↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/29

位相5 ~100年の居酒屋~そして呆れる霊犬ハヤタ~

「あ、徳田くーん。こっちこっち」


 駅の改札口に原田さんはいた。

 僥倖とはこのことだ。

 徳田君が原田さんに電話したとき、彼女はちょうど西陽台で取材を終えたばかりだったのだ。


「あ、どうも……」

「山平君と三人で飲んだ時以来だっけ。元気してた?」

「まあ、それなりに」


 どうも原田さんに対しては気後れしてしまう徳田君であった。

 電話口でも「相談したいことがあるので今度会えないか」の一言がなかなか言えず、もごもごと慣れない世間話をしてしまった。


 結局、原田さん方から電話してきた理由を問いただしてきて、時間も空いていたこともあって、二人は当日会うことになったのだ。


 近くの喫茶店に入り、徳田君はこれまでのいきさつを話した。


 元々自分には霊感があること。

 最近になって頻繁に怪奇現象に出くわすことが多くなって、心身共に疲弊していること等々。

 もう思い切って、死んだはずの祖母から警告(と説教)のメッセージを受け取ったことや、女性の霊に追いかけられ、西陽台に出没している謎の野良犬に助けられたことなども包み隠さず話した。部屋の中で奇怪な虫を発見したことも。


 一通り話し終えた後、徳田君はテーブルに両肘をついて手もみしながら、そわそわと窓の外を見た。

 もう、完全に日が暮れて夜だ。

 徳田君が口に出していったことは、ふつうの一般人が聞けば間違いなくドン引かれる内容の話だ。

 社会人ともなれば「幽霊なんていない」というスタンスをとるのが当たり前のはずだ。

 

 霊感持ちの徳田君ではあるが、オカルトライターとかそういう人たちは実は霊現象なんて本当は信じていないんじゃないかと常々考えていたのだ。

 こういう事柄で商売をしている人たちに対して、あまりいい印象を持っていないというのが本音だった。

 だから原田さんも、表面上は真剣に、または面白がって話を聞いてはいても、根っこの部分では信じてなんていないんじゃないのかと、徳田君は不安なのだ。

 今更になって相談したことを後悔し始めた徳田君だったが――。


 原田さんはというと、まじまじと徳田君の顔を見つめていた。

 そしてこう言った。

「やっぱり、徳田君って『みえちゃう人』だったんだ」

 

 そういわれた直後に徳田君はこう感じた。


――あ、彼女、マジなんだ。


 本気で信じている。徳田君はそう感じた。

 頭の中で自分以外の誰かが確信を持って太鼓判を押してくれている。

 そう説明するしかない、直観的な認識だった。


「なに? 前からそう思ってたってこと?」

「そうそう。学生時代からずっとね。でも徳田君、あんまりそういうこと話したくないって感じだったから触れなかったんだ。そういうことおおっぴらに話したり、ひけらかしたりするとよくないって考えてる霊能者って結構いらっしゃるから」

「うちの祖母ちゃんはそういう考え方してたかな」


 内心ほっとした気分になった徳田君は何年かぶりに、自分の緊張が解きほぐれていく感じがした。


「でも正直困ってるんだ。他に相談する人もいなくて、ほら原田さん前言ってたじゃない。困ったときの『連絡先』があったって、今はもう頼れないとも言ってたけど……」

「うーん」

 原田さんはしばし考え込んだ。


「……たしかに最近になって頻繁に西陽台に怪奇現象が多発してるのは確かなのよ。今日の取材なんか、近所で有名だった幽霊とか妖怪だかにさらわれて行方不明になった……なんて話だったし」

「まじかよ」

「うん。ほら、この先の志道通りに面したコンビニの店員がね。勤務中に消えちゃったらしいの。目撃者もあり」

「よく行くコンビニだ。そこ」

 徳田君は呟く。

「でもなんでなんだろ。もう何年もここに住んでるけどここ一年ぐらいだぜ。西陽台全体がお化け屋敷みたいになっちまったの」

「お化け屋敷……」

「大げさに言ってるわけじゃないよ」

 原田さんは身を乗り出した。

「ねえねえ。今も何かみえるの?」

「……いるね。でもわかんないよ。ほとんど生きてる人間と見分けがつかないのもいるし、もやっとした影みたいなのもいるし」

 徳田君と原田さんはしばしの間、窓から見える往来を歩く人々を眺めた。


 ふと思い出したように、原田さんが話を切りだしてみた。


「ね、私が知ってた霊能者の先生はもう亡くなってるし、私自身は霊能力なんかある訳じゃないし、力にはなれないんだけど、解決策はこれまで徳田君が体験してきたことの中にあるんじゃないかな」

「どゆこと?」

「ほら、ここ一年くらいの間、徳田君つい最近まで平気だったんでしょ?」

「女の幽霊に追いかけられるまではね。でも最近はひどいよ。霊障っていうんだっけ。悪夢見たり、体が重かったり、道歩いているだけで、蹴躓いたり、意識がぶっ飛んで赤信号をわたろうとして車に轢かれそうになったり……あー、話してて鬱になってきた」


 そういって徳田君は頭を抱えた。


「でもさ、犬に助けられた。って言ったじゃん。あの例のハヤタって犬」

「あ? あー、確かにそうだけど」

「その犬にまた助けてもらうっていうのは考えたことないの?」

「はぁ? ないない。ないよ」

「でもさ、霊犬伝説って有名じゃない。犬は魔を祓うなんて有名な話だし。当てにするのも一つの手なんじゃない?」

「そんな眉唾もんのモノ探す余裕なんてないってば」


 嘘である。実は西陽台では密かに有名な野良犬なので、徳田君はネットで出現場所を調べたり、実際に町中を歩き回って探し回ったこともあった。

 しかし、神出鬼没の野良犬を見つけることはなかなかできないし、また最近では夜の目撃情報が多いので、深夜に出歩くのを控えていた徳田君にはそれ以上探しようがなかったのである。

 

 そもそも幽霊に対して悪い印象しか持っていない徳田君は(おばあちゃん除く)幽霊なのか物の怪の類なのかよくわからない存在に頼るなんてことにどうも気乗りしなくて、今はもう考慮の中にとどめてすらいなかった。

 だがあらためて原田さんに提案されて、「助けてくれるのは人であるとは限りませんよ」といったおばあちゃんの言葉が今、脳裏によみがえっていた。


「でもあんなの、見つけようとして見つけられるものじゃないって。地縛霊みたいなのならまだしもさ」

 すると原田さんはなにやら得意げな顔になった。

「ふふーん。実は私、その犬がよく現れる場所、一カ所突き止めてるんだ」

「まじで」

「まじです」

「どこなの? 西陽台の何処かなの?」

「どこだと思う」

「もったいつけないでくださいよ」


 原田さんが告げた場所は、徳田君にとってまったくの予想外の場所だった。


 



     *   *   *

 




 いつからだろう。

 老女将は首を傾げた。

 連れ合いにも子供達にも先立たれ、たったひとりで西陽台の志道通りの路地裏にある小さな居酒屋をきりもりして、もう何十年になるだろう。


 以前、役所のお偉いさんに百歳になったお祝いとして花束と賞状をもらったが、それもいつのことだったか――。


 独り身のまま、年を重ねると寂しさと孤独が募っていくものだとはいうが、最近ではもうそんな物は通り越してしまっている。


 七十、否、八十の頃だったか?

 常連の客が顔を見せなくなった頃が一番しんどかったが、近頃ではその子供や孫の代にあたる年齢層がお客さんになってくれている。


 老女将の居酒屋『柳井』は、近場で営業している個人経営の商店や飲食店の主人達が仕事あがりに一杯やる憩いの場だった。



     *   *   *



(すげえ佇まいだな)


 駅前の喫茶店から結構歩いたと思う。

 普段この辺には全く来たことがないので、徳田君は西陽台にこんな店があったのかと驚いた。

「割烹・小料理 柳井」と書かれたくすんだ赤提灯。

 古びた木製ガラス引き戸からは店内の黄色い光が漏れている。

 徳田君は店に入るのを躊躇した。

 

 まず、フラッと気軽に立ち寄れるような店ではない。

 この辺に古くからいる住人や店主の知り合いしか出入りしないような店だ。


「原田さん、ホントにここなの」

「うん。柳井……割烹・小料理……間違いないよ。ここに例のハヤタが出入りしてるの見た人、結構いるみたい」


 そういわれては仕方ない、が。

(でもなー、入りずれーなー)


 そんな徳田君よりも先に、原田さがガラガラと引き戸を開けて店に入っていく。

 さすがにいろんなところに足を運んで取材慣れしているのか。

 

 あまり気乗りしなかったが徳田君も後に続いた。


 店内もすごかった。

 床はタイルやコンクリートではなく、踏み固められた土のようだった。微妙にでこぼこしている。

 

 日本家屋の土間のような感じだった。といっても土間なんて徳田君は子供の頃、学校の課外授業で入った、展示用の藁葺きの家でしか見たことがないが。

 外から見た印象に比べて中は想像以上に広く、五、六くらいは座れるカウンター席とテーブル席が3台。奥には座敷もあった。


 一応掃除は行き届いているようだが、どれもこれも年季が入った古びたものばかりだ。

 三丁目の夕日を通り越して、これはもう戦後間もないバラックとほったて小屋の立ち並ぶような、白黒映画の世界だった。


 店に入っても従業員らしき人に声をかけられるでもなく、二人はしばしどうしようかと店内を見回していたが、奥のテーブル席に座っていた客と思しき人ふたりが気づいて、カウンターの内側に向かって声を張り上げた。


「おかーさーん」

「おーい! お客さんだよ」

 ワンテンポ遅れて返事が返ってきた。

「あー、はいはいはい。いらっしゃい。どうぞこちらに」


 と、促されて、二人はやっとカウンター席に座った。

 カウンター席でせわしなく調理をしているのは小さなお婆さんだった。

「こんばんは」

 原田さんが言うと、少しきょとんとした後、大きな声が返ってきた。

「いらっしゃい。今日は何にしましょ?」


 今日は、って今日初めて入った店なんだけど……と、原田さんもさすがに戸惑った。

 徳田君はというと、老女将の相手は原田さんにまかせて、まだしきりに視線をあたりにさまよわせていた。


 すると後ろにいた先客の男性がフォローしてくれた。

「オススメは馬刺とかガツの煮込みだよ。あと肉豆腐とか。お二人さんここ初めてだろ」

 赤ら顔で気さくに話しかけてくる男性もかなりの高齢のようだった。

「ええ、そうなんです」

「珍しいなぁ、こんなに若い人が入ってくるなんて」

 原田さんは愛想笑い。

「ね、ねえ。徳田君は何にする?」

「……ビール中瓶と、卵焼きで」

 妙に惚けた、ぼそっとした声を徳田君は出した。

「あ、はーい」

 女将さんはその小さな声をちゃんと聞き分けたようで、威勢のいい返事が返ってきた。

「あ、すみません。じゃあ私もビールと、あとガツの煮込みで」

 ……返事がない。

「あ、あのすみませーん」

 何度か大きな声をかけて原田さんはやっと注文を聞き届けてもらった。


「どしたの徳田君。さっきから様子が変だけど。何か感じてるとか」

 もうあとは、ハヤタがやってくるのを待つしかないので、原田さんは料理をつまみながらちびちびとコップに注いだビールを飲んでいた。


 徳田君はというと酒には手をつけず周囲をうかがっては、何事か考えていた。

「いや、すごい店だなぁと思って」

「ね、開業何年なんだろ」

「それはわかんないけど、少なくとも女将さん、百歳越えてるよ」

 声を低めて徳田君はそういった。

「え、うそ。見えないっ。てかなんでわかるの」

「軽い霊視だっていったら信じてもらえる?」 

「……へー、そう来ましたか」

「霊視なんていつもできるわけじゃないよ。でもこの店の中の雰囲気がすごくいいんだよ。そのせいかも」

「パワースポットって奴?」

「そういういい方したくないんだけど、まさにそんな感じ」


 徳田君の頭は妙に冴え渡っていた。

 こんな爽快で落ち着いた気分は久しぶりだった。


 ――こんばんは。 


 澄んだ声がした。


「原田さん、今の聞こえた?」

「え、なにが? ……あ、徳田君!」


 原田さんがおどろいて見ている方向に徳田君も振り返った。


 十代半ばと思われる少女が店の戸口に立っていた。


(ん? 今戸が開く音がしたか?)


 目をパチクリさせる徳田君だが、少女の姿が見えたのは一瞬で、そこには一匹の犬の姿があった。


「あッ、まこちゃん、まこちゃん!」

 女将が子供のようにはしゃいでハヤタのそばまでやってきた。

 馬刺、馬肉のつくね焼きを盛った皿をハヤタに差し出す老女将。

 他の常連の客もハヤタが店に出入りしているのはいつものことのようで、気にしていない。むしろ「よーワンちゃん」「見回りご苦労さん」とか挨拶している。


「“まこちゃん”って……ハヤタって名前じゃないのかな」

「……」

「ねえ、徳田君ってば」

「こいつ……俺よりいいもん食ってやがる……」

「そこじゃないでしょ! 重要なところは」

「ああ、ごめんごめん。いや、ちまたで有名なハヤタだと思うよ。もしかしたら、“ハヤタ”ってのは名字で下の名前じゃないのかも。“ハヤタ マコ”とか“ハヤタ マコト”とかさ」

「……それも霊視?」

「……まあそんな感じかな」


 時折女性の姿に見えるから男ではない→するとハヤタという男の名前はおかしい→ファミリーネームじゃね?


 というのが徳田君の漠然とした推理なのだが、さすがに犬が女の子の姿に見えるとか原田さんに言うのはためらわれたので、徳田君は適当にごまかした。


「あのー、よく来るんですか? この、えっと、ワンちゃんは」


 徳田君はテーブル席の男性客二人にそう聞いてみた。


 男性客は顔を見合わせた。

「そうだなぁここ一年くらいかな」

「どっかからお出でになったんだろうねぇ。最近この町おかしいから」

「……そっすか。あ、女将さん。俺もこの子になんかごちそうしたいんだけど、いい?」

「そりゃいいですけど、私が飼ってるかわけじゃないから。マコちゃん本人にきいて」

 とか何とか言いながら、すでにお皿に盛った馬刺を徳田君は女将さんから手渡された。

 徳田君は席を立って、ハヤタの前にしゃがみこんだ。

 すでにほとんど食べ終えようとしている最初の皿の横に、そっと馬刺を置く。


 ハヤタは徳田君の方には目もくれなかったが、しっぽが大きく振れ動いた。

 そして、徳田君の差し出した皿に取りかかり、あっという間に平らげてしまった。


 ――じゃ、行きましょうか。


 そんな声が聞こえた気がした。

 ハヤタはスッと立ち上がると、起用にガラス戸を前足で開けて、外に出ていった。


「すいませんお勘定お願いします」

 一部始終を食い入るように見つめていた原田さんが「えっ」と声をあげる。

「どうすんの、徳田君」

「ついていくに決まってんじゃん。あと原田さん、俺手持ちがないんで、ここの勘定お願い」

「えー……」



     *   *   *



 真夜中に道を二人はハヤタの後をついていった。


「すげえな……」

「え、なにが」


 原田さんには見えていないのだろう。だが徳田くんには見えていた。


 徳田君にとって久しぶりの真夜中の西陽台だが、暗闇の往来を漂う浮遊霊の数は道にひしめくほどだった。

 だがもっとすごいのは、その雑霊たちがみなハヤタを避けて道を譲ることだった。

 さながら海を割るモーセの如く、だ。


 そして、歩いてしばらくしてから、徳田君はハヤタがどこに向かおうとしているのかだいたい当たりがついた。


 ややあって、ずっと黙っていた原田さんが口を開いた。


「徳田君、ハヤタが向かってるとこって……」

「うん。多分、いや間違いなく、おれんちだ」


 予想は的中した。


 ハヤタは徳田君の住んでいるアパートの敷地に入り、そのものズバリ、徳田君の部屋の前にたった。

 そして、しばしの間、悠然と徳田君の部屋のドアを見つめていた。


 固唾をのんで徳田君と原田さんが見守る中……。


「……はぁー」


 ハヤタはやおら姿勢を崩してその場に座り、後ろ足で耳の後ろあたりをポリポリ掻きだした。


「……あれ?」

「ちょっと徳田君。今この子、人間みたいなため息ついたよね? ね?」 

 

 なぜか居心地の悪さを感じ始めた徳田君はハヤタに声をかけようかどうか悩んだ。

 だがそんな徳田君の横を通り過ぎて、ハヤタはアパートの敷地から出ていった。


「ええええええ、ちょっと待て。霊障何とかしてくれるんじゃないのかよ」 

(馬刺代返せ!)

 その馬刺の料金を出したのは原田さんなのだが、心の中で毒づきながら、徳田君はハヤタを追いかけようとした。


 ――あのですね。一緒にいる女性に部屋の中を見せてあげてください。


「は?」


 ――もうね、それで何が悪いのかわかるはずです。


 “まったくもう”とかなんとか、ぶつぶつした声が次第に小さくなりそしてぷっつりと途切れた。

 霊験あらたかな神秘的な雰囲気をかなぐり捨てた、呆れ果てたような口調で、まるでちんぷんかんぷんなことを言われ、思わず徳田君は足を止めてしまっていた。

 ハッとして、アパートの敷地から路地に出て、辺りを見回すが、ハヤタの姿はもうどこにもなかった。

(なんなんだよもう! 部屋の中を、見せろだとか)


「ねえどうしたの徳田君。なんかわかったの?」


「……いや、あのちょっと、原田さん、ちょっとだけ部屋の中を見てもらえるかな」

「??? いいけど、なんで」

「いや俺にもよくわかんないんだけど。少しだけ掃除するから、ドアの外で待っててッ」


 

     *   *   *



「ねえ、徳田君、まだ?」

「……ッ ……ッ」


 徳田君が部屋に入ってからすでに十分が過ぎようとしていた。


「ちょっとー徳田君。私もう帰ってもいいかな?」

「いや、ちょっと待って。もうすぐ片づくから」

 ドア越しにくぐもった返事が返ってきた。


 さすがにしびれを切らした原田さんは、ドアノブに手をかけた。

 鍵はかかっていない。原田さんは一気に開け放った。


「あ! 勝手にあけないでよ!」

「………………キャアアアアアアア!」


 絹を裂くような悲鳴だった。

 何事かと、他の部屋の住人が出てきたり、「うるさい!」と怒声が響いたりする中、徳田君は「す、すみませーん! なんでもないですから!」と声を張り上げた。

「あ、原田さん、やめて、勝手に入らないで!」

 原田さんは徳田君に断りもなく、勝手に部屋の中に上がり込んでいた。

「うわーうわー、うわぁぁぁぁーーー“汚”部屋だぁぁぁ」

 キャーキャー言いながらも原田さんは周囲を興味津々でなめるように見回してる。


 徳田君は頭を抱えた。

 そう、元々徳田君は家事は苦手で面倒くさがり屋の性格だったが、ここ最近は収入も乏しく、アルコール依存と自堕落な性格も手伝って、徳田君の部屋の中は彼の精神状態を如実に物語る“汚部屋”と化していたのだった。

 それは十分かそこらで取り繕えるほどの汚れっぷりではなかった。

 出したモノは片づけない。散乱する書籍や紙くず、ビニール袋。

 そこかしこにつもった埃。髪の毛。油汚れ。

 床掃除などいつやったのか忘れている。

 食器など洗わずに数週間放置など当たり前。

 さらに――。


「ギャー! ユニットバスがホラー映画の廃屋みたいになってるぅぅぅぅ」

「ちょっと! 勝手には覗かないで!」

 

 さすがにたまりかねたのか。原田さんは部屋の外に出てきた。


「こ、これが怪異な“虫”が湧いてしまうほどの部屋か……あ、写真とっていい? 何か映るかも」

「お断りします!」


 徳田君は全力で断った。


「そっか。でもさ、徳田君」

「……なんでしょう?」

「この部屋はまずいよ。まずい。おっかしいなー、霊能者ってきれい好きな人が多いと思ったんだけど」

「俺は例外ってことで」

「あのねぇ徳田君。神道の祝詞にも“祓い給え清め給え”なんてあるでしょ? ケガレっていうのは実際のよごれのことも指してんだよ? だからまっとうな神社なんかはいつも境内の中を清潔にしているわけでさ」

 これには返す言葉もない徳田君だった。

 うつむいたままの徳田君に原田さんはさらに説教を続けた。

「まー、一人暮らしは何かと大変なのはわかるけどさ。掃除しなよ。多分まずそっからなんじゃないかな。霊力ある人がこんな部屋の中で悶々と暮らしてたら、そりゃなんかよからぬモノを呼び寄せたり生みだしたりしちゃうと思うよ?」

「う……」


 さっきのハヤタもこれを悟って呆れたのだろう。

 今更ながらに顔から火が出るほど恥ずかしくなってきた徳田君であった。


 

     *   *   *



 それ以来、徳田君は自分の生活をあらためるようにした。

 規則正しい生活をして、酒も控えるようにした。

 原田さんのアシスタントとして、今までずっと忌避していたオカルト記事などを書く仕事も始めたし、多方面からの霊現象の相談にものるようになった。


 自宅であの“虫”を見ることは二度となかった。


 しかし――。

 西陽台は未だ、霊現象が多発していた。

 そしてハヤタの目撃例も続いているという。


 いつか西陽台が平穏になって、ハヤタがお役御免になる日を願う徳田君であった。

 あと、あの時はクソくだらないことでお時間をとらせてすみません――とも。

 


位相はとりあえずこれで終わりです。

なんかすみません。

ダラダラ長々やったあげくにこんなオチになるとは自分でも思いませんでした。

はい(;´Д`)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。