第28話 『女王への陣中見舞い』
「クローディア殿は本物だな。イライアス」
クローディアを歓迎した宴の翌朝、父である大統領にそう言われてイライアスは内心で胸を撫で下ろした。
自分の父親は大統領を2期務めているが、それを可能にしている大きな要因の1つは人を見る目があるからだ。
だが、それは必ずしも相手の有能さを見抜く目ではない。
現在の状況の中で適材適所の人間を配置するために必要ならば、無能な者や信用ならない者ですら平然と身近に置く。
利用できるからだ。
それが大統領という男だった。
一方で大統領は人の情というものを決して軽視しない。
人から無用な恨みを買わぬよう注意を払っている。
怒り、憎しみといった感情に取り憑かれた者は、自らの命を捨てても敵を破滅させようとするものだから。
そしてまた大統領は人にかける情けも持ち合わせている。
それでもただ良い人というだけであっては大統領は務まらない。
難局を乗り越えるための冷徹さも持ち合わせている。
イライアスの父はそんなバランス感覚に優れた男だった。
「クローディア殿は聡明で強い心の持ち主です。父上を応援していただけるのは本当に心強い。ただ、彼女は人を見る目がある。父上も背すじを伸ばさねば、応援演説どころかお説教をもらいかねませんよ」
そう言ってニヤリとする息子に大統領は大笑いした。
この程度のユーモアは通じるところが、大統領が民からも人気のある理由だろう。
だがすぐに大統領は真面目な顔に戻って言う。
「イライアス。おまえもそろそろ先のことを考えろ。望むと望まざるとに関わらず、おまえは一生、大統領の息子として人から見られるのだからな。いつまでも気楽な立場ではいられない」
父の言葉にイライアスは恭しく一礼しつつ内心で盛大なため息をついた。
父の言葉は暗に、将来の結婚相手を見つけろと言っているのだ。
それは彼にとって限りなく気の重い話だった。
☆☆☆☆☆
「明日からさっそく応援演説があります。今日は大統領の情報をもう一度、頭の中で整理しておいて下さい。投票日までの10日間、十ヶ所で演説を行いますので、声を枯らさないようご注意ください」
クローディアのために一棟丸々、貸与された迎賓館。
その応接間でアーシュラはそう言うと、喉に良いとされている蜂蜜と柑橘類を混ぜたとろみのある茶をクローディアに差し出した。
クローディアはそれを飲みながら明日からの日程に思いを馳せる。
すると廊下から足音が近付いて来て扉を叩く音がし、ウィレミナが入って来た。
「クローディア。イライアス様がお見えです」
ほどなくして姿を現したイライアスはその手に菓子の包みを下げている。
いつも影のように着き従っている双子の姉妹の姿は今日はない。
「ごきげんよう。クローディア殿。ゆうべはお疲れ様」
「ごきげんよう。イライアス殿。本当に疲れるのは明日からだけれど」
忌憚なくそう言うクローディアにイライアスは思わず笑みを漏らした。
「なるほど。確かに。ところで付き合いも長くなってきたし、そろそろ余所余所しいのはやめにしないか? 俺のことはイライアスと呼んで欲しい」
「そう。まあ、そうね。ではワタシのことはクローディアと。こういう場所でなら問題ないわ。イライアス。で、今日は陣中見舞いかしら?」
「ああ。でも邪魔にならないよう、すぐに帰るよ」
そう言うとイライアスは菓子の包みをアーシュラに手渡し、クローディアの対面の椅子に腰をかける。
「明日からの日程、出来る限り君の負担を軽くするように演説場所を10ヶ所から8ヶ所に組み直して効率化した。応援演説の行程については俺に一任されているんでね」
そう言うとイライアスは懐から取り出した封筒に入った三つ折りの紙を広げてクローディアの前に置いた。
そこには当初の予定より短縮された日程が記されている。
完全に一日休みの日も2日ほどあった。
「なるべく無理をしない日程に組み直した。疲れがたまって体調がすぐれなければせっかくの応援にも身が入らないからな」
「あら。気遣いはありがたいけれど、それで当初の応援演説の効果は得られるのかしら?」
「そこは心配ご無用。俺は有能だから」
おどけた口調でそう言うとイライアスは立ち上がる。
「滞在中、不都合があれば何でも言ってほしい。ここまで足を運んでくれたこと、本当に感謝しているんだ。こちらも出来る限り君の力になりたい」
そう言うとイライアスは立ち上がる。
そして立ち去り際にもう一度振り返って言った。
「その菓子は美味いが日持ちしないので、早めに食べてくれ。甘くて疲れが取れるぞ。お気に召したらまた持ってくるよ」
それだけ言うとイライアスは立ち去って行った。
残されたクローディアとアーシュラは互いに顔を見合わせる。
「……クローディア。彼は色々と手慣れていますね。女性の扱いも長けていそうです」
「調子のいい男ね。まあ、悪い奴じゃないんでしょ。アーシュラ。その菓子、開けてみてくれる?」
アーシュラは念のためそれを毒味して安全を確かめてから2人でおいしくいただいた。
彼が持ってきた菓子はたいそう甘く、本当に美味かったのだった。