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第34話:言葉を武器に ――停戦交渉の準備と沈黙の公爵

 砦の制圧から、三日が過ぎていた。

 火は消え、銃声も詠唱も、すでに遠い。

 だが、事態は何ひとつ終わってはいない。むしろ――ようやく“次の局面”が始まろうとしていた。


 福岡市内。

 地図にも記録にも残らない、福岡県警警備部が管理する極秘施設。

 簡素な机と椅子。壁際には監視用の機材。窓はない。


 そこに、エーヴァルト・フォン・レヒナーは座っていた。


 法皇国において、その名は前線で語られることは少ない。

 だが、宮廷と諸侯、教会と世俗権力の狭間で、六代にわたり“言葉で争いを収める役目”を担ってきた家系であった。

 剣を持たず、魔法陣の中心にも立たず、それでも――戦と政治の境界線には、必ず名が残る一族。


 エーヴァルト自身もまた、若くして宗教法と諸国慣習を叩き込まれ、紛争地への随行、教義派と穏健派の調停、そのいずれにも“表には出ない立場”で関わってきた。

 だからこそ、彼は理解している。

 ここが、戦場の延長ではないということを。


 拘束具はない。だが、自由でもない。

 彼は、自分が「捕虜」ではなく、「交渉材料」として扱われていることを、正確に理解していた。


 扉の向こう側には、福岡県警警備部の人間がいる。

 自衛隊ではない。それが何を意味するかも、彼には十分すぎるほど分かっていた。


 ――軍事は終わった。

 ――これからは、政治だ。


 やがて、取り調べ官が席につく。

 形式は、警察の聴取。だが、空気は明らかに違っていた。


「……では、改めて聞きます」


 淡々とした声。


「あなたは、法皇国・ラドミール公爵家の意思を、どこまで代表しているのですか」


 エーヴァルトは、少しだけ背筋を伸ばした。

 それは、威圧への抵抗ではない。“交渉に入る姿勢”を示すための所作だった。


「正式な全権ではありません」


 静かに、だがはっきりと答える。


「ですが――交渉を開始する資格は、与えられています」


 その言葉に、室内の空気がわずかに張り詰める。

 彼は続けた。


「砦は陥落しました。イワン=ドルトミールの浄化部隊は、事実上、壊滅した」


 それは、確認ではない。前提条件の提示だった。


「このまま戦えば、次に破壊されるのは――法皇国そのものです」


 沈黙。


「ラドミール公は、それを望んでいません」


 彼の声には、感情はほとんど乗っていない。だが、強い意思があった。


「福岡側が示した戦力、そして――《原初大奇蹟魔法陣》を止め得たという事実」


 言葉を選びながら、彼は核心に触れる。


「それは、我々の世界の“前提”を崩しました」


 ――神託は、絶対ではない。

 ――奇蹟は、拒絶され得る。


 その事実は、教条派にとっては認めがたい。だが、穏健派にとっては――未来を選び直す理由だった。


「我々は、正式な停戦と、その先の和睦交渉を望みます」


 はっきりとした言葉。


「条件は、これから詰める。しかし――この接触を、“裏切り”ではなく、“出口”として扱っていただきたい」


 取り調べ官は、すぐには答えない。

 警察組織として、ここで即断することはない。

 だが、すでに一つの流れはできていた。


 エーヴァルトは理解している。

 自分がここにいること。自衛隊の捕虜収容所ではなく、県警警備部の管理下にあること。

 それ自体が、福岡側の答えの一部なのだと。


 彼は、最後にこう付け加えた。


「私は、ラドミール公が“話す意思がある”ことを、生きて伝えるために来ました」

「それが果たされるなら――この身が、どう扱われようと構いません」


 その言葉は、交渉の開始を告げる鐘だった。


     *


 ――沈黙の浄化部隊と、巡査の報告


 ハインリッヒ=ラドミール公爵が率いる浄化部隊は、他のいかなる部隊とも異なる進軍を行っていた。


 進む。だが、壊さない。奪わない。

 祈りによる「浄化」も、剣による「制裁」も、極力行わない。

 厳格な軍律が敷かれ、民家への立ち入りは禁止され、略奪や私刑は即刻処罰の対象とされた。


 そのため、糸島各地で住民との大きな衝突は起きていない。

 進軍とは名ばかりで、実際には、人の少ない山道を選び、集落は大きく迂回し、橋や主要道を避けるように部隊は動いていた。


 さらに、現地で遭遇した治安組織――軍ではなく、「警察」と呼ばれる統治機構に対しては、武力を示すことなく、交渉を選んだ。

 それは、多くの浄化部隊が忌み嫌う行為だった。


「なぜ、異教徒と話す必要がある」

「なぜ、剣を抜かぬ」

「これでは“浄化”ではなく、巡礼だ」


 部隊内には、露骨な不満が渦巻いていた。

 だが、ラドミール公爵は、それを黙って受け止めていた。


 この戦に、大義はない。少なくとも、彼にとっては。

 神託の名を借りた侵略。浄化を口実にした支配。その行き着く先が、破滅であることを、彼は誰よりも理解していた。


 だからこそ、この戦争に深く関わる気はなかった。

 形だけの進軍。記録のための前進。そして――交渉の糸口を探すための時間稼ぎ。


 ラドミール公爵は、各地で地域の有力者と接触し、土地の事情を聞き、福岡側に“話が通じる相手”がいないかを、静かに探り続けていた。

 その結果、彼の部隊は、ほぼ損害らしい損害を出していない。


 やがて、決定的な報せが届く。


 ――イワン=ドルトミールの苛烈なる浄化部隊、壊滅。

 《原初大奇蹟魔法陣》の失敗。砦の陥落。そして、急速な戦線崩壊。


 ラドミール公爵は、即座に決断した。


 撤退。


 深追いはしない。糸島に留まらない。県境へ引き返す。

 それは、部隊の一部にとっては、ほとんど“敗走”に等しい判断だった。

 だが、公爵は知っていた。ここから先は、剣ではなく、言葉の戦いになることを。


 その撤退行軍の途上――思わぬ出会いが、訪れる。

 県境に近い山間部。小さな駐在所。


 相馬 武――福岡県警、地域課所属。階級は巡査。

 三十に届くかどうかの年齢の彼は、警戒しながらも、銃を構えずに出てきた。


 言葉は、通じない。だが、態度は通じる。

 互いに武器を下げ、距離を保ち、身振りと簡単な翻訳器で、ぎこちない意思疎通が始まる。


 その巡査は、怯えながらも、職務として、公爵に問いかけた。

 ――あなたたちは、敵なのか。


 ラドミール公爵は、少しだけ、考えた末に答えた。


 敵ではない。少なくとも、これ以上、戦う気はない。


 その言葉に、巡査の表情が、わずかに変わる。

 この瞬間、ラドミール公爵は悟った。


 ――糸口は、ここにある。

 ――剣を持たぬ者たちの側に。


 彼は、初めて確信を持って思った。

 この戦争を終わらせる鍵は、軍ではない。魔法ではない。“治安”と“対話”の側にある、と。


 沈黙の浄化部隊は、そのまま県境へと引き返していった。


     *


 ――非公式聴取


 福岡県警本部。地下階。

 案内された廊下は、庁舎のどこにも表示のない区画だった。

 相馬巡査は、背筋を伸ばしながらも、無意識に唾を飲み込んでいた。


「どうぞ」


 中から、低い声が返る。

 部屋は、驚くほど簡素だった。机と椅子。書類棚。壁には何もない。

 そして、机の向こうに座っていた男――福岡県警警備部長、鷲尾 一史。


 相馬は、一瞬で悟った。

 この人は、現場に立たない人間だ。だが、現場を“使う”側の人間だ、と。


「相馬巡査」


 名前を呼ばれ、相馬は反射的に姿勢を正す。


「……はい!」

「楽にしていい。今日は処分の話じゃない」


 そう言って、鷲尾は一枚の紙を机に置いた。相馬の報告書だった。


「君が書いた、これだ。事実確認をしたい。評価や推測は、後でいい」


 鷲尾の声は淡々としているが、逃げ場を与えない静けさだった。


「まず――君が目撃した部隊は、住民に一切、武器を向けなかった。これは事実か」

「はい。威嚇も、詠唱も、ありませんでした」

「略奪は」

「ありません」


 鷲尾は、一度だけ頷いた。


「その指揮官について聞く。名前も、所属も、分からないままでいい。印象だけでいい」


 相馬は、あの時の光景を思い出していた。


「……迷っている人に見えました」


 鷲尾のペンが、止まる。


「続けて」

「戦場に立つ人間の目じゃなかった。でも、逃げてもいなかった」


 相馬は、自分でも驚くほど、はっきりと続けた。


「――戦う理由を、探していない人でした」


 数秒の沈黙。

 鷲尾は、相馬の顔を、じっと見た。


「君は、その部隊を“敵”だと判断したか」


 相馬は、一拍、間を置いた。


「……脅威ではあると、思いました」

「だが」

「……撃つ理由は、ありませんでした」


 その答えに、鷲尾は、初めて小さく息を吐いた。


「いい判断だ」


 それは、褒め言葉でも、評価でもない。事実確認が取れたという合図だった。

 鷲尾は、書類を閉じる。


「相馬巡査。君の報告は、すでに“交渉の前提情報”として扱われている」


 相馬の目が、わずかに見開かれる。


「異界側に、話が通じる相手がいるかどうか。その判断に、君の現場情報が使われた」

「……」

「安心しろ。君に、前に出てもらうことはない。だが――君が見たこと、君が感じた違和感は、今後も必要になる」


 そして、少しだけ、声を低くする。


「和睦というものはな、いきなり始まらない」

「まず、“敵ではないかもしれない”という事実が必要だ」


 相馬は、ゆっくりと理解し始めていた。

 自分の報告が、殺さずに済む道を一つ残したのだと。


 銃声の消えたあと、最初に動いたのは、剣でも魔法でもなく――一人の巡査の報告書だった。


     *


 ――公爵への急報と、異界折衝対策室の立ち上げ


 夜。県境に近い高地に張られた天幕の内。

 ハインリッヒ=ラドミール公爵の前に、副官が立つ。


「閣下。福岡側より、間接的な報告が入りました」

「……話せ」

「先に接触していた者――エーヴァルト・フォン・レヒナーですが、福岡県警の保護下に置かれたとのことです」


 公爵は、視線を上げた。


「……生きていたか」

「はい。拘束ではなく、保護。しかも軍ではなく、警察組織が主管しているそうです」


 それは、公爵にとって十分すぎるほどの意味を持っていた。

 ――福岡側は、軍事決着の先を見据えている。


 だが――その直後、もう一人の伝令が、天幕に入る。顔色が明らかに違った。


「閣下。法皇国本国より、急報です」

「……続けろ」

「聖都、聖統教会地下の《聖統地底回廊サンクトゥム・カタコンベ》にて、重大な異変が発生しました」

「地底回廊、だと……?」

「はい。糸島の《原初大奇蹟魔法陣》に変異が呼応し、記録にない異形存在が出現。回廊全域が魔力汚染下に置かれています」


 公爵は、無言で続きを促す。


「この事態を受け、教条主義派枢機卿団が急速に権限を集中させています。“神託の証左”として喧伝し、異教浄化の正当性を再び押し出し始めています」


 公爵は、ゆっくりと立ち上がった。


「……恐怖を、利用しているな」


 一度は糸島で砕け散ったはずの論理。だが――恐怖は、人を容易く縛る。


「……だからこそ、今だ」


 公爵は静かに続けた。


「リヴェール枢機卿に進言する。捕虜返還を口実に、正式な使節団を立てるべきだと」

「これは、福岡との交渉であると同時に、教条主義派への牽制でもある。この機会を逃せば、次に主導権を握るのは――恐怖を糧にする者たちだ」


   * * *


 福岡県庁。

 知事の署名が終わった瞬間から、前例のない決定が下されていた。


「――外交機能を、臨時に立ち上げます」


 危機管理監の言葉で、県庁内に即席の対策室が設けられた。


「名称は――異界折衝対策室」


 局長代理として前面に出たのは、元・資源回廊交渉班主任の江田 勝だった。

 ホワイトボードには、見慣れない単語が並ぶ。異界公用語、儀礼文書構文、禁忌語。


「資源回廊交渉の時と、同じ枠組みを使います」


 九州大学大学院の浜田 隆教授、文学部の石井 隆文准教授、西南学院大学の林 武文教授ら有識者が集められた。


「法皇国の高位文語は、事実を伝えるための言語ではありません」


 石井准教授が言う。


「立場を固定するための言語です」


 林教授が加わる。


「この国では、“停戦”という言葉は、神の意志が一時停止した、という意味になります。使い方を誤れば、教条主義派の攻撃材料になる」


 夜を徹して、一語一句が削られていく。言葉がすべてだった。


 その時、警備部の鷲尾の元に、法皇国の印章が刻まれた封蝋付きの書簡が届く。

 差出人は、法皇国連合軍随行枢機卿アルバン=リヴェール。


 内容は簡潔だった。

「捕虜交換に関する協議を要請する。相互の安全を保証する場の設定を求める」


 江田が作成した返信草案を見たエーヴァルト・フォン・レヒナーは、一箇所だけ指を止めた。


「この一文――“敵対行為の停止”。向こうでは、“敗北宣言”と解釈されかねません」


 彼は静かに言った。


「“相互の武力行使を停止する”に変えてください」


 その修正は、即座に採用された。

 小さな変更。だが、戦争と停戦を分ける差だった。


 こうして――福岡県は、初めて“外交文書”を持った。

 それは、勝利宣言ではない。要求書でもない。


 対話の開始を告げる紙切れ。

 第一次西糸島事変は、もはや銃と魔法の物語ではなくなった。静かに、確実に――政治的な終結へ向かって、動き始めていた。

本日も『福岡異世界転移史』をお読みいただき、ありがとうございます!

第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理バグに対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。


順次、公開予定です! 面白かった! 続きが気になる! と思っていただけましたら、ページ下部より☆☆☆☆☆の評価とブックマークをよろしくお願いいたします。作者の執筆スピードが(魔法ではなく物理的に)加速します!

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