」
そう言って茶を載せた盆を手に天幕に入ってきたのが小姓らではなくボルドとアーシュラだったので、ブリジットやクローディアは少し意外そうな顔をした。
そこにいる皆が何かを言う前に、アーシュラが盆を手に皆の前に歩み出る。
「共和国の良い茶をお持ちしました。ボールドウィンも淹れ方を覚えたので、いつでもブリジットにお茶をお淹れすることが出来ます」
そう言ってアーシュラは付き添いの小姓らに手伝ってもらい、ブリジットとクローディア、そしてブライズとベリンダの前にティーカップを置いた。
それを見た4人は思わず驚きに目を見開く。
「こ、これは……」
「な、何これ?」
カップになみなみと注がれている茶の表面は、白く泡立った乳に覆われている。
それだけでも彼女たちには珍しいのだが、その白い表面には……絵が描かれていたのだ。
最初に声を上げたのはブライズだった。
「これは……アライグマか?」
そう。
白い泡の表面には、この大陸に多く生息するアライグマと思しき動物の顔が描き出されていたのだ。
「その白い表面は泡立てた乳で出来ておりまして、そこにボールドウィンが木串を使って絵を描いたのです」
先ほどボルドはアーシュラが垂らした泡の乳が、茶の表面に不思議な流体の波紋を描いたまま崩れずにその姿を保持していたのを目にした。
そして彼は思いついたのだ。
細い木串を使えば、その表面に絵を描けるのではないかと。
ただ女王たちの茶会でそんなものを出すのは不敬ではないかという懸念はあった。
しかしアーシュラが試しに描いてみろというので描いてみたら、ボルドの思った通り、泡状の白い乳をかき分けるようにして描いた絵は、表面に保持されたまま消えなかった。
そしてその絵を見たアーシュラはなぜだか半笑いで、これでいこうと言ったのだった。
そうして描いた絵を見てブリジットは意外そうに言った。
「アライグマの顔などマジマジと見たことはないが、ボルド。よく描けたな」
そう言うブリジットにボルドは少し恥ずかしそうに目を伏せて答える。
「いえ……これはその……アライグマではなくて、ブライズ様の獣舎で見た黒熊狼の赤ちゃんの顔です」
その言葉に一同は思わずシーンと静まり返る。
そして……。
「プッ……アハハハハ!」
一番最初に声を上げて笑ったのはクローディアだった。
「ボールドウィン。あなた変な人ね。アライグマとしてなら良く描けているのに、これはどう見ても黒熊狼の赤子には見えないわよ」
その言葉に皆が弾かれたように笑い出した。
ボルドが恥ずかしそうに顔を赤らめる中、ブリジットまでもが顔を手で隠して、ボルドに申し訳無さそうに笑っている。
ボルドは思わず消え入りそうな声を漏らした。
「ア、アライグマは……あまりちゃんと見たことがなくて……」
皆が笑う中、アーシュラだけはその表情を崩していない。
彼女は先ほど初めてボルドが泡に絵を描く様子を見て、彼は生来から手先が器用なのだと知った。
ただ、何かを見てそれを模写するという行為に慣れていないだけだ。
練習すればきっと上手くなる。
そう思ったアーシュラはクローディアの様子をチラリと見た。
あんなに楽しそうに笑う主の顔を見るのは久しぶりだ。
「クローディア。そんなに笑わないで下さい」
恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にするボルドに、クローディアは思わず口から漏れ出る笑みを手で押さえる。
「ごめんごめん。あなたが黒熊狼の顔を思い浮かべながらこれを真面目な顔で描いていたことを想像すると、とてもおかしくて」
笑いの渦に包まれる女王の茶会から、すでに最初の固い空気は消えて無くなっていた。
この日を境にクローディアは少しずつ、ボルドのことを意識し過ぎずに接することが出来るようになったのだと、アーシュラは後に思い返すのだ。
そしてボルドはこの後、茶会が開かれる度に四苦八苦しながら『得意』の絵を茶の上に披露することとなったのだった。