第1話:転移後20年・春 ――「隔絶の森」を抜けて
――福岡県南方/第16次資源探査調査隊(転移後20年・春)
県境からおよそ二百キロ。
一行は実に一か月を費やして、ようやく鬱蒼とした隔絶の森を抜け、平野部へと足を踏み出した。
南方県境に広がるこの森は、まるで人の侵入を拒むかのように、幾重にも絡み合う樹木と未知の植物に覆われている。踏破とは名ばかりで、その実態は「拒絶をこじ開ける行軍」に近かった。
極地探査に慣れた自衛隊員にとっては技術的に不可能ではないが、学者を中心としたこの第十六次資源探査調査隊にとっては、過酷そのものだった。脱落者こそ出なかったが、それは未開地探査を想定した重装備で臨んだからに他ならない。その装備自体が、今や身体を押し潰す重荷となっていた。
「……佐伯教授。どうやら、本当に抜けたようですね」
探検家がよく被るキャップの下から白髪混じりの長髪を覗かせる佐伯 亘一郎教授の背に向かい、助手である九州大学大学院生、河村 俊介が声をかけた。顎を伝う汗を拭いながらの言葉だった。
「そうだね……」
佐伯は、額の汗を拭いながら、深く息を吐いた。
「意味の分からない熱帯雨林みたいな場所だった。ようやく、だ」
その声には、疲労と同時にわずかな安堵が滲んでいる。
少し離れた場所で、望月教授が眼鏡の奥で細く目を笑ませた。
「前回の調査隊とは、状況がまるで違っていたからね……。正直、死者が出なかったのは僥倖だと思うよ」
佐伯は近くの岩に腰を下ろし、短くため息をついた。
「まったくだ」
河村は無言で頷き、腰の水筒を取り出して一口含んだ。そして、自然と視線を前方へ向ける。
森を抜けた先――そこには、視界を遮るもののない、広大な平野が広がっていた。
「……教授」
河村は、目元に手をかざしながら言った。
「この先、どうなっているんでしょうか。前回の探査隊は、ここで引き返していますよね」
「報告書によれば、深い霧に阻まれて進めなかったそうだ」
佐伯は淡々と答える。
「前進しても、いつの間にか森に戻っている。時空が歪んでいる可能性が高い、と」
「異界物理研究所の見解ですね」
「そうだ。異空間への遷移によって、空間構造そのものが捻じ曲がっている――」
望月が言葉を継ぐ。
「もともと、この辺りは大牟田市に隣接する有明海だった。それが忽然と消えて、二十年……状況が変わらない方がおかしい」
「……“消えた”というより」
河村が小さく言った。
「私たち自身が、丸ごと転移したんですけどね」
その言葉に、二人は顔を見合わせ、同時に息を吐いた。
背後から、他の隊員たちが次々と姿を現す。
平野を前に歓声を上げる者。カメラを構えて記録に残す者。双眼鏡で遠方を探る者。そして、力尽きたようにその場に座り込む者。
それぞれが、それぞれの仕方で「隔絶の森」を抜けた現実を噛み締めていた。
一行は自然と足を止め、その場で短い休息を取る。
――この平野の先に何が待つのか。その答えを、まだ誰も知らなかった。
* * *
平野に入って、三日目。
調査隊は、森を抜けた地点からおよそ十五キロ進んだ場所に、簡易の中央観測域を設営していた。地形は緩やかで、視界を遮る起伏はない。それにもかかわらず、距離感だけが奇妙に狂っていた。
「……地平線が、近い」
誰ともなく漏れた言葉に、佐伯亘一郎は頷いた。
見えている。確かに遠くまで。だが、“そこまでの長さ”が感覚として掴めない。
望月は携行端末に映る数値から目を離さず、低く呟いた。
「重力定数、気圧、磁場……どれも基準値内だ。だが、分布が均一すぎる」
「均一すぎる?」
河村が聞き返す。
「自然環境というのは、本来ムラがある。風があり、淀みがあり、乱れがある。だが、ここは――」
望月は一瞬、言葉を探した。
「……“整えられた後”の環境に見える」
その時だった。
「教授」
隊列の端にいた自衛隊員が、抑えた声で呼んだ。
「計測系に、微細な揺らぎが出ています」
佐伯と望月が同時に視線を向ける。
携行型の観測装置――本来は、環境中に存在する異常粒子挙動を抑制・安定化させるためのAMDIだ。
数値は警告域には達していない。だが、基準値の“内側”で、わずかに揺れている。
「……AMDIが、環境に同調しきれていない」
望月が言った。
「阻害できないというより――想定されていない」
「この平野そのものが、か?」
佐伯の問いに、望月は答えなかった。
代わりに彼は、古い電子資料を呼び出した。福岡転移初期にまとめられた研究覚書。公刊されることのなかった、一本の論文。
「……似ている」
「何にだ?」
「二十年前の仮説だ」
望月は画面の一節を佐伯に見せた。
『未知粒子が高密度で存在する環境では、物理法則は「強制」ではなく「選択」に近い挙動を示す』
『そして、未知粒子の存在は、物理法則と“意志”の境界を曖昧にする』
佐伯は、静かに息を呑んだ。
「……十歩先生か」
「ええ」
望月は頷いた。
「当時は、理論先行だと評された。だが――」
彼は平野を見渡す。
「ここは、あの論文が“前提にしていた環境”に近すぎる」
沈黙が落ちた。
誰もが、同じことを感じていた。この土地は、資源を掘るための場所ではない。何かを“証明するため”に、そこに在るのだ。
佐伯は、ゆっくりと立ち上がった。
「……彼は、ここに来ていない」
「はい」
「だが、来るはずだった場所だ」
その瞬間、空気が――ほんのわずかに、歪んだ。
音は消えない。風もある。だが、世界が一拍、呼吸を止めたような感覚。
観測装置の数値が、静かに揺れる。
それは警告ではなく、“反応”だった。
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第一次西糸島事変――福岡の存亡を懸けた戦いは、小説家になろうに初転載になります。ファンタジーの不条理に対し、最後まで見届けていただければ嬉しいです。
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