プロローグ ブレーキの壊れた女
月が海に浮かんでいるのを見ながら、愛車で気持ちよくかっ飛ばしていた。
邪魔な車は次々と追い抜いていく。
突然、道路に人が飛び出して来のでクラクションを鳴らした。
「あぶねえんだよ!」
危うく殺人犯にされるところだった。
これだからバカは困る。
興奮冷め止まないでいると、サイレンの音が鳴った。
『そこの車、止まりなさい!』
後方から響く、拡声器の声。
はぁ?
バックミラーを見ると、赤い回転灯。
「知るかよ」
私は構わず走り続けた。
今は風になりたい気分なのだ。
『前の車、左に寄って止まりなさい!』
『危険だ! 直ちに停車しなさい!』
パトカーは何やら喚きながら、付き纏ってくる。
私は特に気にすることなく、ハンドルを握り続けた。
気が付くと呼び掛けが止んでいた。ただサイレンだけが響いている。
「仕掛けてこねーのかよ」
つまんな。とも思ったが、そのお陰で進路上の車が道を開けてくれる。
これはこれで爽快♪と、ドライブを続けた。
ふいに右にパトカーが現れた。
左にもパトカー。沖縄県警と書かれている。
車内が赤く、クルクルと照らされる。
『止まれ!』
拡声器の声で、空気が震えた。
そうそう、そう来なくては。
「止まるかバーカ!」
私は笑いながらアクセルを踏み込んだ。
エンジンが唸り、身体がシートに押しつけられる。
並走する二台を一気に突き放した。
「最高♪」
けれど次の瞬間、右脇からパトカーが猛然と飛び出してきた。
私の車スレスレに滑り込み、進路を塞ぐ。
左右にもいる。
「何これ、映画みたい♪」
抜け出す隙間はない。
見事な連携で、じわじわと包囲を狭めてくる。
まさに袋のネズミ。奴等は追い詰めたぞと、ほくそ笑んでいるに違いない。
「あめえんだよ!」
体当たりするつもりで、斜め右に突進した。
パトカーが即座に反応、その僅かな隙間を埋める。
掛かったな。バーカ。
ハンドルを思いきり左へ切った。
タイヤが悲鳴を上げ、車体が横を向く。
ヘッドライトが、左を並走するパトカーの車内を照らし出す。
警官二人が揃って青い顔をしていた。
ぶつかる。
――と思った。
と、いうか、普通にぶつけるつもりだった。
アクセルを踏み込む。
パトカーが下がった。
ブレーキを踏んだのだろう。
「根性無しが!」
ハンドルを戻し、車体を前に向かせた。
その瞬間、前を走っていたパトカーが私の進路へ滑り込んできた。
目の前にパトカーのケツ。
「邪魔!」
不安定ながら、構わずアクセルを踏み抜く。
グリップを取り戻した私の車は一気に加速。
言うまでもないが、オカマを掘ってやるつもりだった。だが――
「あれ?」
パトカーの横腹をかすめ、そのまま包囲を抜けていた。
後ろからクラクションと、拡声器の怒鳴り声。
偶然だった。
私の車は直進せず、たまたま開いた隙間へと突っ込んでいたのだ。
声を上げて笑った。
「もう最っ高♪」
両手を叩いた。
このままいつまでも走っていたい。
なんなら海に飛び込むのもいい。
そして朝日が見たい。
そんな事を思っていると、前方が明るくなった。
一瞬、もう夜明け?とも思ったが違う。
横一列にパトカーが何台も並び、道を塞いでいた。
警官もわんさかいる。
「おもしろっ」
このまま突っ込んだら、どうなるだろう?
アクセルに乗せた足に力を入れ、想像する。
逃げ惑う警官達の表情。
派手に吹き飛ぶ車両。
ラストは大爆発。
『止まりなさい!』
その呼びかけが、私には観客の声援に聞こえた。
「止まるかバーカ! 死にたくなきゃ、道開けな!」
クラクションを鳴らしたその時、ふとある物に目が付いた。
ねこ耳とにくきゅうのハンドルカバー。
場違いな程可愛い。いや、超可愛い。圧倒的癒し。
それなのに、急に不安になった。
さっきから、まるで現実味がない。
酔った勢いで、風になりたいと車に乗り
映画のようなカーチェイス。
どこか、夢の中に居る。
そんな感覚だった。
――お前とは、結婚出来ない。
あの出来事を無かった事にしたい。
そう、考えたのかもしれない。
これがもし現実だとして、死ぬのは別にいい。
けれど
このまま私が戻らなければ
あの子はあの部屋で、ずっと私を待ち続ける事になる。
それだけは――
タイヤが悲鳴を上げ、車体が路面を滑り――
バリケードの目前で止まっていた。
静寂
タイヤの焼け焦げた匂いが鼻に付く中、誰もがこちらを見ていた。
あれ?やっぱり夢?
とか思っていると、一人が動き、次の瞬間にはあっという間に取り囲まれていた。
鬼のような形相で、何かを喚いている。
それをどこか、他人事のように眺めていた。
ゾンビ映画みたい。とも思った。
ドアを開けられ
腕を掴まれ
車から降ろされ
身体を押さえ付けられる。
道路の上
瞬く赤い光。
私はぼんやり思った。
良かったぁ。
これで、あの子を独りにしなくてすむ。




